火災を免れた塔
安政2年(1855)、岡崎の大樹寺を火が襲い、本堂や庫裏など主要な堂宇の多くが焼け落ちた。その難を逃れたのが、境内の南西に独立して建つ多宝塔である。創建当時の建物をもたない大樹寺にあって、いまではこの塔が境内最古の建築となっている。建立は火災のおよそ三百年前、天文4年(1535)にさかのぼる。
塔を寄進したのは、松平7代の当主で、後に天下を統一する徳川家康の祖父にあたる松平清康であった。心柱の銘によれば、清康は大檀那として多額を寄進し、家臣たちもそれぞれ寄進を重ねたという。当時の住持は充蓮社玉誉上人、大工棟梁は藤原長康、仮名を与三郎といった。
多宝塔は、下層を方形、上層を円形とする独特の塔形式である。下の階は四角い平面をもち、その上に白い円筒形の塔身が載り、宝形の屋根と細い相輪が頂を締めくくる。名は、法華経のなかで釈迦のかたわらに姿を現す多宝如来に由来する。地中から涌き出た宝塔に多宝如来が座すという経典の場面を、木と檜皮で立体にしたものといってよい。
指定の理由と価値
大樹寺の多宝塔が国の重要文化財に指定されたのは、明治37年(1904)2月18日のことである。近代国家が建造物の保護に乗り出した最初期にあたり、この早い指定は、当時の調査者がその質をいかに高く評価したかを示している。
評価されたのは、室町後期の洗練された構成であった。下層は方三間、すべて円柱で立ち、軒は尾垂木を備えた斗組が支える。その上に亀腹と呼ぶ漆喰の半球がのって円形の塔身へと移り、上層は四手先の組物で軒を受ける。全体は大陸由来の華やかな様式ではなく、和様の穏やかな手法でまとめられ、仕事は丁寧で入念である。高さはおよそ13メートル。東海地方で随一の多宝塔と評されることも多い。
残ったこと自体も価値を高めている。16世紀前半の木造建築は三河の地に多くは残らず、同じ境内の大火を経て当初の部材をとどめる例はさらに少ない。建立の年を記す棟札3枚が附(つけたり)として塔とともに指定されており、その来歴を確かな年代に結びつけている。
見どころ
正面から近づくと、塔は二つの発想を積み重ねたものとして目に映る。方形の基部は地に着いて建築的であり、その上の白い塔身はほとんど別の物体のように、下層の直線に対してなめらかである。両者をつなぐ亀腹のふくらみこそ、注目してほしい部分だ。継ぎ目を見せずに四角い建物を円い建物へと変える仕掛けがここにある。
上下二層の軒にも目を向けたい。組物は段を追って外へ持ち出され、細い垂木が屋根の縁の下に放射状に並ぶ。屋根は檜皮葺で、薄く剥いだ檜皮を手作業で幾重にも重ねて柔らかな稜線をつくり、頂部を黒い鉄製の相輪が締める。
内部は公開されていないが、壁の内に何があるかを知っておく価値はある。なかには禅宗様の仏壇が据えられ、春日厨子に塔名のもととなる多宝如来が安置されている。外からは、閉じた扉と脇間の連子窓が、その聖なる中心の位置をそっと指し示している。
塔はより大きな物語の一部でもある。永禄3年(1560)、桶狭間の合戦で足場を失った家康、当時の松平元康は大樹寺へ逃げ込み、敵に囲まれて先祖の墓前で自害しようとした。それを一つの教えで思いとどまらせたのが、住職の登誉天室である。「厭離穢土欣求浄土」、汚れた世を捨てて安らかな世を求めよという言葉を、家康は生涯の信条として馬印に掲げた。祖父の建てた塔は、その一部始終のあいだ境内に立ち続けていた。
大樹寺の周辺
この寺は時間をかけて訪ねる価値がある。寛永18年(1641)に三代将軍徳川家光が建てた山門からは、南へおよそ3キロメートルにわたって、家康生誕の地である岡崎城の天守へと一直線の眺望がのびる。地元の人々はこれをビスタラインと呼び、約380年にわたって視界の通り道を守ってきた。晴れた日には、遠い城が山門のなかにちょうど収まって見える。
