敷地の中央に置かれた接客の棟

久恒家住宅客間棟は、大分県中津市大字上宮永にある大正13年(1924年)建設の木造平屋建で、平成13年(2001年)に登録有形文化財となった。

久恒家住宅の敷地はほぼ正方形で、客間棟はそのほぼ中央に建つ。棟はL字型に折れ、入母屋造の妻面を南と東の二方向につくる。東の妻面の下には入母屋造の玄関が取り付く。屋根は瓦葺を基本としながら一部に銅板を使う。

結果として屋根の輪郭は単純ではない。L字の折れ、二つの妻面、玄関の小屋根が重なり、見る角度によってまったく違う形に見える。建築面積80平方メートルという数字から想像するよりも、外観は複雑である。

登録が評価した点

久恒家住宅客間棟の登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。

評価の軸は仕事の質にある。文化庁の解説は、檜や欅の良材と銘木を用い、丁寧な仕事で仕上げた書院造と記す。良材を使うこと自体は資力があれば可能だが、それを破綻なく組み上げる手を確保できるかは別の問題で、大正期の地方でこの水準を出せた例は多くない。

客間棟と奥座敷は、京都の宮大工が手がけたと伝えられている。伝承であって確定した事実ではないが、仕上がりの水準がその伝承を呼び込んだことは想像がつく。

見どころ

久恒家住宅客間棟の特徴として挙げられるのが、室内の高さである。近代和風の住宅は天井を高く取る傾向があり、この棟もその例に漏れない。加えて高窓を多用する。天井近くに窓を設ければ、隣棟や塀に囲まれていても光が落ちる。

高窓は外からも読める。妻面の上部や側面の軒下に開口が並んでいれば、それが高窓である。内部に入れない見学者にとって、室内の明るさを推し量る手がかりになる。

銅板が使われているのは、おそらく谷や庇など雨仕舞いの難しい部分である。瓦の赤褐色の中に緑青の帯が混じって見えれば、その位置が銅板であることが分かる。

見学方法

久恒家住宅客間棟は非公開である。敷地の中央に建つため、外周の公道からは屋根の上部が塀越しに見える程度にとどまる。内部の書院や銘木の造作を見る手立ては、現在のところ案内されていない。

東側の公道からは、正門と長屋門の背後に客間棟の屋根が重なって見える位置がある。L字の折れと二つの妻面を同時に読むのは難しいが、屋根の稜線が複数走っていることは分かる。

撮影は公道からに限り、門の内側や窓に向けるのは控えたい。屋敷への行き方と見学の条件は久恒家住宅のページにまとめてある。

よくある質問

Q久恒家住宅客間棟は内部を見学できますか。
Aできません。個人の所有で非公開であり、敷地にも立ち入れません。外観を公道から見るかたちになります。
Q久恒家住宅客間棟はどんな建物ですか。
A大正13年、西暦1924年建設の木造平屋建で、建築面積は80平方メートルです。L字型の棟に入母屋造の妻面を南と東につくり、東妻面の下に玄関を設けています。
Q久恒家住宅客間棟は誰が造ったと伝えられていますか。
A京都の宮大工が手がけたと伝えられています。奥座敷についても同じ伝承があります。確定した記録ではなく、伝承として扱われています。
Q久恒家住宅客間棟の室内はどのような造りですか。
A檜や欅の良材と銘木を用いた書院造です。近代和風らしく天井が高く、高窓を多く設けて光を取り込んでいます。
Q久恒家住宅客間棟の屋根はなぜ複雑に見えるのですか。
A棟がL字型に折れ、入母屋造の妻面を南と東の二方向につくり、東妻面の下にさらに入母屋造の玄関が付くためです。瓦葺の一部に銅板を併用しています。

基本データ

名称久恒家住宅客間棟
所在地大分県中津市大字上宮永3-1
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年平成13年(2001年)8月28日登録
員数1棟
寸法木造平屋建、瓦一部銅板葺、建築面積80平方メートル
所有者個人
公開状況非公開。公道からの外観見学のみ

参考文献

国指定文化財等データベース 久恒家住宅客間棟(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00002328
中津市の文化財について(中津市)
https://www.city-nakatsu.jp/doc/2024101700025/
国指定・選定等文化財一覧(大分県)
https://www.pref.oita.jp/kyoiku/tmp/bunka/post-101/1.pdf

最終更新日: 2026.09.14