愛知の丘に建つドイツ風の研究所建築
この建物を建てた人物は、いま千円札の顔になっている。北里柴三郎。嘉永5年(1853年)に肥後国、現在の熊本県に生まれ、ドイツに渡ってロベルト・コッホのもとで細菌学を学んだ。破傷風菌の純粋培養に成功し、血清療法の確立にも関わった、近代日本医学の出発点に立つ研究者である。
自前の研究所の本館を建てるにあたり、北里が手本にしたのは華やかな東京の流行建築ではなかった。みずからが学んだドイツの研究所であった。完成したのは大正4年(1915年)、場所は東京・白金。木造2階建、勾配が途中で折れる腰折れ屋根を天然スレートで葺き、玄関の上に段状の破風を載せた、ドイツ・バロック風の建築である。
白金の地に60年余り建ち続けたこの本館は、昭和54年(1979年)に解体され、翌昭和55年(1980年)、西へおよそ350キロ離れた愛知県犬山市の野外博物館・博物館明治村に移築復原された。開国後の日本が西洋の科学を西洋の器に収めようとした時代の空気が、その外観に残っている。
どの区分で、なぜ守られているのか
まず区分をはっきりさせておきたい。これは国宝でも重要文化財でもない。平成15年(2003年)12月1日に登録番号23-0079で国の登録原簿に記された、登録有形文化財(建造物)である。登録は、指定よりも緩やかな保護のしくみだ。平成8年(1996年)に設けられ、厳格な指定の枠から外れる膨大な近代建築を守るために、現状の保存を求めつつ日常的な活用を認める。
登録の基準は「造形の規範となっているもの」。言いかえれば、20世紀初頭の日本が西洋木造建築をどう消化したかを、保存状態よく示している好例ということである。希少性そのものよりも、ある時代の建築史の断面を明快に見せる点と、日本の医学を切り開いた人物につながる点に、その価値がある。
公式の記録に触れておくと、員数は1棟。建築面積はおよそ360平方メートル、屋根は天然スレート葺の一部を銅板で仕上げ、塔屋を備える。
見どころ
まず屋根を見上げたい。勾配が途中で一段折れる腰折れ屋根には、石を薄く割った天然スレートが葺かれ、小屋裏に光を入れる櫛形の屋根窓(ドーマー窓)が並ぶ。一段高い中央部には八角形の小塔が載る。玄関の上を飾るのは、段を重ねた破風と八角の尖塔。この二つが意匠の要である。
近づくと、木造ならではの細部が目に入る。外壁は横に板を重ねた下見板張、その下の腰壁と軒下の小壁は縦の竪羽目板張に切り替わる。上げ下げ窓のまわりには柱形を表し、立面に陰影を与えている。玄関の車寄せを支えるのは縦に溝を刻んだ角柱で、上部には低いパラペットがめぐる。
平面には実用の工夫が隠れている。主要な部屋は北側に配された。北からの光は一日を通して変化が小さく、顕微鏡をのぞく研究者に安定した明るさを与えた。ここが博物館の展示物になる前に、現役の研究の場であったことを思い出させる配置である。
内部はいま「北里研究所本館・医学館」として使われている。令和6年(2024年)5月、北里柴三郎が新千円札の肖像に採用されたのを機に常設展示が一新され、北里の生涯と日本の感染症研究の黎明期をたどる内容になった。長く非公開だった2階の実験室も、見学できるようになっている。
周辺の見どころとアクセス
目的地は建物一棟ではなく、博物館明治村そのものだ。入鹿池を見下ろす丘陵に、明治・大正期の建造物が60棟あまり集められ、いくつかはそれ自体が登録・指定文化財になっている。フランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテル中央玄関を移築した一画が看板で、園内には蒸気機関車や市電も走る。敷地は広く、建物のあいだを歩くだけでも時間がかかるので、半日から一日を見込みたい。
犬山の町そのものも訪ねる価値がある。明治村から少し離れた場所には、現存最古級の天守をもつ犬山城が建つ。その天守は国宝に指定された数少ない例の一つで、城下町には茶屋や工芸の店が並ぶ。
明治村へは名鉄犬山線で名古屋から特急でおよそ30分、犬山駅からバスで向かう。開村日や開村時間は季節によって変わり、整備のため臨時に休むこともあるため、出かける前に公式の開村カレンダーを確認しておくとよい。
Q&A
- 建物は当時のままですか。元の場所に建っているのですか。
- 建物は大正4年(1915年)竣工の本物ですが、建っている場所は元の地ではありません。東京・白金に建てられ、昭和54年に解体、昭和55年に明治村へ移築復原されました。移築自体がこの建物の歴史の一部です。
- 中に入れますか。
- 入れます。明治村の施設として公開されており、北里柴三郎に関する展示があります。見学は明治村の入村料に含まれます。これまで非公開だった2階の実験室も見られるようになりました。
- 北里柴三郎とはどんな人物ですか。
- ドイツでコッホに学び、破傷風菌の純粋培養や血清療法で知られる細菌学の先駆者です。この建物が本館を務めた研究所の創立者で、令和6年(2024年)からは千円札の肖像にもなっています。
- なぜドイツ風の外観なのですか。
- 北里が自身の学んだドイツの研究所を手本にしたためとされます。腰折れ屋根や段状破風といったドイツ・バロック風の意匠は、彼の科学を育んだ場所への意識的な目配せといえます。
- 見学にはどのくらい時間が必要ですか。
- 明治村全体では半日から一日を見込んでください。60棟を超える建物が丘陵に点在する広い博物館で、徒歩や園内の乗り物で移動するのに時間がかかります。
基本情報
| 名称 | 明治村北里研究所本館(めいじむらきたざとけんきゅうじょほんかん) |
|---|---|
| 所在地 | 愛知県犬山市内山1 博物館明治村内 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録番号 23-0079 |
| 登録年月日 | 平成15年(2003年)12月1日 |
| 建築/移築 | 大正4年(1915年)東京に竣工、昭和55年(1980年)明治村へ移築 |
| 構造 | 木造2階建、天然スレート葺一部銅板葺、建築面積約360平方メートル、塔屋付 |
| 員数 | 1棟 |
| 所有者 | 公益財団法人明治村 |
| 公開状況 | 博物館明治村内で公開(入村料が必要) |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00003666
- 文化遺産オンライン(国立文化財機構)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/179886
- 北里研究所本館・医学館(博物館明治村)
- https://www.meijimura.com/sight/北里研究所本館・医学館/
- 港区ゆかりの人物データベース:北里研究所
- https://www.lib.city.minato.tokyo.jp/yukari/j/bld-detail.cgi?id=46
最終更新日: 2026.06.17