名古屋の住宅街に現れるクジラ — 道徳公園クジラ池噴水の物語
名古屋市南区の閑静な住宅街の中に、訪れる人を驚かせる光景があります。公園の池の中から巨大なコンクリート製のクジラが姿を現し、まるで本物のクジラが潮を吹くかのように頭頂部から水を噴き上げるのです。これが「道徳公園クジラ池噴水」——1927年(昭和2年)から地域を見守り続け、2021年(令和3年)に国の登録有形文化財に登録された、愛すべき地域のシンボルです。
単なる遊具や飾りではなく、この約100年の歴史を持つクジラの彫像は、かつてこの土地が伊勢湾の海底であったという記憶を今に伝える、貴重な歴史的造形物です。
海から陸へ — 道徳地区の歴史
道徳公園が位置する一帯は、かつて「あゆち潟(年魚市潟)」と呼ばれた伊勢湾の干潟の一部でした。歴史的な記録によれば、クジラなどの海洋生物がこの湾岸を回遊していたとも伝えられています。この地が海から陸へと姿を変えたのは江戸時代のことで、文化14年(1817年)に海西郡塩田村(現在の愛西市塩田町)の豪農・鷲尾善吉が大規模な干拓事業に着手し、「道徳前新田」が誕生しました。
大正14年(1925年)に尾張徳川家がこの新田の土地を名古屋桟橋倉庫株式会社に売却し、宅地造成や公園整備を含む都市開発が進められました。道徳公園は昭和2年(1927年)頃に開園し、その後約10年をかけて整備されました。公園の周囲には「道徳銀座通」と呼ばれるカフェや洋食堂が並ぶ繁華街が形成され、南部工業地帯で働く人々の憩いの場として賑わいました。
クジラを生んだ職人 — 後藤鍬五郎
クジラ池噴水を制作したのは、昭和初期に活躍したコンクリート造形職人・後藤鍬五郎(ごとう くわごろう、1892年〜1976年)です。愛知県海部郡七宝町(現在のあま市)に生まれた後藤は、名古屋市中区矢場町の山田工芸所で修業を積んだ後、1920年に港区港本町に後藤工業所を設立しました。
師匠の山田光吉とともに、東海市の聚楽園大仏(同じ1927年完成)や知多市長浦の大ダコのターチャン(現存せず)などの大型コンクリート造形を手がけました。その作品は、日本の伝統的な美意識と近代素材であるコンクリートを融合させた独特の民芸的な味わいが特徴です。道徳公園のクジラが持つ、たれた目と穏やかな口元の表情は、日光東照宮の想像の象にも通じる趣があるとも評されています。
文化財に登録された理由
道徳公園クジラ池噴水は、2021年(令和3年)7月16日に文化審議会が登録を答申し、同年10月14日に国の登録有形文化財(建造物)として正式に登録されました。
名古屋市教育委員会は、この噴水を「かつて海があった土地の記憶をとどめるもので、地域のシンボル」と位置づけています。公式の登録理由では、「あゆち潟と呼ばれた伊勢湾の一部で、新田開発を経て昭和初期の土地区画整理で開かれた道徳地区にある公園施設」であり、「造形家後藤鍬五郎制作の鯨の噴水設備を中心にして石と擬木で池の護岸を巡らし、石製欄干付コンクリート橋を架ける」構成が、「国土の歴史的景観に寄与している」と評価されています。
国の登録に先立ち、2011年(平成23年)には名古屋市の認定地域建造物資産第25号に認定されています。さらに2010年(平成22年)には、名古屋開府400年記念事業「夢なごや400」において、市民投票によるグランプリ「どえりゃあ大賞」にも選出されました。
見どころ・魅力
クジラ像は全長9.7メートル、幅3.5メートル、高さ1.9メートルという迫力あるサイズです。鉄筋コンクリート製で、群青色に塗られた体に、大きな丸い目と少し上を向いた口元が、愛嬌のある独特の表情を生み出しています。現代の遊具とは一線を画す、昭和初期ならではの造形美をお楽しみいただけます。
最大の魅力は、実際に水を噴き出すことができるインタラクティブな仕掛けです。池のそばにあるハンドルをひねると、クジラの頭頂部から水が潮のように噴き上がります。この手動式の噴水機構は開園当初からのもので、世代を超えて子どもたちの歓声を誘い続けています。クジラ池の周囲は石と擬木で護岸が施され、石製欄干付きのコンクリート橋が架けられており、いずれも1927年当時の設計が残る貴重な景観です。
クジラ池以外にも、園内には「月見池(黎明池)」と呼ばれる大きな池、野球場、テニスコート、バスケットコート、児童遊具などが整備されており、幅広い世代が楽しめる憩いの空間となっています。
周辺情報
道徳公園は、名鉄常滑線・道徳駅から徒歩約4分という便利な立地にあります。駅周辺には昔ながらの個人商店が並び、下町の風情が残る散策しやすいエリアです。
周辺には、日本有数の古社である熱田神宮(北へ約3km)や、旧東海道の宮宿から桑名宿への渡し場跡である宮の渡し公園などの歴史スポットがあります。名古屋港方面へ足を延ばせば、名古屋港水族館や南極観測船ふじなどの見どころも充実しています。道徳地区の開発の歴史と合わせて、名古屋南部の近代化の足跡をたどる散策コースとしてもおすすめです。
Q&A
- クジラの噴水はどうやって動くのですか?
