中心伽藍の入口に立つ金剛寺楼門

金剛寺楼門は、大阪府河内長野市天野町の天野山金剛寺にある鎌倉時代後期(1275〜1332年)の楼門で、明治40年(1907年)5月27日に国の指定を受けた重要文化財である。

金剛寺楼門は境内の入口に立ち、中心伽藍への正面の門となっている。文化庁の記載によれば、門の南には元禄13年(1700年)の築地塀が延長108.0メートルにわたって続き、伽藍の外周を画している。

寺の歴史は、平安時代の末に阿観が金堂や多宝塔、食堂とともに楼門を再興したと伝える。いま立つ門は、文化庁の記録では鎌倉時代後期のものである。

三間一戸の楼門という形式

文化庁の記載では、金剛寺楼門は三間一戸の楼門で、屋根は入母屋造の本瓦葺である。三間一戸は正面の柱間が3つあり、そのうち中央の1間を通路とする形をいう。

楼門は2階建ての門のうち、下層には屋根を設けず、上層にだけ屋根をかけるものを指す。上下に屋根を重ねる二重門とはここが違う。金剛寺楼門を見上げると、下層の上に直接上層が載り、屋根は最上部の入母屋造ひとつだけであることが分かる。

指定には棟札1枚が附として含まれる。寺の案内によれば、門には増長天と持国天の二天像が安置され、寺を守っている。

明治40年(1907年)の指定は、当時の古社寺保存法による特別保護建造物としてのものだった。昭和25年(1950年)8月29日の文化財保護法施行で、金剛寺楼門は重要文化財となった。

修理の記録と門前の標石

計画の建物一覧によると、金剛寺楼門は慶長10年(1605年)に大修理を受け、元禄13年(1700年)にも修理された。近代に入ってからは、昭和28年(1953年)に半解体修理が行われている。

門の前には石の標柱が立つ。寺の保存活用計画によると、昭和9年(1934年)に境内が国の史跡となったのを受け、昭和13年(1938年)に文部省の補助金で「史蹟 金剛寺境内」と刻んだ標石柱が金剛寺楼門の前に建てられた。

金剛寺楼門の見学

伽藍の拝観では、金剛寺楼門をくぐって中心伽藍に入る。門の外から見上げると、上層の軒と入母屋屋根の輪郭がよく分かる。門前の標石柱もあわせて見ておきたい。

二天像がどのように拝めるか、撮影してよいかは受付で確かめてほしい。境内への行き方と拝観時間・料金は、天野山金剛寺のページにまとめてある。

Q&A

Q金剛寺楼門には何が安置されていますか?
A寺の案内によると、金剛寺楼門には増長天と持国天の二天像が安置されています。
Q金剛寺楼門はいつ建てられましたか?
A文化庁の記録では鎌倉時代後期(1275〜1332年)です。
Q金剛寺楼門の「三間一戸」とはどういう意味ですか?
A正面の柱間が3つあり、中央の1間を通路とする形式です。金剛寺楼門は2階建てで、上層にだけ入母屋造・本瓦葺の屋根をかけています。
Q金剛寺楼門の前にある石の標柱は何ですか?
A寺の保存活用計画によると、昭和13年(1938年)に建てられた「史蹟 金剛寺境内」の標石柱です。
Q金剛寺楼門はいつ重要文化財になりましたか?
A明治40年(1907年)5月27日に国の指定を受け、昭和25年(1950年)8月29日の文化財保護法施行で重要文化財となりました。

基本情報

名称金剛寺楼門(こんごうじろうもん)
所在地大阪府河内長野市天野町
指定区分重要文化財(建造物)
指定年1907年(明治40年)
員数1棟
寸法3間1戸楼門、入母屋造、本瓦葺
所有者金剛寺
公開状況中心伽藍の入口として外観を見学可

参考文献

最終更新日: 2026.09.21