屋敷地の西面を画す茅葺の門
瀧澤家住宅長屋門(たきざわけじゅうたくながやもん、滝澤家住宅長屋門とも表記)は、長野県千曲市大字磯部字石原にある江戸時代後期の長屋門で、平成29年(2017年)6月28日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。
屋敷地の西端に長く横たわり、公道から最初に目に入るのがこの建物である。土蔵造の平屋建て、屋根は茅葺、建築面積は九五平方メートル。門口は建物の中央よりやや南寄りに開く。門口の南側は桁行三間の板敷、北側は桁行六間の土間で、物置に充てられている。
長屋門は、門と居室部を一棟にまとめた形式である。もとは武家の屋敷で門の両脇に家臣の居所を置いた構えに由来し、江戸時代を通じて、それを許される格式と財力を備えた上層農家へ広がっていった。瀧澤家は戦国期に武田方として村上氏と戦った武士の家柄と伝わり、帰農後は組頭など村役人を務めた家である。この形式の門は、その来歴を通行人に対して黙って示す装置でもあった。
一棟の屋根に二つの形式
この門で足を止める価値があるのは、屋根の両端である。南端は寄棟造で、三方に流れが下る。北端は切妻造で、妻面を平らに断ち切る。ひと続きの茅葺屋根でありながら、南と北で納まりを違えている。増改築の結果ではなく、当初からの意図によるものだ。
平面と重ねて読めば筋道が見える。寄棟の下は板敷の南側、すなわち改まった側であり、来客が門に近づく方向にあたる。切妻の下は土間の物置、農作業の側である。屋根の形式が用途の格に従っている。この約束事を知る大工であれば、説明を要さずに読み取ったはずである。
門口の造作にも手が入っている。門口を渡す桟梁より上は、木部と小舞を露わにせず、一面に土を塗り込めている。文化庁の解説はこれを「丁寧な造り」と評した。寸法と材料の記述に終始しがちな登録解説文の中では、やや踏み込んだ言い方である。この水準の塗込めは費用も職人の腕も要る仕事で、しかもそれを、誰もがくぐる場所に投じている。
組み合わせ自体も珍しい。土蔵造の壁は防火性と白く硬い面を与えるが、その上に載るのは茅葺で、燃えもすれば柔らかくもある。土壁まで手を掛けた施主なら瓦に進むのが通例だろう。ここでは茅が選ばれた。理由の一端は登録の理由づけに読める。この門の登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」であり、解説文は、主屋と共に茅葺の外観が歴史的景観を形作る、と結ぶ。外観の連続性が、瓦がもたらす安全よりも優先されたことになる。
背後の主屋は同日に登録されているが、基準は異なる。内部の架構を評価しての「造形の規範となっているもの」である。北側の土蔵はこの門と同じ景観の基準による。三棟、ひとつの屋敷、二通りの残す理由。
公道からの眺め
瀧澤家住宅は所有者が居住する私邸である。拝観の制度はなく、長屋門を含めどの建物も内部に入ることはできない。見学は西側の公道からに限られる。門口をくぐることも、敷地に立ち入ることも避けていただきたい。
もっとも、この制約が惜しく感じられる度合いは、三棟の中でこの門がいちばん小さい。外から眺められることを前提に設計された建物だからである。全長が視野に収まるまで下がると、屋根の非対称が読めるようになる。一方の端は三方に柔らかく流れ、他方の端は平らに切れ、その間のやや南寄りに門口が開く。正面に立つと構図が圧縮されて違いが見えにくい。南北どちらかに数歩ずれるだけで十分である。
そのまま視線を奥へ送ってほしい。主屋の屋根が門よりひとまわり高く広く立ち上がり、茅葺同士が前後に重なる。さらにその奥に土蔵の金属屋根が覗く。この規模の茅葺屋根は、かつて千曲川流域の村々でありふれた景色だった。いま一棟を維持するには葺き手と茅の両方を確保しなければならず、どちらも高くなり、少なくなっている。二棟が並んで建つ屋敷は、長野県内に限らず稀である。
行き方。しなの鉄道戸倉駅から一キロメートル強、徒歩十五分から二十分。車では長野自動車道更埴インターチェンジから約十五分。ただし見学者用の駐車場はなく、門前の道は狭い生活道路である。車の場合は周辺に停めて歩いて向かうのが妥当だろう。撮影は公道からの外観に限り、門口越しに屋敷内へレンズを向けることはしないでいただきたい。
周囲の木が葉を落とす冬から早春が、もっとも見通しがよい。県史跡の村上氏城館跡は徒歩圏の磯部の斜面に残り、南西には戸倉上山田温泉がある。午後を湯で締めくくるなら、そちらへ回ればよい。
Q&A
- 瀧澤家住宅長屋門をくぐったり、内部を見学したりできますか。
- できません。所有者が居住する私邸であり、門口の通行も敷地内への立ち入りも認められていません。見学は西側の公道からの外観に限られます。
- 長屋門とはどのような建物で、瀧澤家がこれを構えているのはなぜですか。
- 門と居室部を一棟にまとめた形式で、武家屋敷において門脇に家臣の居所を置いた構えに由来します。江戸時代には格式ある上層農家にも広がりました。瀧澤家は武士の家柄から帰農し、組頭など村役人を務めた家と伝わります。
- 瀧澤家住宅長屋門の屋根が南北で形式を違えているのはなぜですか。
- 南端は寄棟造、北端は切妻造です。寄棟の下は桁行三間の板敷という改まった側、切妻の下は桁行六間の土間の物置という作業の側にあたり、屋根形式が下の用途の格に対応しています。
- 瀧澤家住宅長屋門はいつ建てられ、いつ登録されましたか。
- 文化庁の登録データでは江戸後期、一七五一年から一八三〇年頃の建設とされます。登録は平成29年(2017年)6月28日、第87回登録、登録番号20-0513です。
- 瀧澤家住宅へのアクセスと駐車場について教えてください。
- しなの鉄道戸倉駅から徒歩十五分から二十分、長野自動車道更埴インターチェンジから車で約十五分です。見学者用の駐車場はなく、門前は狭い生活道路のため、車の方は周辺に駐車して徒歩でお越しください。
基本情報
| 名称 | 瀧澤家住宅長屋門(たきざわけじゅうたくながやもん) |
|---|---|
| 所在地 | 長野県千曲市大字磯部字石原122 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録基準:国土の歴史的景観に寄与しているもの/登録番号 20-0513 |
| 指定年 | 平成29年(2017年)6月28日登録(第87回) |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 建築面積95平方メートル/土蔵造平屋建、茅葺(南は寄棟造、北は切妻造)/門口南に桁行三間の板敷、北に桁行六間の土間 |
| 所有者 | 個人 |
| 公開状況 | 内部非公開。公道からの外観見学のみ。 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「瀧澤家住宅長屋門」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00011695
- 文化遺産オンライン「瀧澤家住宅長屋門」
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/246991
- 千曲市「千曲市文化財一覧」
- https://www.city.chikuma.lg.jp/soshiki/rekishibunkazaicenter/rekishi_bunkazai/2/1875.html
- 千曲市歴史文化財センター「歴史・文化財」
- https://www.city.chikuma.lg.jp/soshiki/rekishibunkazaicenter/rekishi_bunkazai/index.html
最終更新日: 2026.08.05