- 池のそばに手動式のハンドル(栓)があり、これをひねるとクジラの頭頂部から水が噴き上がります。1927年の開園当初からこの仕組みが備わっており、どなたでも自由に操作できます。
- なぜクジラの形が選ばれたのですか?
- 公園のある一帯は、かつて「あゆち潟」と呼ばれた伊勢湾の干潟でした。クジラなどの海洋生物がこの海域を回遊していたとも伝えられており、かつて海であった土地の記憶を伝えるためにクジラの姿が選ばれたと考えられています。
- 入園料はかかりますか?
- 道徳公園は名古屋市の公共公園で、入園料は無料です。24時間開放されており、クジラ池噴水もいつでも自由にご覧いただけます。
- 公共交通機関でのアクセス方法を教えてください。
- 名鉄常滑線の道徳駅から徒歩約4分です。名古屋駅からは、名鉄常滑線(常滑・中部国際空港方面行き)に乗車し、道徳駅で下車してください。
- 制作者の後藤鍬五郎の他の作品はどこで見られますか?
- 後藤鍬五郎の代表作としては、愛知県東海市の聚楽園大仏が有名で、こちらも同じ1927年に完成したコンクリート製の大仏です。愛知県内には他にも後藤の手がけた造形物が現存しており、コンクリート造形巡りを楽しむことができます。
基本情報
| 名称 | 道徳公園クジラ池噴水(どうとくこうえんくじらいけふんすい) |
|---|---|
| 文化財区分 | 国登録有形文化財(建造物) |
| 登録年月日 | 2021年(令和3年)10月14日 |
| 建設年代 | 1927年(昭和2年)、1941年(昭和16年)改修 |
| 制作者 | 後藤鍬五郎(ごとう くわごろう、1892年〜1976年) |
| 構造・形式 | コンクリート造及び石造、面積243㎡ |
| クジラ像の大きさ | 全長9.7m、幅3.5m、高さ1.9m |
| 所在地 | 愛知県名古屋市南区道徳新町五丁目42 |
| 所有者 | 名古屋市 |
| アクセス | 名鉄常滑線 道徳駅より徒歩約4分 |
| 入園料 | 無料(公共公園、24時間開放) |
参考文献
- 道徳公園クジラ池噴水 - 文化遺産オンライン
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/553905
- 登録有形文化財(建造物)の登録について - 愛知県
- https://www.pref.aichi.jp/soshiki/bunkazai/touroku-20210716.html
- 道徳公園 - Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E5%BE%B3%E5%85%AC%E5%9C%92
- 後藤鍬五郎 - Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E8%97%A4%E9%8D%AC%E4%BA%94%E9%83%8E
- 約100年前の「クジラ噴水」が味わい深い~後藤鍬五郎の作品巡り - デイリーポータルZ
- https://dailyportalz.jp/kiji/Kujira-fountains_tasteful
- 1927年製作のクジラ池噴水、国文化財に - 中日新聞Web
- https://www.chunichi.co.jp/article/292690
最終更新日: 2026.04.04