全国の登録有形文化財
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三重県亀山市白木町の白川小学校校舎南棟は、昭和29年竣工の木造平屋建校舎。桁行58メートルの切妻造桟瓦葺で、正面中央に千鳥破風と玄関ポーチを構える。平成21年に国の登録有形文化財となり、今も児童35名が学ぶ現役の校舎である。
神宮徴古館は、三重県伊勢市の倉田山にある明治42年建設の煉瓦造の博物館で、平成10年に登録有形文化財となった。片山東熊らの設計によるルネサンス式の建物で、戦災後に改修されたが外壁まわりが残る。
神宮農業館は、三重県伊勢市の倉田山にある明治38年の木造平屋建ての博物館で、平成10年に登録有形文化財となった。片山東熊の設計で、和風の外観に洋風の架構を収めた和洋折衷の建物である。
三重県松阪市の松坂城跡に明治42年(1909年)に建った鈴屋遺蹟保存会の旧事務所。銅板葺唐破風の玄関に大仏様の細部を用い、洋間の閲覧室と10畳の座敷をもつ。昭和63年(1988年)から茶席「桜松閣」として使われている。
三重県松阪市の松坂城跡に明治42年(1909年)に建てられた鈴屋遺蹟保存会の正門。間口2.7メートルの四脚門で、切妻造本瓦葺。柱を貫く梁の先を大仏様の木鼻とし、梁中央に板蟇股を載せる個性的な意匠をもつ。
三重県松阪市の松坂城跡に明治42年(1909年)に建った鈴屋遺蹟保存会の倉庫。土蔵造2階建、寄棟造の桟瓦葺で、煉瓦積の基礎に漆喰の壁を立て外側を下見板で覆う。渡廊下で旧事務所とつながる控えめな事務所付属の蔵である。
三重県松阪市の松坂城跡に明治42年(1909年)に築かれた鈴屋遺蹟保存会の塀。旧事務所から本居宣長旧宅まで延びる総延長11メートル・9間の木造瓦葺で、腰を下見板張、上部を連子とし、腕木で屋根を支える。
三重県志摩市の大王埼灯台は、昭和2年(1927年)に点灯した高さ23メートルの鉄筋コンクリート造の灯台。外径4.2メートルの円筒形の灯塔に、扇形の列柱と古典主義風の入口をもつ付属舎が付く。上ることもできる。
三重県志摩市の大王埼灯台門柱及び塀は、昭和2年(1927年)に灯台の周囲に築かれた鉄筋コンクリート造の門柱と塀。塀は地形に合わせて海側へ張り出しながら延長105.3メートル続き、門柱はモルタル洗出し仕上げとする。
波瀬宿の脇本陣を務めた田中家の屋敷で、櫛田川に面した崖地を造成する明治後期の石垣。河原石を谷積にした高さ8.1メートル、延長26メートルの擁壁で、城郭を思わせる姿の上に前座敷(洗耳亭)が川へ張り出す。
波瀬宿の脇本陣を務めた田中家の主屋の東を区切る明治35年(1902年)の土塀。延長15メートルで、人頭大の河原石を谷積にした基礎に漆喰塗の土塀を築き、主屋と東蔵をつないで街道に面した屋敷の表構えをつくる。
波瀬宿の脇本陣を務めた田中家が明治33年(1900年)に建てた納屋。旧和歌山街道を挟んで主屋と向かい合う切妻造桟瓦葺の2階建で、内部は東西両端を土間、中央を板敷とし、西の土間に二階へ上る吹抜けを設ける。
旧和歌山街道波瀬宿で脇本陣を務めた田中家の主屋。明治29年(1896年)建築の木造2階建、建築面積356平方メートルの大型町家で、出桁造の正面に格子と木瓜形の虫籠窓、出格子が並ぶ。資料館として一部公開。
津市美杉町三多気に建つ江戸後期の茅葺民家。入母屋造の木造平屋建で、伊賀南部に分布した前座敷型三間取を基本とする。国の名勝「三多気の桜」とともに山村景観をつくるとして平成22年(2010年)に登録された。
波瀬宿の脇本陣を務めた田中家の屋敷の奥、主屋の北西に建つ大正元年(1912年)の家財蔵。土蔵造2階建の南正面に数寄屋風の蔵前座敷を付け、人目に触れる南面の腰だけを海鼠壁、他の三面を下見板張で仕上げる。
波瀬宿の脇本陣を務めた田中家の主屋の西を区切る明治44年(1911年)の土塀。延長27メートルで、河原石の谷積基礎に漆喰塗の土塀を築き、街道に面した南端だけ裾広がりの切石積に鬼瓦を載せて重厚に仕上げる。
波瀬宿の脇本陣を務めた田中家の屋敷で、街道南側の敷地に建つ大正期の納屋。切妻造桟瓦葺の2階建で、東向きの正面を真壁の漆喰塗とし、出格子付きの窓と二階の虫籠窓を設ける。側面と背面は下見板張として仕上げを分ける。
波瀬宿の脇本陣を務めた田中家の主屋の東に建つ明治38年(1905年)の道具蔵。土蔵造2階建で、街道側の南面は石積基礎に縦板張の腰、漆喰塗の壁とし、庇付きの両開窓と水切を備える。外観は街道から見られる。
波瀬宿の脇本陣を務めた田中家の東蔵の背後を区切る明治38年(1905年)の土塀。延長24メートルで、河原石の谷積基礎に漆喰塗の土塀を載せ、地形に合わせて北半分の基礎を石垣状に高くする。主屋北東の庭園の添景。
波瀬宿の脇本陣を務めた田中家が明治16年(1883年)に街道南側の敷地に建てた客座敷。切妻造の西棟と入母屋造の東棟が高い石垣の上に雁行し、川側を開いて櫛田川の渓流を借景とする。資料館の公開日に見学できる。