本坊庭園の奥に建つ茅葺の御座所

金剛寺本坊奥殿は、大阪府河内長野市天野町の天野山金剛寺本坊にある大正2年(1913年)建築の建物で、平成29年(2017年)6月28日に国の登録有形文化財に登録された。本坊の庭園の奥に、入母屋造の茅葺屋根を見せて建つ。

本坊は金剛寺の寺務の中心で、その敷地はかつての子院、中院と観蔵院の跡にあたる。観蔵院は、南北朝時代の正平9年(1354年)から約3年のあいだ、北朝の光厳・光明・崇光の三上皇が留め置かれた場所として知られる。寺は金剛寺本坊奥殿を、この三上皇の御座所とされた場所として紹介している。

いま建っている建物は大正時代のものである。中世の出来事を伝える場所に、近代になって改めて御座所の形を整えた建築といえる。

18畳の間を中心にした大規模な御座所

金剛寺本坊奥殿の登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。文化庁の解説は、大規模な御座所の遺例と位置づけている。

規模は桁行5間、梁間4間で、建築面積は284平方メートル。屋根は入母屋造の茅葺で、まわりの庇だけを桟瓦葺とする。内部は18畳の間を中心に2列6室を並べ、その外側に1間幅の畳敷きの縁を廻らせる。南東の隅には浴室などを収めた附属屋が付く。

天井は、御座の間だけを格天井とし、ほかの部屋はすべて棹縁天井に統一した。貴人の座る一室にだけ格の高い天井を用いた書き分けから、この建物が御座所として計画されたことが読み取れる。

南北朝の記憶と大正の建築

寺の保存活用計画は、本坊の一帯を南北朝の歴史と深く結びついた場所として扱い、金剛寺本坊奥殿を「北朝行在所」と記す。さらに奥殿を、本坊の渡廊下や大玄関、天野川東岸の大講堂などとともに、南朝ゆかりの地の顕彰や戦前・戦中の国民教化にかかわる構成要素の一つに数えている。

時系列を整理すると、明治44年(1911年)に中院などが金剛寺へ合併され、その2年後に奥殿が建てられた。昭和9年(1934年)には、本坊(観蔵院)や摩尼院を含む境内が史跡に指定されている。

茅葺の大屋根と瓦葺の庇の取り合わせは、庭園の木立越しに眺めると輪郭がよくわかる。

金剛寺本坊奥殿の見学

金剛寺本坊奥殿は本坊の拝観範囲にあり、寺も境内の見どころの一つに挙げている。見学には、伽藍とは別に設けられた本坊の拝観券が要る。

文化庁の解説によれば、奥殿は渡廊下で大玄関とつながっている。庭を歩くときは、途中に四阿を置いた渡廊下の位置を意識すると、本坊の建物の並びがつかみやすい。建物内での撮影については受付で確かめてほしい。境内への行き方と拝観時間・料金は、天野山金剛寺のページにまとめてある。

Q&A

Q金剛寺本坊奥殿は拝観できますか?
A金剛寺本坊奥殿は本坊の拝観範囲に含まれ、伽藍とは別の本坊拝観券で見学します。料金と時間は天野山金剛寺のページにまとめています。
Q金剛寺本坊奥殿はいつ建てられましたか?
A文化庁の登録情報では大正2年(1913年)の建築です。
Q金剛寺本坊奥殿と北朝の三上皇にはどんな関係がありますか?
A本坊の敷地は、正平9年(1354年)から約3年間、北朝の光厳・光明・崇光の三上皇が留め置かれた観蔵院の跡にあたります。寺は奥殿をその御座所とされた場所として紹介していますが、現在の建物は大正時代のものです。
Q金剛寺本坊奥殿の建物にはどんな特徴がありますか?
A入母屋造茅葺で庇を桟瓦葺とし、18畳の間を中心に2列6室を並べて畳敷きの縁で囲みます。御座の間だけを格天井とする点が特徴です。
Q金剛寺本坊奥殿の天井で注目すべき点は何ですか?
A御座の間だけを格天井とし、ほかの部屋をすべて棹縁天井にそろえている点です。貴人の座る一室を天井で区別しており、御座所として計画されたことがわかります。

基本情報

名称金剛寺本坊奥殿(こんごうじほんぼうおくでん)
所在地大阪府河内長野市天野町995
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年2017年(平成29年)
員数1棟
寸法木造平屋建、茅葺一部瓦葺、建築面積284平方メートル、桁行5間・梁間4間
所有者宗教法人天野山金剛寺
公開状況本坊の拝観範囲で見学可(有料)

参考文献

最終更新日: 2026.09.15