阿野一里塚 ― 旧東海道に残る、対で現存する貴重な国指定史跡

愛知県豊明市の住宅地に、ひっそりと向かい合うふたつの土の塚があります。その名は「阿野一里塚」。一見するとただの小さな盛り土に見えますが、これは江戸時代初期に徳川家康の命によって築かれた、全国でも極めて珍しい「両側現存の一里塚」です。旧東海道の道筋を挟んで東西の塚が400年以上も対のまま残るその姿は、当時の街道の幅や雰囲気をそのまま今に伝える、生きた歴史の証人といえるでしょう。江戸の旅人がどのように長い道のりを歩いたのか、その情景に思いを馳せたい方にぜひ訪れていただきたい場所です。

そもそも「一里塚」とは何か

一里塚は、江戸時代初期に幕府が街道を整備した際、旅人の目印として一里(約3.93キロメートル)ごとに街道の両側に築かれた土塚です。塚の上には榎(えのき)や松などの樹木が植えられ、遠くからでもよく見え、かつ木陰が休憩場所にもなるという、いわば「江戸時代の道路標識兼サービスエリア」のような役割を果たしました。

植えられる木が榎であることが多かった理由については、地元に伝わる愉快な逸話があります。一里塚を整備する奉行が徳川家康に「塚の上には何の木を植えましょうか」と尋ねたところ、家康が「ええ木にせい(良い木にしなさい)」と答えたのを、奉行が「えのきにせい」と聞き違えた——というものです。事実かどうかはともかく、人々に親しまれてきた一里塚らしい温かい伝承です。

阿野一里塚のなりたち

阿野一里塚が築かれたのは慶長9年(1604年)のこと。徳川家康が江戸日本橋を起点とする五街道の整備に着手した、まさに最初期の事業のひとつです。この地での築造は、家康の家臣であった永井白元(ながい はくげん)と本田光重(ほんだ みつしげ)によって行われました。日本橋から東海道を西へたどると86番目にあたる位置で、池鯉鮒宿(ちりゅうしゅく、現在の知立市)と鳴海宿(なるみしゅく、現在の名古屋市緑区)の間に置かれています。

その後250年以上にわたって、参勤交代の大名行列、伊勢参りの旅人、商人、飛脚など、東海道を行き交う多くの人々がこの塚を目印にしてきました。明治以降、近代化の流れの中で全国の一里塚の多くは道路拡張や開墾によって失われましたが、阿野一里塚は両側ともに姿を保ったまま今日まで伝わっています。

なぜ国指定史跡となったのか

阿野一里塚は、昭和11年(1936年)12月16日に国の史跡に指定されました。指定の最大の理由は、街道の両側に対で築かれた塚が、東西ともに原位置で残っているという点にあります。愛知県内の東海道沿いの一里塚で、両側現存の状態で国指定を受けているのは、ここ阿野一里塚のみです。

西塚はほぼ方形で、底部はおよそ縦26尺(約7.9メートル)×横28尺(約8.5メートル)、高さは約7尺(約2.1メートル)。東塚もほぼ同等の規模を持ちます。東西の塚の間隔は約20メートルあり、これがかつての東海道の道幅をしのばせる手がかりになっています。指定当時の記録によれば、もともと両塚には榎が植えられていましたが現在は失われ、東塚には2本の松が立っています。

見どころ

阿野一里塚は決して大きな史跡ではありません。しかし、ゆっくり足を止めて眺めると、小さな空間のなかに江戸時代の街道の記憶が凝縮されていることに気づきます。

道の両側に対で残る塚。東塚と西塚の間に立つと、自分が立っているその場所こそがかつての東海道の路盤です。これほど直接的に旧街道の空間を体感できる場所は、全国を見渡してもごくわずかしかありません。

東塚に立つ2本の松。もとは榎が植えられていましたが、現在は東塚に2本の松が立ち、遠くからでも一里塚と分かるシルエットを今に伝えています。

石碑と説明板。東塚の上には石碑と木製の説明板が設けられ、阿野一里塚の歴史と意義が分かりやすく示されています。

旧街道らしい街並み。塚の周辺は住宅地に囲まれていますが、緩やかにうねる細い道筋には、なお東海道らしい趣が漂います。塚を起点に少しだけ街道を歩いてみるのもおすすめです。

