又兵衛(旧坂上家住宅):熱田神宮に佇む最古級の合掌造民家

名古屋市熱田区、日本有数の格式を誇る熱田神宮の緑深い境内に、ひっそりと佇む一棟の古い建物があります。「又兵衛(またべえ)」と呼ばれるこの建物は、正式には「旧坂上家住宅」といい、国の登録有形文化財に指定されています。江戸時代前期(1661〜1750年頃)に飛騨地方の山間部で建てられた合掌造民家であり、現存する合掌造民家としては最古級に位置づけられる大変貴重な遺構です。二度の移築を経て熱田神宮の境内に安住の地を得た又兵衛は、現在、茶室として静かにその歴史を伝え続けています。

合掌造とは

合掌造(がっしょうづくり)とは、急勾配の茅葺き屋根が特徴的な日本の伝統的建築様式です。「合掌」とは手を合わせて祈る姿を意味し、両手を合わせたように見える急角度の屋根の形状に由来しています。豪雪地帯である飛騨地方や白川郷を中心に発展したこの建築様式は、厚く積もる雪を効率よく落とすために考案されたもので、広い屋根裏空間は養蚕などにも活用されました。白川郷・五箇山の合掌造集落は1995年にユネスコ世界遺産に登録されており、その独特の景観は世界中から観光客を集めています。

熱田神宮の又兵衛は、この合掌造のさらに初期の姿を今に伝える建物です。建築史の研究者たちは又兵衛を合掌造の原型とも評しており、この建築様式がいかに生まれ、発展してきたのかを理解する上で、きわめて重要な存在となっています。

又兵衛の歴史:飛騨から熱田へ

「又兵衛」という名前は、この建物をかつて所有していた飛騨の豪農・坂上又兵衛に由来しています。建物はもともと岐阜県吉城郡古川町細江字末真(すえざね)、現在の飛騨市に所在していました。言い伝えによれば、さらに以前は越中東街道を約6キロ奥に入った数河(すごう)高原に建てられていたものが、江戸時代にこの地へ移されたとされています。

1936年(昭和11年)、名古屋の実業家・神野金之助(かみのきんのすけ)がこの建物を名古屋市昭和区の自邸「三渓荘」内に移築し、元の所有者にちなんで「又兵衛」と名付けて茶室として使用しました。その後、1957年(昭和32年)に神野金之助が熱田神宮に寄贈し、境内の現在地に再移築されました。

二度にわたる移築は、名古屋工業大学教授の城戸久(きどひさし)の調査・指導のもとで慎重に行われ、古材の保存状態は良好に保たれています。この移築は、民家の移築保存としても最初期の事例として高く評価されています。さらに2001年(平成13年)・2002年(平成14年)には解体修理が、2012年(平成24年)には改築が行われ、貴重な文化財の保全が続けられています。

なぜ登録有形文化財なのか:その文化的価値

又兵衛は2001年(平成13年)4月24日、「再現することが容易でないもの」として国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。この指定は、以下の複数の観点から又兵衛の卓越した価値を認めたものです。

まず、太い楢の木の枝を利用した「股柱(またばしら)」や、蛤刃(はまぐりば)の手斧(ちょうな)で仕上げた柱など、きわめて古い構造的特徴を有しています。広間は復原すると土間であったと考えられ、これも古さを示す重要な要素です。これらの構造形式から、又兵衛は飛騨東北部の現存する合掌造民家として最古級に属すると評価されています。

また、城戸久教授の指導のもとで行われた二度の移築は、日本における民家の移築保存の最初期の事例であり、その後の文化財保存手法の先駆けともなった点でも大きな歴史的意義を持っています。

建築の見どころ

又兵衛は木造平屋建、入母屋造の茅葺き屋根(現在は保護のため鉄板仮葺き)で、建築面積は約124平方メートルです。平入の広間型平面と呼ばれる、飛騨地方の伝統的な民家に見られる間取りを持っています。

内部は広間(大広間)を中心に構成されています。下手(しもて)にはマヤ(馬屋・家畜のスペース)とニワ(台所・作業場)が配され、上手(かみて)には仏間を挟んでデイ(客間)とチョウダ(寝室)が前後に並んでいます。豪雪地帯で建てられたことを偲ばせる特徴も随所に見られ、破風に垂直に立てた「ハホザオ」と呼ぶ棒、杉皮巻きの棟抑え、柱の隅に残る雪囲いを留めるための小穴などが独特の風情を醸し出しています。

現在の又兵衛を訪ねる

現在、又兵衛は熱田神宮境内にある6軒の茶席のひとつとして利用されています。毎月15日(8月を除く)に行われる月次献茶をはじめ、各種茶会や文化行事、さらには25名までの少人数の披露宴にも使用されています。

