袴腰をまとった金剛寺鐘楼

金剛寺鐘楼は、大阪府河内長野市天野町の天野山金剛寺にある室町時代前期(1333〜1392年)の鐘楼で、明治40年(1907年)5月27日に国の指定を受けた重要文化財である。

寺の保存活用計画によれば、金剛寺鐘楼は中心伽藍のなかで金堂の北東側に建つ。梵鐘を吊る上層の下に、裾の広がった壁で囲った下層を設けた形で、この囲いを袴腰と呼ぶ。外からは二階建てのように見え、計画も「重層」と記している。

室町時代前期という年代は、南北朝の争いのなかで金剛寺が南朝の行宮となった時期と重なる。

桁行三間・梁間二間の金剛寺鐘楼

文化庁の記載では、金剛寺鐘楼は桁行3間、梁間2間で、袴腰が付き、屋根は入母屋造の本瓦葺である。

袴腰は柱を四方から包むように下層を覆うので、柱が露出した吹き放ちの鐘楼とは印象が大きく異なる。足もとの広がった壁が、瓦屋根の重さを受け止めているように見える。

明治40年(1907年)の指定は、当時の古社寺保存法による特別保護建造物としてのものだった。昭和25年(1950年)8月29日に文化財保護法が施行され、金剛寺鐘楼は重要文化財となった。

修理を重ねてきた金剛寺鐘楼

計画の建物一覧によると、金剛寺鐘楼は慶長11年(1606年)に大修理を受け、元禄13年(1700年)8月、天保12年(1841年)、昭和13年(1938年)に根本的な修理が行われた。昭和14年(1939年)と平成3年(1991年)には解体修理の記録もある。

最も新しいのは平成21年(2009年)から平成29年(2017年)の保存修理で、金堂・多宝塔とあわせて行われた。寺の公式サイトによれば、平成28年(2016年)7月には鐘楼の屋根工事が進み、本瓦葺がほぼ葺き上がっていた。

中世に建った鐘楼が、江戸時代から平成まで繰り返し手を入れられながら使われてきたことが、一覧から読み取れる。

金剛寺鐘楼の見学

金剛寺鐘楼は中心伽藍の拝観範囲にあり、伽藍の拝観券で外観を見学できる。金堂の北東へ回ると、袴腰の裾の広がりと入母屋造の本瓦屋根を近くで見られる。

鐘をつけられるか、上層に上がれるかについて寺の公式サイトに案内はないので、現地の指示に従いたい。撮影の可否も受付で確かめてほしい。境内への行き方と拝観時間・料金は、天野山金剛寺のページにまとめてある。

Q&A

Q金剛寺鐘楼は見学できますか?
A金剛寺鐘楼は伽藍の拝観範囲にあり、外観を見られます。鐘をつけられるか、上に上がれるかは寺に確認してください。
Q金剛寺鐘楼はいつ建てられましたか?
A文化庁の記録では室町時代前期(1333〜1392年)です。
Q金剛寺鐘楼の袴腰とは何ですか?
A鐘を吊る上層の下を、裾の広がった壁で囲った部分です。金剛寺鐘楼はこの袴腰を備え、外観は二階建てのように見えます。
Q金剛寺鐘楼はどのように修理されてきましたか?
A慶長11年(1606年)の大修理以来、元禄13年(1700年)や天保12年(1841年)などに修理され、平成21年(2009年)から平成29年(2017年)に保存修理が行われました。
Q金剛寺鐘楼はいつ重要文化財になりましたか?
A明治40年(1907年)5月27日に国の指定を受け、昭和25年(1950年)8月29日の文化財保護法施行で重要文化財となりました。

基本情報

名称金剛寺鐘楼(こんごうじしょうろう)
所在地大阪府河内長野市天野町
指定区分重要文化財(建造物)
指定年1907年(明治40年)
員数1棟
寸法桁行3間・梁間2間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺
所有者金剛寺
公開状況伽藍の拝観範囲で外観を見学可(有料)

参考文献

最終更新日: 2026.09.21