経王殿の西に建つ明治初期の社
妙教寺末廣天王社は、岡山市北区高松稲荷の最上稲荷山妙教寺(最上稲荷)で、旧本殿の霊応殿のうち経王殿の西側に東を向いて建つ明治12年(1879年)の一間社で、昭和54年(1979年)に移築され、平成21年(2009年)1月8日に国の登録有形文化財に登録された。七十七末社の一つである。
妙教寺の登録有形文化財33件のなかで、妙教寺末廣天王社より古いのは文久2年(1862年)の鐘楼と明治3年(1870年)の秀義天王社だけである。岡山市教育委員会の紹介記事は、大工として秋山鉄五郎の名を挙げている。名古屋の青山長七が霊応殿の拝殿・前殿を建てる7年前の仕事にあたる。
板支輪と持ち出した妻
社殿は小規模な一間社流造の檜皮葺で、建築面積は0.65平方メートル。切石積の基壇の上に土台を置き、柱を建てる。
身舎は円柱を切目長押・内法長押・頭貫と薄い台輪で固め、組物は板支輪付の出組とする。出組は柱の上で一段外へ持ち出す組物で、その上の軒裏を板の支輪でふさいでいる。妻も一段外へ持ち出す。
文化庁の解説は、彫刻装飾が限定的で質実な意匠にまとめていると評している。のちの大正期の末社が組物や彫刻を競うように重ねたのに比べ、妙教寺末廣天王社は明治初期の落ち着いた作風をとどめている。
見どころと見学
妙教寺末廣天王社は経王殿の西側にあり、東を向いて経王殿と向き合うように建つ。すぐ南に秀義天王社が並ぶ。外観はいつでも見学でき、拝観料はかからない。社殿の内部は公開されていない。
出組の上の板支輪と、一段持ち出した妻の重なりを横から見たい。南隣の秀義天王社とあわせて見ると、明治初期の末社の二つの作例を比べられる。参拝時間と行き方は最上稲荷山妙教寺のページにまとめてある。
Q&A
- 妙教寺末廣天王社はどこにありますか。
- 旧本殿の霊応殿のうち経王殿の西側に、東を向いて建っています。
- 妙教寺末廣天王社はいつ建てられましたか。
- 明治12年(1879年)の建築で、昭和54年(1979年)に移築されています。
- 妙教寺末廣天王社の特徴は。
- 板支輪付出組とし、妻を一段持ち出す一間社流造で、彫刻を限定した質実な意匠です。
- 妙教寺末廣天王社を建てたのは誰ですか。
- 岡山市教育委員会の紹介記事によれば、秋山鉄五郎です。
- 妙教寺末廣天王社の大きさは。
- 建築面積0.65平方メートルの小規模な社殿です。
基本データ
| 名称 | 妙教寺末廣天王社(みょうきょうじすえひろてんのうしゃ) |
|---|---|
| 所在地 | 岡山県岡山市北区高松稲荷712 |
| 指定区分 | 国登録有形文化財(建造物) 登録番号33-0192 |
| 指定年 | 平成21年(2009年)1月8日登録 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造平屋建、一間社流造檜皮葺、建築面積0.65平方メートル |
| 所有者 | 宗教法人最上稲荷山妙教寺 |
| 公開状況 | 外観は境内で自由に見学可(拝観無料)、内部は非公開 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)— 妙教寺末廣天王社
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00007575
- 岡山市 — 遺跡紹介:岡山市の近代化遺産3 最上稲荷妙教寺の近代和風建築(安川満)
- https://www.city.okayama.jp/kankou/cmsfiles/contents/0000005/5279/000179262.pdf
- 最上稲荷 公式サイト — 七十七末社
- https://inari.ne.jp/facility/250/
- 最上稲荷 公式サイト — 旧本殿(霊応殿)
- https://inari.ne.jp/facility/252/
最終更新日: 2026.10.01