小早川家住宅門とは
小早川家住宅門(こばやかわけじゅうたくもん)は、長崎県島原市城内2丁目の武家屋敷の表門で、江戸時代末期(1830年から1868年ごろ)に建てられた一間の薬医門であり、平成24年(2012年)2月23日に登録有形文化財となった。木造で、屋根は切妻造の桟瓦葺である。
小早川家住宅門は敷地の東面、中央からやや北寄りに建ち、門を開くと主屋の玄関がまっすぐ正面に来る。表の道から玄関までを一直線に結ぶ位置取りで、屋敷の顔となる門である。
一間薬医門のつくり
薬医門は、門扉を吊る2本の親柱の後ろに、控柱を2本立てて屋根を支える門の形式である。屋根の棟が親柱の真上ではなく、親柱と控柱の間に来るため、正面から見ると屋根が前後に深く張り出して見える。
小早川家住宅門は、桁行2.6メートル、梁間1.5メートルの小ぶりな門である。親柱は見付(正面から見た幅)が0.26メートルの五平材で、正面の幅に比べて奥行きの薄い長方形断面の柱を使っている。親柱と控柱は貫で縫うように結ばれ、門全体を固めている。
彫刻や飾り金具で目を引く門ではない。太い親柱と貫の組み方がそのまま外に見えており、構造がそのまま意匠になっている。文化庁の解説はこれを質実なつくりの表門と評している。
登録の理由
小早川家住宅門は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として登録された。文化庁と長崎県は、この門が島原の武家屋敷の構えを伝える点を評価している。
小早川家住宅の4件のうち、江戸時代にさかのぼるのは門と石塀の2件である。主屋が明治23年(1890年)に建てられるより前から、門は同じ場所で屋敷の入口を務めてきた。門の両脇から石塀が続き、門と主屋の間でも石塀が曲面を描いて前庭を区切っている。門だけを切り離さず、石塀と合わせて見ると、上級藩士の屋敷の入口がどう構えられていたかが分かる。
小早川家住宅門を見るには
小早川家住宅門は敷地の東側の道路に面しており、外観はいつでも道路から見られる。門の正面に立つと、親柱と控柱の前後関係、貫の通し方が分かりやすい。斜め前に少し下がると、切妻屋根が親柱より前へ張り出す薬医門らしい輪郭がつかめる。
門の内側へ入れるのは、島原市が一般公開を行う期間だけである。公開日には門をくぐって主屋の玄関まで進めるので、門と玄関が一直線に並ぶ配置を内側からも確かめたい。
Q&A
- 小早川家住宅門はどのような形式の門ですか?
- 一間の薬医門です。親柱の後ろに控柱を立てて屋根を支え、木造の切妻造桟瓦葺で、桁行2.6メートル、梁間1.5メートルです。
- 小早川家住宅門はいつ建てられましたか?
- 江戸時代末期です。文化庁のデータベースは1830年から1868年の幅で示しています。小早川家住宅の主屋より古い門です。
- 小早川家住宅門の見どころはどこですか?
- 見付0.26メートルの五平材の親柱と、控柱を結ぶ貫の組み方です。飾りの少ない質実なつくりで、構造がそのまま外観になっています。
- 小早川家住宅門はいつ登録有形文化財になりましたか?
- 平成24年(2012年)2月23日に、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として登録されました。
- 小早川家住宅門は公開日以外でも見られますか?
- 外観は敷地東側の道路からいつでも見られます。門の内側へ入れるのは、島原市の一般公開の期間だけです。
基本情報
| 名称 | 小早川家住宅門(こばやかわけじゅうたくもん) |
|---|---|
| 所在地 | 長崎県島原市城内2丁目1013 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 指定年 | 平成24年(2012年)2月23日登録 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造、切妻造桟瓦葺、桁行2.6メートル、梁間1.5メートル |
| 所有者 | 島原市 |
| 公開状況 | 外観は道路から見学可(内側は島原市の一般公開の期間のみ) |
参考文献
- 国指定文化財等データベース 小早川家住宅門(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009237
- 長崎県の文化財 小早川家住宅(主屋・門・石塀・煉瓦塀)(長崎県)
- https://www.pref.nagasaki.jp/bunkadb/index.php/view/255
最終更新日: 2026.09.28