平岡家住宅主屋とは

平岡家住宅主屋は、徳島県海部郡海陽町大里にある明治5年(1872年)建築の農家の主屋で、令和4年(2022年)に国の登録有形文化財に登録された。読みは「ひらおかけじゅうたくおもや」。平岡家住宅の5件の中心となる建物で、建築面積は120平方メートルある。年代は明治5年(1872年)で、昭和前期(1926〜1945年)にも手が入っている。

文化庁は平岡家住宅主屋を「造形の規範となっているもの」という基準で登録した。同じ屋敷の台所・納屋・西塀・南塀が景観への寄与で登録されたのに対し、5件のうちこの主屋だけが別の基準に拠っている。

2階建の外観と近世の間取り

平岡家住宅主屋の外観は、切妻造の平入で、四方に下屋を回し、外壁を下見板張とする。文化庁の解説は二階建と記し、データベースの構造欄は「木造平屋一部2階建」とする。平屋の上に2階を一部載せた姿と読める。

外から見れば明治の農家としては発展した形だが、内部の間取りは古い型を守っている。東側はもと広い土間で、西側の床上部は、部屋の境が前後でずれる食違いの四間取とする。表と奥の2列に2室ずつ並べる四間取りのうち、仕切りを揃えない形である。

文化審議会の答申資料は、平岡家住宅主屋について、2階建で外観は発展しているが間取りは当地方の近世民家の定型を継承すると評している。外の姿は明治、部屋の組み方は江戸、という二重の性格が、この主屋が造形の規範とされた理由である。

表座敷と中の間の玄関

床上部で格の高い部屋は、庭に面した表座敷である。床の間を備え、庭向きに濡縁を回す。この庭は、西の通り沿いに延びる西塀の石垣に囲まれている。

もう一つの特徴は玄関の位置である。平岡家住宅主屋では、床上部の中の間に幅一間(約1.8メートル)の玄関を設けている。土間から出入りする日常の動線とは別に、客を座敷へ迎えるための改まった入口だったとみられる。

文化庁のデータベースには、南から見た外観と1階表座敷の写真が載っている。内部に入れない以上、表座敷の床構えを確かめる手段は、いまのところこの写真に限られる。

平岡家住宅主屋の見学

平岡家住宅主屋は公開の案内がなく、内部は見学できない。正面の前には南塀が巡り、西の庭は石垣の西塀に囲まれているため、通りから主屋の全体を見渡すことは難しい。

撮影についての案内もない。塀越しに見える屋根や下屋の重なりを、敷地に入らずに眺める程度にとどめたい。行き方は平岡家住宅のページにまとめてある。

Q&A

Q平岡家住宅主屋は見学できますか?
A公開の案内はなく、内部は見学できません。塀に囲まれているため、外観も通りから一部が見える程度です。
Q平岡家住宅主屋はいつ建てられましたか?
A明治5年(1872年)の建築で、昭和前期(1926〜1945年)にも手が入っています。平岡家住宅の5件の中で最も古い年代です。
Q平岡家住宅主屋は何階建てですか?
A文化庁の解説は二階建とし、構造欄は木造平屋一部2階建としています。平屋に一部2階を載せた形です。
Q平岡家住宅主屋の間取りの特徴は?
A東側がもと広い土間、西側の床上部が食違いの四間取で、中の間に幅一間の玄関、庭向きに濡縁を回した床の間付きの表座敷を設けています。
Q平岡家住宅主屋はなぜ登録有形文化財になったのですか?
A2階建で外観は発展していながら、間取りが当地方の近世民家の定型を継承している点が評価され、「造形の規範となっているもの」として登録されました。

基本情報

名称平岡家住宅主屋(ひらおかけじゅうたくおもや)
所在地徳島県海部郡海陽町大里字飯持18
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年令和4年(2022年)登録
員数1棟
寸法建築面積120平方メートル(木造平屋一部2階建、瓦葺)
所有者非公表
公開状況公開の案内なし

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)平岡家住宅主屋
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00014294
文化遺産オンライン 平岡家住宅主屋
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/521574
文化庁 文化審議会の答申(登録有形文化財(建造物)の登録)令和4年3月18日(PDF)
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/pdf/93681601_01.pdf
徳島県 徳島県の文化財
https://www.pref.tokushima.lg.jp/ippannokata/kyoiku/bunka/7240152/

最終更新日: 2026.09.29