道後温泉本館 ― 今も湯気立ちのぼる「生きた重要文化財」

四国・松山の中心からほど近い道後の町に、まるで小さな城が舞い降りたかのような木造三階建ての温泉建築がそびえています。屋根の上には小ぶりな塔屋「振鷺閣(しんろかく)」が乗り、夜になると赤いギヤマン(ガラス)が灯ってまちを見守ります。これが、日本最古の温泉といわれる道後温泉の象徴、道後温泉本館です。神の湯本館棟、又新殿・霊の湯棟、南棟、玄関棟の四棟からなる複合建築で、一九九四年(平成六年)十二月に、公衆浴場としては日本で初めて国の重要文化財に指定されました。

約六年にわたる耐震・保存修理工事を経て、二〇二四年七月に全館が再開。神の湯、霊の湯、そして皇室専用の御湯殿だった又新殿が、ふたたび訪れる人を迎えています。重要文化財の建物そのものに浸かれる温泉として、世界の旅行者にも知られた場所です。

三千年の湯けむり、文学と神話のあいだに

道後温泉の歴史は古く、湧出は約三千年前に遡ると伝えられます。最古の歌集『万葉集』にもその名が現れ、聖徳太子や斉明天皇の行幸の伝承も残ります。傷ついた一羽の白鷺が湯に脚をひたして傷を癒し、空へ飛び立っていったという伝説は今も生きており、振鷺閣の頂に止まる小さな白鷺の像となって、道後の町を見下ろしています。

現在の本館は、明治の温泉建築です。初代道後湯之町長・伊佐庭如矢(いさにわ ゆきや)が「百年先まで誇れる温泉場をつくる」という思いで改築計画を主導し、明治二十三年(一八九〇)に着工、明治二十七年(一八九四)に神の湯本館棟が竣工しました。以後、明治三十二年に皇族専用の又新殿・霊の湯棟、大正十三年に南棟と玄関棟が建て継がれ、今日見られる四棟一体の姿が完成します。

なぜ重要文化財に指定されたのか

平成六年(一九九四)十二月二十七日、神の湯本館(明治二十七年竣工)、又新殿・霊の湯棟(明治三十二年竣工)、南棟・玄関棟(大正十三年竣工)の四棟が、まとめて「道後温泉本館」の名で国の重要文化財に指定されました。公衆浴場が重要文化財に指定されたのは、これが日本で初めてのことです。

指定の決め手となったのは、城大工十代目・坂本又八郎の設計による、和風を基調とした大規模複合建築としての完成度です。神の湯本館は桟瓦及び銅板葺きの木造三階建てで、入母屋造の大屋根の上に宝形造の塔屋(振鷺閣)を載せます。又新殿・霊の湯棟は銅板及び檜皮葺きの木造二階建て一部三階建てで、正面には皇族の入浴のために設けられた御成門が構えられています。本館全体は入母屋・寄棟・宝形などが複雑に組み合わさった屋根構成を持ち、わが国を代表する温泉建築として高く評価されました。

指定はまた、明治という時代に日本が城郭や社寺の伝統を「公衆のための温泉」という新しい用途へと再構成した、その建築的達成の象徴でもあります。多くの人が思い浮かべる「日本の古い温泉」の姿は、この本館によってかたちづくられた、と言っても言いすぎではありません。

見どころ

振鷺閣と一日三度の刻太鼓

本館の屋根の上に小さく載る塔屋・振鷺閣には、大きな太鼓が吊されています。朝六時の開館時、正午、夕方六時の一日三回、刻太鼓(ときだいこ)が響き、温泉街の時を告げます。この音は平成八年(一九九六)に環境庁の「残したい日本の音風景百選」に選ばれました。日が落ちると、塔屋を彩る赤いギヤマンの灯がともり、湯けむり立つまちを静かに照らします。

二つの湯 ― 神の湯と霊の湯

本館には性格の異なる二つの石造りの浴室があります。広く開放的な「神の湯」は、中央に湯口の役割を果たす円柱形の「湯釜」が据えられ、砥部焼の陶板に大国主命と少彦名命の二神像が描かれています。もう一つの「霊の湯(たまのゆ)」は、より小ぶりで落ち着いた格式高い浴室です。いずれの浴槽にも、加温も加水もしない源泉が直接注がれ、毎日の換水と清掃が行われています。

又新殿 ― 日本で唯一の皇室専用浴室

明治三十二年(一八九九)に建てられた又新殿は、温泉地の公衆浴場に併設された皇室専用の御湯殿としては日本でただ一つの建物です。「又新」の名は、四書五経の一つ『大学』の「日に日に新たに、また日に新たなり」に由来し、日々新たに自らを修めるという意味を持つと伝えられます。桃山様式を基調とした内部は金箔・襖絵・組子細工に飾られ、玉座の間、御居間、御湯殿、御厠(御化粧の間)など、見どころが連なります。現在は入浴施設としては使われていませんが、有料のガイドツアーで内部を観覧することができます。

坊っちゃんの間

神の湯本館棟の三階、北西の角部屋は「坊っちゃんの間」として親しまれています。明治二十八年(一八九五)に松山中学校に赴任した夏目漱石が、友人の正岡子規とともに本館を訪れた際に休憩したと伝えられる部屋で、昭和四十一年(一九六六)に漱石の娘婿・松岡譲によって命名されました。漱石の胸像や写真、小説『坊っちゃん』ゆかりの資料が展示され、入館者は無料で見学できます。

