金剛峯寺大門とは

金剛峯寺大門は、和歌山県伊都郡高野町の高野山の西端に建つ宝永2年(1705年)再建の二重門で、昭和40年(1965年)5月29日に重要文化財に指定された。高野山一山の総門であり、山上の町への正面の入口にあたる。

金剛峯寺によれば、開創当時は現在地より少し下った九十九折谷に鳥居を建て、それを総門としていた。わかやまの文化財も、最初の総門は鳥居の形式で、いまより数百メートル下方にあったと伝えている。

門はその後、山火事や落雷によって3、4度焼失した。宝永2年に建て直されたのが現在の金剛峯寺大門で、建立から300年以上がたつ。

金剛峯寺大門が重要文化財である理由

文化庁の解説は、金剛峯寺大門を巨大な五間三戸の二階二重門とし、江戸時代中期を代表する建築と評価している。五間三戸は正面の柱間が5つあり、そのうち中央の3つを通路とする形式で、二重門は上下2層それぞれに屋根をかける門をいう。

屋根は入母屋造で、瓦棒銅板葺。金剛峯寺の案内では高さ25.1メートルあり、山上の総門にふさわしい量感をもつ。わかやまの文化財は、高野山の正門にふさわしい大規模な門と紹介している。

附として棟札1枚も指定されている。管理は公益財団法人高野山文化財保存会が担っている。

金剛峯寺大門の見どころ

門の左右には金剛力士像(仁王像)が立つ。江戸時代中期に活躍した大仏師、運長と康意の作である。金剛峯寺は、東大寺南大門の仁王像に次ぐ国内2番目の巨像と言われると紹介している。

門の柱には一対の聯(れん)が掛かる。弘法大師は毎日御廟から姿を現し、各地を巡って人々を救っている、という意味の言葉で、大師がいつも傍らにいるとする同行二人の信仰を表したものだ。門をくぐる前に、正面から聯の文字を探してみたい。

二階の高欄と、上下2層の屋根の重なりは、少し離れた場所から見上げると全体がつかみやすい。大門の脇には弁天岳への登山口があり、山頂には弘法大師が勧請したと伝わる嶽弁才天が祀られている。門をくぐると、東へ向かって壇上伽藍、本坊、奥之院へと山上の町が続く。

金剛峯寺大門の見学方法

金剛峯寺大門は道路に面して建ち、金剛峯寺の料金表にも含まれていないため、拝観料なしで外観を見ることができる。金剛峯寺のアクセス案内によれば、大門には駐車場がある。

門の上層に上がれるという案内は、金剛峯寺からは出ていない。見学は地上からの外観と、左右の仁王像が中心になる。

金剛峯寺が撮影禁止としているのは本坊の内部、伽藍諸堂の内部、奥之院の御廟橋から先で、大門はこれに含まれない。門前は車道に面しているので、写真を撮るときは車の往来に気をつけたい。

Q&A

Q金剛峯寺大門は無料で見られますか?
A金剛峯寺の料金表に大門は含まれておらず、拝観料なしで外観を見ることができます。大門には駐車場もあります。
Q金剛峯寺大門の高さはどれくらいですか?
A金剛峯寺の案内によれば高さは25.1メートルです。五間三戸の二階二重門で、屋根は入母屋造の瓦棒銅板葺です。
Q金剛峯寺大門の仁王像は誰の作ですか?
A江戸時代中期の大仏師、運長と康意の作です。金剛峯寺は、東大寺南大門の仁王像に次ぐ国内2番目の巨像と言われると紹介しています。
Q金剛峯寺大門はいつ建てられましたか?
A現在の門は宝永2年(1705年)の再建です。それ以前の門は山火事や落雷で3、4度焼失しています。
Q金剛峯寺大門はいつ重要文化財に指定されましたか?
A昭和40年(1965年)5月29日に重要文化財に指定されました。附として棟札1枚も指定されています。

基本情報

名称金剛峯寺大門
所在地和歌山県伊都郡高野町大字高野山
指定区分重要文化財(建造物)
指定年昭和40年(1965年)5月29日
員数1棟
寸法五間三戸二階二重門、入母屋造、瓦棒銅板葺、高さ25.1m
所有者金剛峯寺
公開状況外観は自由に見学可(拝観料なし)

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「金剛峯寺大門」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/2889
わかやまの文化財「金剛峯寺大門」
https://wakayama-bunkazai.jp/bunkazai/bunkazai-spot-450/
総本山金剛峯寺「高野山の見どころ」
https://www.koyasan.or.jp/meguru/
総本山金剛峯寺「アクセス」
https://www.koyasan.or.jp/access/
総本山金剛峯寺「ご参拝の心得」
https://www.koyasan.or.jp/guidance/
総本山金剛峯寺「関係各所料金表」
https://www.koyasan.or.jp/kongobuji/charges/

最終更新日: 2026.10.02