アクセスと訪問のヒント

阿野一里塚は愛知県豊明市阿野町にあります。最寄り駅は名鉄名古屋本線「前後(ぜんご)」駅で、ここから徒歩約11〜15分。お車の場合は、伊勢湾岸自動車道「豊明インターチェンジ」から約5分です。

専用駐車場やトイレはありませんので、車で訪れる際は近隣施設の利用をご検討ください。見学に料金はかからず、いつでも自由に訪れることができます。住宅街にひっそりと佇む史跡ですので、ご近所への配慮を忘れずに見学してください。

あわせて訪れたい周辺スポット

阿野一里塚の魅力のひとつは、周辺に戦国・江戸期の史跡が密集していることです。半日から1日のコースとして組み合わせやすい場所をいくつかご紹介します。

桶狭間古戦場伝説地。西へ約3キロメートル。永禄3年(1560年)、織田信長が今川義元を破った桶狭間の戦いの伝承地で、こちらも国の史跡に指定されています。

戦人塚(仙人塚)。桶狭間の戦いで命を落とした人々を埋葬したとされる塚で、豊明市内にある国の史跡です。

沓掛城址公園。今川氏ゆかりの小規模な城館跡が、静かな公園として整備されています。豊明市内。

有松の町並み。少し西へ進むと、有松絞り(ありまつしぼり)で知られる江戸期の宿場町の景観が残っています。東海道の旅情を別の角度から味わえるエリアです。

曹源寺。桶狭間の戦死者の供養と縁の深い、豊明市内の歴史ある寺院です。

Q&A

Qそもそも一里塚とは何ですか?
A江戸時代に主要街道の両側に一里(約3.93キロメートル)ごとに築かれた土の塚で、旅人の道しるべとして使われました。塚の上には榎や松などの木が植えられ、遠くからの目印になると同時に休憩の木陰にもなりました。
Q阿野一里塚は何が特別なのでしょうか?
A街道の両側に対で築かれた塚が、東西ともに当時の場所に残っている、全国でも極めて珍しい一里塚です。愛知県内の東海道沿いで、両側現存の国指定史跡は阿野一里塚のみで、それゆえに昭和11年(1936年)に国史跡に指定されました。
Qいつ、誰が築いたのですか?
A慶長9年(1604年)、徳川家康の命を受けた家臣の永井白元と本田光重によって築かれました。これは家康が日本橋を起点とする五街道整備に着手した、まさに最初期の事業のひとつです。
Q見学にはどのくらい時間がかかりますか?料金は?
A史跡そのものは小さいので、ゆっくり見学しても15〜30分ほどです。料金は無料で、いつでも見学できます。ただし、専用駐車場とトイレはありませんのでご注意ください。
Q阿野一里塚と一緒に巡るのにおすすめの場所は?
A西へ約3キロメートルの桶狭間古戦場伝説地が定番です。ほかに、戦人塚、沓掛城址公園、有松の町並み、曹源寺など、戦国・江戸期の史跡が周辺に集まっています。

基本情報

名称 阿野一里塚(あのいちりづか)
指定区分 国指定史跡(昭和11年〔1936年〕12月16日指定)
所在地 愛知県豊明市阿野町池下114・長根4(〒470-1141)
築造 慶長9年(1604年)、徳川家康の命による
築造者 永井白元、本田光重
東海道での位置 江戸日本橋から86里目、池鯉鮒宿と鳴海宿の間
規模 西塚:底部 縦約7.9メートル×横約8.5メートル、高さ約2.1メートル/東塚:西塚とほぼ同規模
管理団体 豊明市
アクセス 名鉄名古屋本線「前後」駅から徒歩約11〜15分/伊勢湾岸自動車道「豊明IC」から車で約5分
料金 無料・常時見学可
設備 駐車場・トイレなし
問い合わせ 豊明市観光協会(TEL:0562-92-8317)

参考文献

阿野一里塚 - 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/138717
阿野一里塚 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/阿野一里塚
阿野一里塚 | 豊明市観光協会
https://welcome-toyoake.jp/spot/see/post_28.html
阿野一里塚 | ニッポン旅マガジン
https://tabi-mag.jp/ai0492/
愛知県の東海道で唯一国指定史跡の一里塚が豊明市阿野一里塚 | 戦国史跡
https://sengokushiseki.com/?p=4497
阿野一里塚(国指定史跡) | じゃらんnet
https://www.jalan.net/kankou/spt_23229af2170020480/

最終更新日: 2026.04.26