学校開校の年から立つ正門
岡山市街の校地の西辺に沿って低い石積がめぐり、その一画が四本の角石柱を通して構内へと開いている。この正門が築かれたのは明治三十三年(一九〇〇年)、第六高等学校が最初の生徒を迎えた年で、敷地内の登録建造物のなかでは最も古い。以来一世紀あまり、ここは公道と学びの場とを分かつ境となり、幾世代もの生徒が入学と卒業の日にこの石柱のあいだを通ってきた。
門はすべて切石で組まれている。矩形の石柱を四本立て、中央間を四・二メートル、両脇の間を約一・五メートルとし、各間に木の扉を開く。さらにその両側には通用門が設けられている。装飾を抑えた四角い構えは、明治期の官立校がおのれの格にふさわしいと考えた、節度ある入口のかたちである。
一キロを超える石積
正門は、より長い仕事の目に見える要にすぎない。登録の対象には校地を囲う石積も含まれ、その総延長は一、〇三二メートル、高さは約一・五メートルにおよぶ。一キロを超える石の連なりは校地のほぼ全周をたどり、周囲の街並みのなかに学校の輪郭を長く保ってきた。
この石積は、積み方をじっくり見るほど面白い。用いられているのは割石で、二通りの積み方が併用されている。ある区間では石を斜めに据える谷積とし、目地が菱形の格子を描く。別の区間では水平に段を重ねる布積とする。歩きながら壁面を読んでいくと、一方の技法がもう一方へと切り替わる箇所を見つけられる。
正門と石積が登録された理由
正門と石積はともに、平成二十三年(二〇一一年)一月の第六十九回登録で、登録番号33-0238として国の登録有形文化財(建造物)に登録された。この制度は地域の歴史的景観に寄与する建造物を顕彰するものだが、ここでの寄与はことのほか直接的である。第六高等学校は明治三十三年、勅令によって設けられた、当時としては最初のまったく新規の高等学校で、運動部の強さと、卒業生を帝国大学へ送り出す進学実績とで知られた。
昭和二十年(一九四五年)六月の空襲が校舎を焼いたとき、石造の正門と石積は石造ゆえにおおむね無事に残った。昭和二十四年に学校は岡山大学へ、校地は現在の高等学校へと引き継がれ、これらの石の構築物は創立期へとさかのぼる最も連続的な手がかりとして残された。平成元年ごろに補修が施されているが、正門と石積は古い伝統校としての風格を保っている。公道に面しているため、構内に入らずとも通行人が眺められる、登録四件のなかで唯一の存在でもある。
Q&A
- 正門はどのくらい古いのですか。
- 明治三十三年(一九〇〇年)、第六高等学校の創立の年に築かれており、校内の登録四件のなかで最も古い建造物です。
- 石積はどれくらいの長さですか。
- 登録対象の石積は総延長一、〇三二メートル、高さは約一・五メートルで、校地のほぼ全周をめぐっています。
- 二種類の積み方とは何ですか。
- 石を斜めに据えて菱形の目地を描く谷積と、水平に段を重ねる布積です。いずれも割石を用いています。
- 学校に入らずに正門を見られますか。
- 見られます。正門と石積は公道に面しており、外から眺められます。現役の学校ですので、構内には立ち入らず公道からご覧ください。
- 中央の開口はどのくらいの幅ですか。
- 内側の二本の石柱のあいだの中央間が四・二メートル、両脇の間が約一・五メートルで、各間に木の扉を備えています。
基本情報
| 名称 | 岡山県立岡山朝日高等学校(旧第六高等学校)正門及び石積 |
|---|---|
| 所在地 | 岡山県岡山市中区古京町2-80-2他 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) 登録番号33-0238 |
| 登録年月日 | 平成23年(2011年)1月26日 第69回登録 |
| 年代 | 明治33年(1900年) 昭和前期・平成元年改修 |
| 員数・規模 | 1基 正門は石造・間口4.1m(両側通用門付)、石積は石造・延長1032m |
| 所有者 | 岡山県 |
| 公開状況 | 正門・石積は公道から見学可。校地は現役の高等学校 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース 岡山県立岡山朝日高等学校(旧第六高等学校)正門及び石積
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00008570
- 第六高等学校 (旧制) ウィキペディア
- https://ja.wikipedia.org/wiki/第六高等学校_(旧制)
最終更新日: 2026.06.25