紫香楽宮跡とは:聖武天皇が造営した離宮の跡
紫香楽宮跡(しがらきのみやあと)は、滋賀県甲賀市信楽町にある、奈良時代に聖武天皇が造営した紫香楽宮の跡で、大正15年(1926年)10月20日に国の史跡に指定された。
文化庁の記録では、指定基準は「都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡」にあたり、所在地は甲賀市信楽町の横瀬・牧・宮町にわたる。
文化庁の記録によると、平成17年(2005年)、平成22年(2010年)、平成27年(2015年)、令和4年(2022年)に追加指定が行われている。
紫香楽宮跡の歴史
文化庁の指定時の説明によると、聖武天皇が天平14年(742年)8月に造宮卿の智努王らに造営させた宮で、はじめは離宮だったが、一時皇居となったことがある。天平17年(745年)5月に宮の物を他に移し、ついに廃宮となった。
指定時の説明によると、南を向いた丘陵の上に土塁や礎石などが残り、よく旧規模をうかがうことができる。
紫香楽宮跡の見どころ
紫香楽宮は、天平年間に都が恭仁京、難波宮、紫香楽宮と移り変わった時期の宮の一つである。文化遺産オンラインには、史跡紫香楽宮跡の宮町地区から出土した歌木簡と歌墨書土器も記録されている。
指定当初からの範囲に加えて追加指定が重ねられ、宮町を含む範囲が史跡となっている。
紫香楽宮跡の見学方法
見学の条件についての公的な案内は確認できなかった。史跡を傷つけないよう注意して見学したい。
問い合わせは甲賀市教育委員会へ。
Q&A
- 紫香楽宮跡はいつ史跡に指定されましたか?
- 大正15年(1926年)10月20日に指定され、その後追加指定が重ねられています。
- 紫香楽宮を造営したのは誰ですか?
- 聖武天皇が、天平14年(742年)に造宮卿の智努王らに造営させました。
- 紫香楽宮はいつ廃宮になったのですか?
- 天平17年(745年)5月です。
- 紫香楽宮跡には何が残っていましたか?
- 指定時の説明では、丘陵の上に土塁や礎石などが残っていました。
- 紫香楽宮跡の読み方は?
- 「しがらきのみやあと」と読みます。
基本情報
| 名称 | 紫香楽宮跡(しがらきのみやあと) |
|---|---|
| 所在地 | 滋賀県甲賀市信楽町(横瀬・牧・宮町) |
| 指定区分 | 史跡 |
| 指定年 | 大正15年(1926年)10月20日指定 |
| 員数 | 文化庁データベースに記載なし |
| 寸法 | 文化庁データベースに記載なし |
| 所有者 | 管理団体:滋賀県 |
| 公開状況 | 公的な見学案内は確認できず |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「紫香楽宮跡」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/1560
- 文化遺産オンライン「紫香楽宮跡」
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/201946
- 文化遺産オンライン「史跡紫香楽宮跡(宮町地区)歌木簡と歌墨書土器」
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/237761
最終更新日: 2026.09.29