名古屋駅の南に残る茅葺の民家

名古屋駅から南へ約一キロメートル、住宅が密集する一画に、幅二メートルほどの路地に面して茅葺の屋根がのぞく。筧家住宅の主屋である。木造平屋建、建築面積はおよそ129平方メートル。屋根は銅板で覆われているが、その下には建築当初の茅葺が残る。2013年(平成25年)に国の登録有形文化財となった。

建てられたのは江戸末期と考えられているが、正確な竣工年は分かっていない。もとは円福寺の南側に建っていた農家の建物だったとされ、これを筧家が譲り受け、明治元年(1868年)に烏森の人夫の手で曳家されて現在地へ移されたと伝わる。明治24年(1891年)には東側に小屋部が増築された。

筧家と米野の地

主屋が建つ米野は、かつて笈瀬川と古代東海道に挟まれた低地で、14世紀には農耕が営まれていたとされる。地域には筧姓が多い。家伝によれば、筧家の祖は大坂で豊臣秀吉に仕えた筧秀満で、秀吉の没後にその故郷である尾張中村の近くへ移り、のちに米野へ住み着いたという。

家系の細部をすべて裏づけることは難しい。それでも、この住宅が秀吉ゆかりの土地に長く根を下ろしてきたことは確かで、家は代々この地を守ってきた。

四つ建ての構え

主屋は、この地方の伝統的な架構である「四つ建て」(鳥居建て)で組まれている。まず四本の上屋柱を立て、梁と差し物でつないでから、その周囲に建物をまとめていく方法で、尾張の民家に広く用いられた素朴で堅牢な架け方である。

柱をよく見ると、継手の跡や使われていないほぞ穴が残る。古材を再利用して建てられたことが読み取れ、農家らしい質実さがうかがえる。屋根も同じく層をなしている。表に見える銅板は戦後、七代当主の筧鉱一が葺いたもので、その下には江戸期の茅葺が残されている。

間取りは地域に典型的な整型四間取で、玄関を入った左手に座敷と客間が並ぶ。客間の天井には湾曲した梁が渡る。かつてこのあたりに囲炉裏があったため、竹を組んだすのこ天井は長い年月の煙で煤竹となった。煤竹は茶杓や、能で用いる能管の材として珍重される素材である。

「登録」という保護のかたち

日本の歴史的建造物の保護には、性格の異なる二つの仕組みがある。とくに価値の高いものを国が選ぶのが「指定」で、その頂点に国宝、次に重要文化財が置かれ、保護も厳格である。筧家住宅主屋が属するのは、もう一方の「登録」である。築五十年以上を経て地域の景観に寄与する建物を対象とする、規制の緩やかな制度で、所有者は住み続けながら手を加える自由を比較的保てる。

登録は2013年(平成25年)12月24日、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として行われた。これに先立ち2011年には名古屋市の登録地域建造物資産となり、2017年には同市の認定地域建造物資産に認定されて、まちなみデザイン賞を受けている。評価されたのは、全国有数の巨大ターミナルにほど近い住宅地の只中に、在地の工法で建てられた江戸期の民家が残ってきたことである。

見どころ

庭には見事な松があり、名古屋能楽堂の鏡板に描かれた老松の下絵になったと伝えられる。これは偶然ではない。七代当主の筧鉱一は大倉流大鼓方の能楽師で、重要無形文化財の保持者でもあった。2004年ごろから子ども向けの能楽教室を開き、2012年には明治前期の平屋の別棟を14畳の稽古場に改めた。稽古場は今も使われている。

同じ稽古場には、もう一つの来歴をもつ建具がある。蒲郡の旧蒲郡ホテルの迎賓施設にあった竹の絵の建具で、施設の廃業に際し、散逸を惜しんだ筧鉱一が買い取ったものである。対になる松の建具はのちに蒲郡市が買い戻したが、竹の建具はこの稽古場の障塀画として残っている。

建物には地震の痕も刻まれている。1891年に小屋部を増築したわずか一か月後、濃尾地震が起こって建物が傾いた。修理の跡はいまも見え、添え柱を入れ、明治の鍛冶師が手づくりした四角いボルトで締め直している。床下には、同じ地震の液状化で生じた地割れの跡が残り、その生々しさから、自然災害を扱うテレビ番組の取材を受けたこともある。

訪ねるには/周辺

筧家住宅は現在も住まいとして使われている個人の住宅で、常時公開の施設ではない。内部を見られる主な機会は、愛知県国登録有形文化財建造物所有者の会(愛知登文会)が毎秋催す「あいたて博」の特別公開で、県内の登録建造物が順に公開される。訪問を考える場合は、門前に向かう前に同会の日程を確かめ、生活の場である周囲の細い路地への配慮を忘れないようにしたい。

周辺は歩く価値のある一帯である。住宅のある中村は、筧家が仕えたと伝わる豊臣秀吉の生誕地とされる。西へ少し行けば中村公園があり、秀吉をまつる豊国神社や、秀吉と加藤清正をしのぶ記念館など、ゆかりの施設が集まる。北へ約一キロメートルの名古屋駅は国内有数の高層・巨大ターミナルで、徒歩十数分のところにある茅葺や木組みとの対照が際立つ。

Q&A

Q中を見学できますか。
A通常は見学できません。個人の住宅で、博物館のように常時公開はしていません。内部を見られる主な機会は、愛知登文会が秋に行う特別公開「あいたて博」です。訪問前に同会の日程をご確認ください。
Q「登録」と「重要文化財」はどう違うのですか。
A重要文化財や国宝への「指定」は、とくに価値の高いものを対象とし、保護も厳格です。筧家住宅主屋の「登録」は、地域の景観に寄与する建物を対象とする緩やかな制度で、所有者が住みながら活用しやすい点に特徴があります。
Q「四つ建て」とはどのような工法ですか。
A鳥居建てとも呼ばれ、まず四本の上屋柱を立て、梁と差し物でつないでから建物全体を組む架構です。名古屋を含む尾張地方の民家に広く用いられました。
Q屋根は本当に茅葺なのですか。金属に見えます。
Aどちらも正しいといえます。建築当初の茅葺屋根が下に残っており、戦後その上に銅板を被せて保護したため、外からは金属の屋根に見えます。
Qアクセスと周辺の見どころは。
A名古屋駅から南へ約一キロメートル、徒歩十数分です。一帯の中村は豊臣秀吉ゆかりの地で、豊国神社や記念館のある中村公園と合わせて巡るとよいでしょう。

基本情報

名称筧家住宅主屋(かけひけじゅうたくしゅおく)
所在地愛知県名古屋市中村区下米野町3-29
区分登録有形文化財(建造物)/2013年(平成25年)12月24日登録/登録番号23-0381/登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」
時代江戸末期(建築)/明治初期に移築/明治24年(1891年)に小屋部を増築
員数1棟
構造木造平屋建、茅葺(銅板仮葺)、建築面積約129㎡
工法四つ建て(鳥居建て)
その他の評価名古屋市登録地域建造物資産(2011年)/認定地域建造物資産(2017年)/まちなみデザイン賞(2017年)
公開状況個人住宅のため常時非公開。内部見学は主に秋の「あいたて博」特別公開時。

参考文献

筧家住宅主屋 — 文化遺産オンライン(国立情報学研究所)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/285599
国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009760
筧家住宅 — ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/筧家住宅
愛知県国登録有形文化財建造物所有者の会(愛知登文会)
https://www.aichi-tobunkai.org/
歴史的建造物 — なごや歴まちネット
https://www.nagoya-rekimachinet.jp/rekishiteki/

最終更新日: 2026.06.17