広八幡神社楼門とは

広八幡神社楼門は、和歌山県有田郡広川町上中野にある室町時代後期の楼門で、文明7年(1475年)の建立とされ、昭和22年(1947年)2月26日に国の重要文化財に指定された。三間一戸楼門、入母屋造本瓦葺。参道の階段を上がりきった位置に建ち、境内の入口にあたる。

楼門は2階建てで屋根を持つ門をいう。三間一戸とは正面の柱間が3間あり、そのうち中央の1間だけが通路として開く形式である。広八幡神社楼門はこの形式に入母屋の屋根を載せ、瓦で葺いている。

建立年には幅のある見方がある。文化庁の国指定文化財等データベースは文明7年とし、時代を室町後期に置く。一方、廣八幡神社は、鎌倉時代の特徴を示す部分があることから、これ以前に何らかの門が建っていたという説を紹介している。本記事は文化庁の記録に従っている。

重要文化財に指定された理由

指定は昭和22年(1947年)2月26日、指定番号01643番。摂社天神社本殿、拝殿とともにこの日に指定された。境内の重要文化財6棟のなかでは番号が最も後ろになる。

広八幡神社楼門は、境内で唯一の瓦葺の建造物である。本殿と3棟の摂社は檜皮葺、拝殿は柿葺で、屋根材が瓦なのはこの門だけになる。屋根の重さと軒の出方が他の5棟と違うため、境内に入った瞬間の印象を決めているのはこの一棟といってよい。

室町後期の楼門が大きな改変を受けずに残っている点も評価されている。門は通行と風雨に直接さらされる建物で、社殿より傷みやすい。それが15世紀の姿を保っていることが、指定の理由として重く見られている。

見どころ

下から見上げると、上層の軒がどれだけ張り出しているかが分かる。瓦は重いので、それを受けるための組物垂木の組み方が檜皮葺の社殿とは違う密度になる。門をくぐる直前、真下で立ち止まって天井方向を見ると、部材の重なりが最もよく見える。

広八幡神社楼門の前には社標が立ち、「廣八幡神社」の文字が刻まれている。神社によれば昭和3年(1928年)に荒木貞夫が書いたものである。境内の表記が広八幡神社と廣八幡宮の二通りで伝わってきたことが、この石からも読み取れる。

秋祭りの当日、この門の下に的が掲げられる。各地区の先頭に立つ者が扇子で3回たたいてから行列が出発する所作を「マトウケ」といい、かつて馬駈けを行っていた頃の名残と伝えられている。的の裏には明治4年(1871年)8月の墨書が残る。広八幡神社楼門は、通り抜けるための門であると同時に、祭礼の起点でもある。

広八幡神社楼門の見学方法

広八幡神社楼門は境内の入口に建つため、参拝者は必ずここを通る。上層に登ることはできず、内部も非公開である。外観は参道の階段の下から見上げる角度と、境内側に入って振り返る角度の二通りがあり、屋根の大きさは下から、軒裏の構造は真下から見るのが分かりやすい。

門の手前、参道には階段が続く。足元に注意しながら上り、門をくぐったところで一度振り返ると、瓦屋根の輪郭が空を背に立ち上がる。第一駐車場は広八幡神社楼門から北へ80メートル、第二駐車場は南へ70メートルの位置にある。

撮影を制限する掲示は公式サイトにない。秋祭りの当日は門の下が行列の出発点になるため、進行の妨げにならない位置から見たい。境内までの経路や社務所の連絡先は、広八幡神社のページにまとめてある。

Q&A

Q広八幡神社楼門はいつ建てられましたか?
A文化庁の国指定文化財等データベースは文明7年(1475年)とし、室町時代後期に位置づけています。神社は鎌倉時代の特徴を示す部分があるとして、前身の門があった可能性も紹介しています。
Q広八幡神社楼門の建築形式を教えてください。
A三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺です。正面の柱間が3間あり、中央の1間だけが通路として開いています。
Q広八幡神社楼門はいつ重要文化財に指定されましたか?
A昭和22年(1947年)2月26日です。摂社天神社本殿、拝殿と同じ日で、指定番号は01643番です。
Q広八幡神社楼門の上層に登れますか?
A登れません。内部も非公開で、見学は外観のみとなります。
Q広八幡神社楼門は祭礼でどう使われますか?
A秋祭りの当日、門の下に的が掲げられます。各地区の先頭が扇子で3回たたいてから行列が出発し、この所作をマトウケと呼びます。

基本データ

名称広八幡神社楼門
所在地和歌山県有田郡広川町大字上中野
指定区分重要文化財
指定年昭和22年(1947年)
員数1棟
寸法文化庁の国指定文化財等データベースに記載なし
所有者廣八幡宮
公開状況参道から通り抜け可能。上層および内部は非公開

参考文献

最終更新日: 2026.09.14