旧東海道に面する絞問屋の町家
棚橋家住宅主屋(たなはしけじゅうたくしゅおく)は、愛知県名古屋市緑区有松の旧東海道に北面して建つ町家で、有松を代表する絞問屋の住まいとして明治8年(1875年)に建てられ、平成21年(2009年)に国の登録有形文化財に登録された。
有松は大都市の区内としては珍しい場所である。慶長13年(1608年)、尾張藩が東海道の鳴海宿と池鯉鮒宿のあいだに新しく開いた村で、住民は街道を行く旅人の土産となった絞り染め、有松絞で生計を立ててきた。絞りの流通を握った問屋たちは、ゆるく曲がる街道に沿って間口の広い屋敷を構え、その多くが今も残る。平成28年(2016年)7月には有松地区が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。名古屋市によれば、大都市の街道沿いの町並みとしては初めての選定である。
棚橋家住宅主屋はこの町並みの中核に位置する。建てたのは、慶長13年(1608年)の開村の際に知多郡阿久比村から移り住んだ服部家で、屋号を「井桁屋」といった。寛政年間(1789年から1801年)に街道の北側へ分家した服部孫兵衛家も同じ屋号を名乗ったため、本家は「大井桁」と呼ばれるようになる。現在、分家の服部家住宅は愛知県の指定文化財で、二つの井桁屋は今も東海道を挟んで向かい合っている。
建築年代を確定した棟札
棚橋家住宅主屋は長らく江戸時代の遺構と考えられてきた。登録文化財の申請にあたって行われた調査で、地鎮と定礎を記した棟札が確認され、「明治八年五月吉日」の年紀から建築年代が明治8年(1875年)と判明した。この発見は一棟の年代を確かめたにとどまらない。有松の大店の主屋には小屋梁を水平に架け、たちの高い断面をもつものが多く、棚橋家住宅主屋の棟札はその型の年代観を裏づけ、同じ有松の中濱家住宅(登録有形文化財)など類似の建物を位置づける根拠となった。愛知県の調査資料が、有松の町家の建設年代を考えるうえで基準となる建物と評しているのはこのためである。
登録は平成21年(2009年)4月28日、登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。文化庁は、風格のある外観で有松の町並みの中核をなす町家と記しており、対象は主屋1棟である。
いま棚橋の名を冠している経緯は、その後の歴史にある。昭和7年(1932年)、町の要請を受けて、名古屋医科大学(現在の名古屋大学医学部)の医局から派遣された医師・棚橋龍三が有松で開業することになった。翌年、本家の服部家が衰えて空き家となっていた大井桁の建物で医院を開く。昭和25年(1950年)に棚橋家は服部家から屋敷地を購入し、龍三の死後、昭和63年(1988年)に医院は有松駅の北側へ移った。建物はその後も住まいとして使われ、旧状をよく保っている。
棚橋家住宅主屋の見どころ
主屋は街道に長辺を向けた平入で、間口にあたる桁行は16メートル、奥行きの梁間は8.5メートル、建築面積は222㎡。切妻造の桟瓦葺で、2階は天井の低いつし二階とし、物置として使われている。この低い2階の比例が、正面に落ち着いた重厚さを与えている。
正面は下から順に見ていくとよい。1階には出格子を構え、東半分は軒下を土間の庇、いわゆる土庇として引き込んでいる。かつて商品の出し入れや客の応対が行われた空間である。正面の全幅に下屋の庇が回り、その上の2階は塗籠で、格子窓と壁を一間ごとに交互に配し、軒は出桁造として深く出している。側面の妻壁も塗籠である。愛知県の調査資料は、『尾張名所図会』に描かれた有松の竹田家が同じ構成であることを指摘しており、棚橋家住宅主屋の正面は有松の大店の標準的な姿をそのまま伝えている。棟の上には魔除けの鍾馗像が小さく立っており、名古屋市の観光案内は通りから間近に見えるこの像を見どころに挙げている。
正面の奥の平面は、東側に土間を通し、3列8室を並べる構成で、6尺を1間とする中京間で建てられている。前面の店の部分は医院時代に改変を受け、診療室として使うために大引を撤去して天井を高く張り直したが、下地には旧状が残る。奥の座敷は旧状を保ち、南側の縁に面した開口を大きく開ける構造が特徴的である。小屋組は和小屋で、前面の梁には登梁のように湾曲した自然材を架けている。
