火に耐えるべく築かれた明治の煉瓦塔
校地の北辺、新しい鉄筋コンクリートの相棒と並んで、明治三十五年(一九〇二年)の小ぶりな煉瓦塔が立っている。第六高等学校の蔵書を収めた二棟の書庫のうち年長のほうで、石造の正門に次いで、校内の登録建造物では二番目に古い。学校が開いたのはわずか二年前の明治三十三年。卒業生を帝国大学へ送り出す官立の旧制高等学校として発足したばかりのこの学校を整えるために建てられた建物のひとつが、この書庫である。
塔は桁行九・三メートル、梁間七・四メートル、三階建てで、屋根は切妻造の桟瓦葺とする。建築面積は六八平方メートルと小さい。煉瓦の壁は煉瓦の基礎の上に立ち、頭上の小屋組は洋小屋を組む。全体が堅牢につくられている。火が図書館の絶えざる敵であった時代の、紙のための金庫である。
防火書庫のディテール
近づいて見ると、東書庫はその目的にかなった理屈をあらわにする。煉瓦の表面はモルタルで仕上げられ、各階の高さに合わせてコーニスが三筋ずつめぐり、簡素な塔に整った段の律動を与えている。窓は均等な間隔に配され、鉄格子がはめられている。侵入と延焼の双方を防ぐためである。日々の快適さよりも、収めたものを長く守ることを優先して設計された建物の証である。
昭和五年(一九三〇年)に鉄筋コンクリートの西書庫が増築されたとき、その設計者はこの古い建物にあえて呼応し、コーニスや窓の律動をそろえ、同じく煉瓦造の基礎の上に据えた。言いかえれば、東書庫が先に範を示し、年下の相棒がそれにならったのである。昭和前期・昭和中期、そして昭和六十年の改修は、煉瓦の性格を変えることなく健全さを保ってきた。
残った理由と、その意味するもの
東書庫は平成二十三年(二〇一一年)一月の第六十九回登録で、登録番号33-0236として国の登録有形文化財に登録された。地域の歴史的景観に寄与する近代建造物を顕彰する制度で、西書庫・柔道場・石造の正門とともに、もとの第六高等学校から残る四件として登録された。
そもそも残ったこと自体が、いかに建てられたかと深く結びついている。昭和二十年(一九四五年)六月の空襲は学校の木造校舎と寄宿舎を焼いた。火に耐えるよう築かれた煉瓦の書庫は、その性質ゆえに最も焼け残りやすい建物のひとつであり、現にそうなった。昭和二十四年に学校は岡山大学へ統合され、跡地は現在の高等学校となったが、この明治の煉瓦塔はいまも校地の端に位置を保っている。校地は現役の学校に属するため書庫を見学することはできないが、公道沿いの登録対象の正門と石積は外から見ることができる。
Q&A
- 東書庫はどのくらい古いのですか。
- 明治三十五年(一九〇二年)の建築で、二棟の書庫のうち年長にあたり、明治三十三年の正門に次いで校内で二番目に古い登録建造物です。
- 何でできていますか。
- 煉瓦造三階建てで外壁はモルタル塗、煉瓦の基礎の上に立ち、洋小屋の上に切妻造の桟瓦葺の屋根をのせています。
- 窓に鉄格子があるのはなぜですか。
- 均等に配した窓にはめた鉄格子は、蔵書を守り、延焼を抑えるためのもので、防火書庫としての役割にかなっています。
- 西書庫とはどんな関係ですか。
- 二棟は並んで建ちます。後の昭和五年の鉄筋コンクリート造の西書庫は、この古い煉瓦造に調和するよう、コーニスや窓の配置をそろえて設計されました。東書庫が一対の範を示したかたちです。
- 見学はできますか。
- できません。現役の高等学校の構内にあり、一般公開はされていません。通りに面した登録対象の正門と石積は、構内に入らずとも外から見られます。
基本情報
| 名称 | 岡山県立岡山朝日高等学校(旧第六高等学校)東書庫 |
|---|---|
| 所在地 | 岡山県岡山市中区古京町2-200-2 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) 登録番号33-0236 |
| 登録年月日 | 平成23年(2011年)1月26日 第69回登録 |
| 年代 | 明治35年(1902年) 昭和前期・昭和中期・昭和60年改修 |
| 員数・規模 | 1棟 煉瓦造3階建、瓦葺、建築面積68平方メートル |
| 所有者 | 岡山県 |
| 公開状況 | 現役の高等学校構内につき非公開 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース 岡山県立岡山朝日高等学校(旧第六高等学校)東書庫
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00008568
- 第六高等学校 (旧制) ウィキペディア
- https://ja.wikipedia.org/wiki/第六高等学校_(旧制)
最終更新日: 2026.06.25