日野から運ばれた主屋

桁行二七メートル、北東面を正面とするこの主屋は、はじめから藤居本家の敷地にあったわけではない。もとは南の日野町にあった中村源左衛門家の主屋で、昭和三〇年代(一九五五〜六四年頃)に解体され、愛荘町長野の現在地へ移された。木造の軸組は組み直しを前提に造られており、大規模な建物でも移築そのものは特別なことではない。ただし建築面積三二八平方メートルという規模を保ったまま移した点に、この家の来歴が表れている。

建設は大正五年(一九一六年)頃とされる。座敷部は二列三室の六間取りで、移築後もその平面構成は保たれた。全体にたちが高く、後述する土間の架構とあわせて、江戸期の民家とは違う近代の感覚がうかがえる。

入母屋と切妻が分ける空間

屋根を見れば、この家の使い分けがわかる。客を迎え、暮らしの中心となる座敷部には格の高い入母屋造をかけ、作業や炊事の場である土間部には棟を一段落とした切妻造をあてる。棟の高さが視覚的に切り替わることで、接客の家と働く家が外観から読み取れる。

土間内部の架構は端整で、柱と梁の組み方に無駄がない。装飾に流れず構造をそのまま見せる造りは、大正期の住宅意匠に通じる。平成一二年(二〇〇〇年)一二月、造形の規範となるものとして登録有形文化財に登録された。

訪ねるときの視点

藤居本家は現在も「旭日」を醸す蔵元であり、主屋は資料館ではなく操業中の酒造場の一角に建つ。予約制の蔵見学が無料で行われており、この主屋や背後の土蔵群もその動線に含まれる。住まいとして使われているため内部は常時公開ではなく、外観からの観察が中心になる。

北東の正面に立ち、棟が土間側へ落ちていく流れを目で追ってほしい。年代のわりに高い軒の位置は、大正期の住宅観をうかがう手がかりになる。ここから煉瓦煙突や漆喰塗りの土蔵群までは目と鼻の先で、登録有形文化財がまとまって残る敷地の全体像がつかめる。

Q&A

Qこの主屋はもともと愛荘町にあったのですか。
Aいいえ。もと日野町の中村源左衛門家の主屋で、昭和三〇年代(一九五五〜六四年頃)に現在地へ移築されました。
Q内部は見学できますか。
A操業中の蔵元の住宅であり、常時公開ではありません。藤居本家では無料の蔵見学を予約制で受け付けていますが、内部の公開範囲は事前に確認することをおすすめします。
Q屋根の高さが途中で変わるのはなぜですか。
A格の高い入母屋造の座敷部に対し、土間部は棟を落とした切妻造とするためです。棟の段差が接客部と作業部の境になります。
Qいつ、どのような理由で登録されたのですか。
A平成一二年(二〇〇〇年)一二月、造形の規範となるものとして登録有形文化財に登録されました。
Q藤居本家はどんな蔵元ですか。
A天保二年(一八三一年)創業の造り酒屋で、代表銘柄「旭日」で知られます。新嘗祭の御神酒(白酒)を宮中へ献上してきたと伝わります。

基本情報

名称藤居本家住宅主屋(ふじいほんけじゅうたくしゅおく)
所在地滋賀県愛知郡愛荘町長野792
指定区分登録有形文化財(建造物)
登録年月日平成12年(2000年)12月4日
員数1棟
構造木造2階建、瓦葺、建築面積約328㎡
年代大正5年(1916年)頃/昭和30年代に移築
登録基準造形の規範となっているもの
交通JR稲枝駅からタクシー約6分/近江鉄道愛知川駅から徒歩約15分
所有・運営藤居本家(造り酒屋)

参考文献

蔵元 藤居本家 — 公式サイト
https://www.fujiihonke.jp/
文化庁 国指定文化財等データベース — 藤居本家住宅主屋
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00002049
滋賀県観光情報 — 藤居本家
https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/1075/

最終更新日: 2026.07.04