村野家住宅中雀門とは

村野家住宅中雀門は、東京都東久留米市柳窪4丁目にある大正後期(1919〜1926年)建築の内門で、平成23年(2011年)1月26日に国の登録有形文化財に登録された。読みは「ちゅうじゃくもん」。形式は柱間1間の腕木門で、切妻造の屋根を銅板葺とし、間口は1.5メートルある。

村野家住宅中雀門は、主屋と新蔵のあいだに設けた板塀の中ほどに開く。この塀が表の前庭と奥の庭を分けており、中雀門はその二つを行き来する通り口にあたる。屋敷の外に向いた表門の薬医門に対して、屋敷の内側を仕切る門である。

腕木で庇を支える軽い門

腕木門は、柱の上部に横から差し込んだ腕木で屋根の出を支える門で、控柱を持つ薬医門よりも簡素な形式である。村野家住宅中雀門は、1.5メートルの間口に両開きの板戸を吊る。

扉の上の楣(まぐさ)の上には格子の欄間を入れ、軒は垂木を1段だけ並べた一軒の疎垂木とする。文化庁の解説は、村野家住宅中雀門を華奢で上品な意匠と評している。

総欅造と、塀の下見板と漆喰

村野家住宅中雀門は、細身ながら欅でつくった総欅造である。細い部材を硬い欅で組むことで、軽やかな見た目と堅牢さを両立させている。

門の左右に続く塀は、下半分を下見板張とし、上部を漆喰の壁とする。板の横線と白い壁の上下の切り替えが、門の格子欄間と同じく落ち着いた調子で庭の境をつくっている。

薬医門と見比べる

村野家住宅には登録された門が2つある。明治14年(1881年)の薬医門は間口2.6メートル、軒は二軒で、屋敷の正面を構える重厚な表門である。大正後期の村野家住宅中雀門は間口1.5メートル、軒は一軒で、奥庭への入口にふさわしい控えめな門になっている。

どちらも欅を用い、屋根は切妻造の銅板葺だが、規模と軒の重ね方、架構の形式を変えることで、外に見せる門と内を仕切る門の格の違いを表している。二つの門を見比べると、屋敷の表から奥へ進む順序が形に表れていることが分かる。

村野家住宅中雀門の見学

村野家住宅中雀門は屋敷の内側に建ち、道路からは見えない。見ることができるのは春と秋の特別見学会で、ガイドの案内により屋外から見学する(2026年9月確認)。見学会では前庭の側から、主屋と新蔵のあいだに延びる板塀と門の格子欄間を見ておきたい。撮影の公式な案内は見当たらない。見学会と行き方は村野家住宅のページにまとめてある。

Q&A

Q村野家住宅中雀門の読み方は?
A「むらのけじゅうたくちゅうじゃくもん」です。文化庁のデータベースのふりがなに従っています。
Q村野家住宅中雀門はいつ建てられましたか?
A大正後期(1919〜1926年)の建築です。
Q村野家住宅中雀門はどこにありますか?
A主屋と新蔵のあいだに設けた板塀の中ほどにあり、前庭と奥庭を分けています。
Q村野家住宅中雀門と薬医門の違いは?
A薬医門は明治14年(1881年)の表門で間口2.6メートル、中雀門は大正後期の内門で間口1.5メートルの腕木門です。軒も薬医門は二軒、中雀門は一軒です。
Q村野家住宅中雀門は道路から見えますか?
A見えません。屋敷の内側にあるため、春と秋の特別見学会で屋外から見ることになります(2026年9月確認)。

基本情報

名称村野家住宅中雀門
所在地東京都東久留米市柳窪4-283
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年平成23年(2011年)登録
員数1棟
寸法間口1.5m(木造、銅板葺、塀付)
所有者株式会社兼七
公開状況通常非公開(春・秋の特別見学会で屋外から見学)

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)村野家住宅中雀門
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00008425
文化遺産オンライン村野家住宅中雀門
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/171101
東久留米市 国登録有形文化財(建造物)
https://www.city.higashikurume.lg.jp/shisei/profile/bunkazai/1002392.html
たまろくナビ(多摩北部都市広域行政圏協議会)村野家住宅
https://www.tama6.jp/meguri/place/post_40.html
村野家住宅(顧想園)公式サイト 2026年秋の特別見学会 日程のお知らせ
https://www.kosoen.tokyo/2026/09/2025.html

最終更新日: 2026.09.30