有料の拝観路に入ると大方丈があり、幕末の復古大和絵師・冷泉為恭が描いた障壁画が、かつて将軍や東海道を行く大名が控えた部屋を彩る。寺はまた、歴代徳川将軍の位牌を、それぞれの将軍の身長に合わせた高さで安置し、73歳の家康をかたどった木像も納める。
境内と本堂は無料で入ることができ、多宝塔は費用をかけずに見学できる。宝物殿と大方丈の拝観は有料である。少し足をのばせば再建された岡崎城とその公園があり、岡崎の町歩きと組み合わせるとよい。
Q&A
- 多宝塔の内部に入れますか。
- いいえ。多宝塔は外観のみの見学です。境内は無料で入れるため、塔のすぐそばまで歩み寄って木組みや屋根を間近に観察できますが、仏壇や多宝如来像のある内部には立ち入れません。
- なぜ下が四角く、上が丸いのですか。
- その二つの形の組み合わせが多宝塔の定義です。方形の下層と円形の上層は、法華経に説かれる多宝如来の宝塔を表します。両者は亀腹という漆喰の半球でつながれており、そのため四角から丸へと、はっきりした継ぎ目なく移ることができます。
- 徳川家康とはどのような関係がありますか。
- この塔は天文4年(1535)に家康の祖父・松平清康が建立しました。大樹寺は松平家、のちに徳川家の菩提寺で、家康は永禄3年(1560)の桶狭間の敗戦後にここへ身を寄せ、再起を決めました。塔はその出来事より前に建ち、一部始終を見届けた建物です。
- ビスタラインとは何ですか。
- 大樹寺の山門と岡崎城の天守を結ぶ、長さ約3キロメートルの保護された眺望線です。約380年にわたって高い障害物を置かないよう守られてきたため、寺に立つと遠くの城が山門のなかに収まって見えます。
- 大樹寺へのアクセスと拝観料を教えてください。
- 名鉄「東岡崎駅」から名鉄バスで「大樹寺」バス停下車、徒歩数分です。愛知環状鉄道「大門駅」からは徒歩約10分です。境内と本堂は無料で、宝物殿と大方丈の拝観は大人500円程度です。拝観時間は9時から16時で、受付は夕方の早い時間に締め切られます。
基本データ
| 名称 | 大樹寺多宝塔(たいじゅじたほうとう) |
|---|---|
| 所在地 | 愛知県岡崎市鴨田町 |
| 所有者 | 大樹寺(浄土宗) |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物) 明治37年(1904)2月18日指定 |
| 建立年代 | 天文4年(1535) 室町後期 |
| 形式 | 三間多宝塔、檜皮葺、鉄製相輪 高さ約13メートル |
| 員数 | 1基(附として棟札3枚を指定) |
| 寄進者 | 松平清康(徳川家康の祖父) |
| アクセス | 名鉄「東岡崎駅」から名鉄バス「大樹寺」下車徒歩数分/愛知環状鉄道「大門駅」徒歩約10分 |
| 公開状況 | 外観見学可(境内は無料)。宝物殿・大方丈は有料拝観 |
| 拝観時間 | 9:00–16:00(受付は夕方早めに終了)。原則年中無休 |
参考文献
- 文化庁 ― 国指定文化財等データベース「大樹寺多宝塔」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/1198
- 文化遺産オンライン(国立文化財機構)「大樹寺多宝塔」
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/144898
- 岡崎市 ― 国指定:建造物「大樹寺多宝塔(附:棟札)」
- https://www.city.okazaki.lg.jp/1300/1304/1332/p021488.html
- 成道山松安院 大樹寺 公式サイト ― 境内案内・拝観案内
- https://daijuji.jp/precincts/
- 岡崎おでかけナビ「大樹寺」
- https://okazaki-kanko.jp/point/484
最終更新日: 2026.06.14