なお、又兵衛は一般には非公開となっており、自由に内部を見学することはできません。しかし、境内を散策しながらその外観——見事な茅葺きの屋根のシルエットや素朴な木造の佇まい——を眺めることは可能です。又兵衛は境内のほぼ中央、手水舎のすぐ西側に位置しています。

茶会や文化イベントに参加することで内部を体験できる機会もありますので、ご関心のある方は熱田神宮社務所または熱田神宮会館へお問い合わせください。

周辺情報:熱田神宮とその見どころ

又兵衛の見学は、熱田神宮全体の参拝と合わせて楽しむことをおすすめします。熱田神宮は三種の神器のひとつ「草薙神剣」を祀る、1900年以上の歴史を持つ日本有数の神社です。境内には、織田信長が桶狭間の戦いの勝利を感謝して奉納した「信長塀」、樹齢千年を超える大楠、2021年開館の刀剣展示施設「草薙館」、国宝・重要文化財を所蔵する宝物館など、多彩な見どころがあります。

参拝後は、南門すぐの「あつた蓬莱軒」で名古屋名物のひつまぶし(鰻料理)を味わうのもおすすめです。また、近隣には東海地方最大級の日本庭園「白鳥庭園」や、旧東海道の宿場町の面影を残す「宮の渡し跡」などもあります。名古屋からは飛騨高山や白川郷へのアクセスも良好で、又兵衛が元々建てられていた飛騨の山里を訪ね、合掌造集落を見学する日帰り旅も可能です。

Q&A

Q又兵衛の内部を見学することはできますか?
A又兵衛は一般には非公開です。ただし、毎月15日(8月を除く)の月次献茶をはじめとする茶会に参加することで、内部を体験できる場合があります。詳しくは熱田神宮社務所にお問い合わせください。
Q又兵衛や熱田神宮の拝観料はかかりますか?
A熱田神宮の境内は無料で24時間参拝可能です。又兵衛の外観も自由にご覧いただけます。宝物館は大人500円・小中学生200円、草薙館は大人500円・小中学生200円の拝観料が必要です。
Q名古屋駅からのアクセス方法を教えてください。
A名鉄名古屋駅から名鉄名古屋本線で「神宮前」駅まで約7分、西出口から東門まで徒歩約3分です。またはJR名古屋駅からJR東海道線で「熱田」駅まで約6分(200円)、そこから徒歩約8分です。
Q又兵衛とユネスコ世界遺産の白川郷はどのような関係がありますか?
A又兵衛はもともと白川郷と同じ飛騨地方に建てられた合掌造民家です。建築研究者の間では、白川郷に現存する合掌造民家よりもさらに古い時代のものとされ、合掌造の原型ともいわれる貴重な建造物です。
Q訪問に最適な季節はいつですか?
A熱田神宮は一年を通じて美しい境内を楽しめます。春(3月下旬〜4月)は参道の桜、秋(11月)は紅葉が見頃です。6月5日の熱田まつりでは伝統行事や花火も行われます。なお、正月三が日は初詣で大変混雑しますのでご注意ください。

基本情報

名称 又兵衛(旧坂上家住宅)
文化財指定 登録有形文化財(建造物)— 2001年(平成13年)4月24日登録
建築年代 江戸時代前期(1661〜1750年頃)
建築様式 合掌造民家、入母屋造、平入の広間型平面
構造 木造平屋建、茅葺(鉄板仮葺)、建築面積約124㎡
元の所在地 岐阜県吉城郡古川町細江字末真(現・飛騨市)
移築の経緯 1936年(昭和11年)名古屋市昭和区の三渓荘に移築、1957年(昭和32年)熱田神宮に寄贈・移築
現在の所在地 愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1(熱田神宮境内)
所有者 宗教法人熱田神宮
現在の用途 茶室(月次献茶・各種茶会・披露宴等に使用)
一般公開 外観見学は可能、内部は通常非公開(茶会等のイベント時を除く)
アクセス 名鉄「神宮前」駅より徒歩約3分、JR「熱田」駅より徒歩約8分

参考文献

又兵衛(旧坂上家住宅) — 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/148755
又兵衛 — Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%88%E5%85%B5%E8%A1%9B
又兵衛(旧坂上家住宅) — 愛知県教育委員会 文化財ナビ愛知
https://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/yukei/kenzoubutu/kunitouroku/1073.html
又兵衛 | 境内案内 — 熱田神宮公式サイト
https://www.atsutajingu.or.jp/jingu/about/keidai/keidai27.html
熱田神宮 — Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%B1%E7%94%B0%E7%A5%9E%E5%AE%AE
熱田神宮・又兵衛(茶席)【登録有形文化財】 — 熱田神宮-御朱印
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最終更新日: 2026.03.22