棚橋家住宅主屋の見学方法とアクセス
棚橋家住宅主屋は個人の住宅で、内部は公開されていない。見学者にできることは、そして多くの人が有松を訪れる目的でもあるのは、旧東海道を歩きながら家々の正面を見ることである。主屋は街道の南側に北を向いて建っているため、日中は正面に光が回りやすい。公道からの外観撮影に問題はないが、住まいであることを忘れず、格子の内側にレンズを向けないようにしたい。入場料はない。入る場所がないからである。
位置を知る目印は二つある。東隣が有松・鳴海絞会館で、絞りの展示と販売を行う施設である。道を挟んだ真向かいが井桁屋の分家にあたる服部家住宅で、この二つのあいだに立てば保存地区の中心にいることになる。
名鉄名古屋本線の有松駅から徒歩約5分。名鉄名古屋駅から直通で来られる。平日の通常の日は通りが静かで、建物をじっくり眺めるには最も条件がよい。
Q&A
- 棚橋家住宅主屋は内部を見学できますか?
- できません。個人の住宅であり、内部は公開されていません。外観は旧東海道の通りからいつでも無料で見学・撮影できます。
- 棚橋家住宅主屋はいつ建てられ、年代はどうやって分かったのですか?
- 明治8年(1875年)の建築です。登録有形文化財の申請調査で「明治八年五月吉日」の地鎮・定礎を記した棟札が見つかり、それまで江戸時代の建物と考えられていた通説が改められました。
- 服部家が建てたのに、なぜ棚橋家住宅と呼ばれるのですか?
- 建てたのは「大井桁」と呼ばれた服部家本家で、絞問屋の住まいでした。昭和8年(1933年)に医師の棚橋龍三が空き家となっていたこの建物で医院を開き、昭和25年(1950年)に棚橋家が屋敷地を購入しました。医院は昭和63年(1988年)に移転しましたが、建物は棚橋家の住まいとして残っています。
- 棚橋家住宅主屋の正面で注目すべき点は何ですか?
- 16メートルの間口に出格子と土庇を構えた1階、格子窓と壁を一間ごとに交互に並べた塗籠の2階、出桁造で深く出した軒、そして棟の上に立つ小さな鍾馗像です。
- 棚橋家住宅主屋へのアクセス方法を教えてください。
- 名鉄名古屋駅から名鉄名古屋本線で有松駅へ。駅から旧東海道を歩いて約5分で、有松・鳴海絞会館の隣にあります。
基本情報
| 名称 | 棚橋家住宅主屋 |
|---|---|
| 所在地 | 愛知県名古屋市緑区有松3004 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 指定年 | 平成21年(2009年)登録 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造つし二階建、瓦葺、桁行16メートル、梁間8.5メートル、建築面積222㎡ |
| 所有者 | 個人 |
| 公開状況 | 個人住宅のため内部非公開。外観は通りから見学可 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース:棚橋家住宅主屋
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00007636
- 文化財ナビ愛知(愛知県):棚橋家住宅主屋
- https://jmapps.ne.jp/aichi_bunkazai/det.html?data_id=2126
- 名古屋市公式ウェブサイト:有松伝統的建造物群保存地区及び有松町並み保存地区
- https://www.city.nagoya.jp/kankou/rekishi/1017254/1017261.html
- 名古屋コンシェルジュ(名古屋市公式観光情報):棚橋家住宅(有松)
- https://www.nagoya-info.jp/spot/detail/147/
- 有松まちづくりの会:有松の町並みと文化財
- https://arimatsunomachi.com/machinami.html
最終更新日: 2026.09.02