中村家住宅石垣とは

中村家住宅石垣は、島根県江津市桜江町大貫にある庄屋の屋敷地を囲む延長125メートルの石積みで、江戸時代に築かれ、平成21年(2009年)1月8日に国の登録有形文化財に登録された。読みは「なかむらけじゅうたくいしがき」。員数は1基である。

中村家住宅の屋敷地は、東から北にかけてを山に囲まれている。中村家住宅石垣は、残る西から南にかけての二面に築かれ、山と石垣とで屋敷をぐるりと囲い込む形になっている。

乱積の石垣と流紋岩

中村家住宅石垣は乱積で積まれている。形や大きさのそろわない石を、段を通さずに組み合わせていく積み方で、石と石の噛み合わせで壁面を保つ。

高さは2〜3メートルで、南へ行くほど高くなる。南へ向かって地盤が下がっており、平らな屋敷地を確保するために南の石垣を高く積んだものと考えられる。

石の多くは地元で採れる流紋岩である。火山由来の硬い岩石で、近くで手に入る石を使って積み上げたことが、中村家住宅石垣の材料から分かる。

城戸道と屋敷の表構え

中村家住宅石垣の西の面には、「城戸道(きどみち)」と呼ばれる通路が設けられている。「城戸」は柵や門で区切られた出入口を指す言葉で、屋敷へ入る道が石垣のあいだを通る構えだったことが名前からうかがえる。

西は中村家住宅主屋が正面を向ける方角でもある。主屋の正面、城戸道、南ほど高くなる石垣が、この屋敷の表の顔をかたちづくっている。文化庁の解説は中村家住宅石垣を、庄屋の堂々たる屋敷構えを伝えるものと評している。

中村家住宅石垣の年代

中村家住宅石垣の年代について、文化庁のデータベースは年代欄に「江戸前期/江戸末期改修」と記す。島根県の登録有形文化財一覧も同じ年代を載せている。一方で、同じデータベースの西暦欄は築造と改修をともに「1830-1867」としており、年代欄と一致しない。

このため本記事では、築造を江戸前期、改修を江戸末期とする年代欄の記載に従った。いずれの記載でも、中村家住宅石垣が江戸時代のうちに形を整えていたことは共通しており、明治15年(1882年)の主屋より古い。屋敷の建物が建て替えられても、石垣は敷地の骨格として受け継がれてきたことになる。

中村家住宅石垣の見学

中村家住宅石垣は、屋敷の外側に面した西と南に築かれているため、中村家住宅の7件のなかでは外から目にしやすい。高さの変化は、西から南へ視線を移すと分かりやすい。

ただし屋敷は個人の住宅で、2026年9月の時点で公開の公式な案内は確認できなかった。城戸道は屋敷への通路であり、立ち入らないようにしたい。石垣に登ったり、石に触れたりすることも控えたい。屋敷への行き方は中村家住宅(江津市)のページにまとめてある。

Q&A

Q中村家住宅石垣の長さと高さはどれくらいですか?
A延長は125メートル、高さは2〜3メートルで、南へ行くほど高くなります。
Q中村家住宅石垣にはどんな石が使われていますか?
A多くは地元産の流紋岩です。形のそろわない石を組み合わせる乱積で積まれています。
Q中村家住宅石垣はいつ築かれましたか?
A文化庁のデータベースの年代欄では江戸前期の築造、江戸末期の改修とされています。ただし西暦欄は1830〜1867年としており、記載が一致していません。
Q中村家住宅石垣の城戸道とは何ですか?
A石垣の西の面に設けられた、屋敷へ通じる通路の呼び名です。
Q中村家住宅石垣は見られますか?
A屋敷の西と南の外周にあり、外から目にしやすい位置です。ただし個人の住宅で公開の案内はなく、城戸道や敷地には立ち入らないでください。

基本情報

名称中村家住宅石垣(なかむらけじゅうたくいしがき)
所在地島根県江津市桜江町大貫378-1
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年平成21年(2009年)登録
員数1基
寸法延長125m、高さ2〜3m(石積)
所有者非公表
公開状況公開情報なし(個人住宅の外周)

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)中村家住宅石垣
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00007552
文化遺産オンライン 中村家住宅石垣
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/120424
島根県 登録有形文化財(建造物)一覧
https://www.pref.shimane.lg.jp/life/bunka/bunkazai/shimane/tourokubunkazai2.html

最終更新日: 2026.09.29