庭の南西に据えられた石の祠と鳥居

梅ヶ谷津稲荷社は、長崎県平戸市明の川内町の梅ヶ谷津偕楽園の敷地南西に祀られた天保4年(1833年)の石造の稲荷社で、平成17年(2005年)12月26日に国の登録有形文化財となった。高さ1.0メートルの小さな石造のと、間口1.3メートル、高さ2.2メートルの石造の明神鳥居からなる。

祠と鳥居には、ともに年紀が刻まれている。梅ヶ谷津偕楽園で登録された4件のうち、主屋・石塀及び石段・石垣は天保10年(1839年)の建造で、梅ヶ谷津稲荷社はそれより6年早い。年紀の分かるものとしては、この敷地でもっとも古い。

所在について、文化庁の解説は敷地の南西、長崎県の解説は庭園の西側と記す。いずれも庭の西寄りの一角にあたり、主屋からは石垣の先へ下った位置になる。

平戸島八十八箇所の第4番札所

文化庁の解説によれば、梅ヶ谷津稲荷社は、藩主・松浦熈が定めた平戸島88箇所の第4番札所として親しまれている。別邸の庭の中にある小さな社でありながら、島をめぐる巡拝の道筋に組み込まれてきたことになる。

別邸の主が自ら定めた巡拝の札所を、自身の庭の中に置いたという関係は興味深い。私的な庭園と、島の人々が歩く信仰の道とが、この一基の祠で結びついている。

反りを強めた屋根と明神鳥居

見どころは祠の屋根である。文化庁の解説は、屋根の反りが強調されていると記す。高さ1メートルほどの石の祠でも、軒先を大きく反らせることで、木造の社殿の屋根のような軽快さを石で表している。

鳥居は明神鳥居の形式をとる。最上部の笠木が両端で反り上がり、その下に島木を重ね、柱の間に貫を通す、稲荷社や神社で広く見られる形である。梅ヶ谷津稲荷社の鳥居は間口1.3メートル、高さ2.2メートルと人の背丈ほどで、祠の小ささと釣り合う寸法にまとめられている。

長崎県の解説は、年紀が刻まれていることを含めて細部まで凝った秀逸な意匠と評価している。近づいて見られる機会があれば、祠と鳥居それぞれに刻まれた年紀を探してみたい。

梅ヶ谷津稲荷社の見学

梅ヶ谷津稲荷社は屋外にあり、偕楽園の開館時に敷地内から見る。今も札所として親しまれている信仰の場なので、拝礼する人の妨げにならないよう静かに見学し、祠や鳥居には触れないようにしたい。敷地は個人の所有で、立ち入れる範囲は案内に従う。

開館時間と行き方は梅ヶ谷津偕楽園のページにまとめてある。

Q&A

Q梅ヶ谷津稲荷社はいつ造られましたか?
A天保4年(1833年)で、祠と鳥居に年紀が刻まれています。平成17年(2005年)に国の登録有形文化財になりました。
Q梅ヶ谷津稲荷社は何でできていますか?
A高さ1.0メートルの石造の祠と、間口1.3メートル、高さ2.2メートルの石造の明神鳥居からなります。
Q梅ヶ谷津稲荷社は札所ですか?
A藩主・松浦熈が定めた平戸島88箇所の第4番札所として親しまれています。
Q梅ヶ谷津稲荷社は偕楽園のどこにありますか?
A敷地の南西(長崎県の解説では庭園の西側)にあります。
Q梅ヶ谷津稲荷社は見学できますか?
A偕楽園の開館時に敷地内から見られます。信仰の場なので静かに見学し、個人所有の敷地では案内に従ってください。

基本情報

名称梅ヶ谷津稲荷社
所在地長崎県平戸市明の川内町348
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年平成17年(2005年)12月26日 登録
員数1棟(文化庁データベースの員数表記)
寸法祠 高さ1.0メートル、明神鳥居 間口1.3メートル・高さ2.2メートル
所有者個人(長崎県文化財データベースによる)
公開状況偕楽園の開館時に敷地内から見学(事前の電話確認が必要)

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「梅ヶ谷津稲荷社」
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00005210
長崎県の文化財「梅ヶ谷津偕楽園(主屋、石塀及び石段、石垣、稲荷社)」
https://www.pref.nagasaki.jp/bunkadb/index.php/view/392

最終更新日: 2026.09.19