平安後期にさかのぼる金剛寺多宝塔

金剛寺多宝塔は、大阪府河内長野市天野町の天野山金剛寺にある平安時代後期(1086〜1184年)の多宝塔で、明治40年(1907年)5月27日に国の指定を受けた重要文化財である。

塔は中心伽藍のなかで金堂の南側に建つ。多宝塔は、方形の下層の上に円形の塔身を載せ、その境を白い饅頭形の亀腹で包む二層の塔で、密教の寺院で多く建てられてきた形式である。

年代について、寺の保存活用計画は、建久2年(1191年)に塔の修造料が寄進された記録を手がかりに挙げる。阿観が伽藍を整えたこの時期に、金剛寺多宝塔を含む現在の伽藍の原型ができたと計画は考えている。

三間多宝塔とこけら葺の屋根

文化庁の記載は、金剛寺多宝塔の形式を三間多宝塔、屋根をこけら葺とする。三間は下層の各面に柱間が3つあることを示し、こけら葺は薄く割った木の板を少しずつずらして重ねる葺き方である。

檜皮や瓦に比べて軒先が薄く、上下2つの屋根の輪郭は軽やかに見える。二層目の円い塔身と四角い屋根の取り合わせも、この形式の特徴である。

明治40年(1907年)の指定は、当時の古社寺保存法による特別保護建造物としてのものだった。昭和25年(1950年)8月29日に文化財保護法が施行され、金剛寺多宝塔は重要文化財となった。

極彩色の初層と修理の積み重ね

寺の案内によると、金剛寺多宝塔の初層内部には大日如来が安置され、極彩色で仏の世界が描かれている。本尊の木造大日如来坐像は鎌倉時代の作で、寺は光背と三十七尊の化仏、台座の蓮華部が造立当初の姿をとどめると説明する。

平成大修理では、平成24年(2012年)8月に内部の柱に描かれた仏画の剥落止めが行われた。寺の公式サイトは、処理の前と後を並べた写真を公開している。

計画の建物一覧によれば、金剛寺多宝塔は慶長10年から慶長11年(1605〜1606年)に根本的な大修理を受け、嘉永4年(1851年)に上層屋根の軒付の一部が直された。昭和13年(1938年)には根本修理があり、昭和30年(1955年)と昭和47年(1972年)に屋根が修理されている。最近では平成21年(2009年)から平成29年(2017年)にかけて、金堂・鐘楼とともに保存修理を終えた。

金剛寺多宝塔の見学

金剛寺多宝塔は中心伽藍の拝観範囲にあり、伽藍の拝観券で外観を見学できる。少し離れて見上げると、方形の下層、白い亀腹、円形の塔身、こけら葺の屋根という重なりがよく読み取れる。

初層の内部に入れるか、内部の彩色や大日如来坐像を拝めるかは時期によって変わりうるので、受付で尋ねたい。撮影の可否も同じく受付で確かめてほしい。境内への行き方と拝観時間・料金は、天野山金剛寺のページにまとめてある。

Q&A

Q金剛寺多宝塔の中は見られますか?
A寺の案内では、金剛寺多宝塔の初層内部に大日如来が安置され、極彩色の仏画が描かれています。内部を拝観できるかどうかは受付で確認してください。
Q金剛寺多宝塔はいつ建てられましたか?
A文化庁の記録では平安時代後期(1086〜1184年)です。寺の保存活用計画は、建久2年(1191年)に修造料が寄進された記録を年代の手がかりに挙げています。
Q金剛寺多宝塔の屋根は何で葺かれていますか?
Aこけら葺です。薄い木の板を重ねて葺いた屋根で、文化庁は形式を三間多宝塔と記しています。
Q金剛寺多宝塔はいつ修理されましたか?
A慶長10年から慶長11年(1605〜1606年)の大修理、昭和13年(1938年)の根本修理などを経て、平成21年(2009年)から平成29年(2017年)に保存修理が行われました。
Q金剛寺多宝塔はいつ重要文化財になりましたか?
A明治40年(1907年)5月27日に国の指定を受け、昭和25年(1950年)8月29日の文化財保護法施行で重要文化財となりました。

基本情報

名称金剛寺多宝塔(こんごうじたほうとう)
所在地大阪府河内長野市天野町
指定区分重要文化財(建造物)
指定年1907年(明治40年)
員数1基
寸法3間多宝塔、こけら葺
所有者金剛寺
公開状況伽藍の拝観範囲で外観を見学可(有料)

参考文献

最終更新日: 2026.09.21