新たに開放された貸切休憩室

令和六年(二〇二四)の全館再開にあわせ、これまで非公開だった上階の二室「しらさぎの間」「飛翔の間」が、予約制の貸切休憩室として一般に開放されました。霊の湯への入浴と、ゆったりとくつろげる和室、銘菓やお茶の心づかいまでがそろう特別なプランです。

利用案内

本館の利用は、入浴コース別の選択制です。最も手軽な「神の湯階下」は神の湯への入浴のみのプランで、「神の湯二階席」は二階の休憩大広間が、「霊の湯二階席」「霊の湯三階個室」では霊の湯と異なる休憩スペースが、それぞれセットになります。霊の湯のコースには又新殿の自由観覧も含まれ、上位プランほど浴衣・タオル・お茶菓子などのサービスが充実します。

本館は宿泊施設ではありません。周辺の道後温泉旅館協同組合加盟の老舗旅館が、宿泊を引き受けています。神の湯と霊の湯にはそれぞれ男女別の浴室があり、シャンプー・コンディショナー・ボディソープが備え付けられています。タオル類は売店で購入・レンタルできます。

又新殿は入浴施設ではなく、ガイド付きの観覧(午前九時~午後五時、最終受付十六時三十分)を別途利用してください。新設された貸切休憩室「しらさぎの間」「飛翔の間」は、利用日の九十日前から前日午後五時まで、公式サイトの予約フォームまたは電話(〇八九―九〇七―五五五四)で予約できます。早朝、土日、桜・紅葉の時期は混雑するため、時間に余裕をもって訪れることをおすすめします。

周辺の見どころ

本館は徒歩でめぐれる温泉街の中心にあります。道後温泉駅は明治四十四年(一九一一)に開業した洋風建築の趣を継ぐレトロな駅舎で、現在はスターバックスも入っています。駅から本館へ続くアーケード「道後ハイカラ通り」には、みかんジュース、じゃこ天、坊っちゃん団子といった愛媛・松山の名物店が軒を連ね、ぶらりと歩くだけでも飽きません。

本館のすぐ近くには、同じ運営の二つの公衆浴場があります。平成二十九年(二〇一七)に開業した飛鳥時代風建築の「道後温泉別館 飛鳥乃湯泉」と、地元の人に長く親しまれる「椿の湯」です。本館の裏手の石段を上がると、温泉の守護神を祀る湯神社が静かに鎮座し、少彦名命と大国主命の二神を祀ります。北側の道後公園は中世の湯築城跡で、桜の名所として知られ、北口には子規記念博物館があります。

市内中心へ少し足を延ばせば、丘の上にそびえる現存十二天守の一つ・松山城、そして四国八十八か所霊場第五十一番札所として知られる石手寺など、見どころは尽きません。朝に松山城、午後にハイカラ通り、夕方の刻太鼓に合わせて本館の湯につかる ― そんな一日の過ごし方が、道後の魅力をいちばんよく味わえる組み立てかもしれません。

Q&A

Q道後温泉本館は、見学だけでなく実際に入浴できますか?
Aはい、現役の公衆浴場として営業しています。最も手軽な「神の湯階下」プランなら大人七百円から入浴でき、重要文化財の建物そのものに身を浸すことができます。
Q予約は必要ですか?
A通常の入浴コースは予約不要です。ただし新設の貸切休憩室「しらさぎの間」「飛翔の間」、および又新殿のガイド付き観覧は事前予約をおすすめします。混雑日は入浴のみのコースでも整理券配布となる場合があります。
Q館内で写真を撮ってもよいですか?
A浴室内および又新殿の内部、他のお客様が休憩している場所での撮影はご遠慮ください。外観や玄関棟、坊っちゃんの間などは原則として撮影できますが、現地の案内表示に従ってください。
Q映画『千と千尋の神隠し』のモデルというのは本当ですか?
Aスタジオジブリの宮崎駿監督が湯屋の着想源の一つにしたとしばしば紹介されています。迷路のような階段や廊下、提灯のともる窓辺の風情は、確かに作中の世界観と重なります。
Q交通アクセスは?
A伊予鉄道市内電車五系統で、JR松山駅から道後温泉駅まで約二十分。駅から本館までは道後ハイカラ通りを抜けて徒歩約四分です。松山空港からは空港リムジンバスで道後温泉駅まで約四十五分。

基本情報

名称 道後温泉本館(南棟、神の湯本館、又新殿・霊の湯棟)
所在地 愛媛県松山市道後湯之町五番六号(〒790-0842)
指定区分 国指定 重要文化財(指定年月日:平成六年(一九九四)十二月二十七日)
竣工 神の湯本館:明治二十七年(一八九四)/又新殿・霊の湯棟:明治三十二年(一八九九)/南棟・玄関棟:大正十三年(一九二四)
設計 坂本又八郎(城大工十代目)
構造 木造三階建(一部)、桟瓦及び銅板葺、銅板及び檜皮葺など、複合建築
所有・運営 松山市
営業時間 神の湯階下:六時〜二十三時(札止め二十二時三十分)/その他コースは概ね二十二時まで/又新殿観覧:九時〜十七時(最終受付十六時三十分)
料金 神の湯階下大人七百円〜。コースにより異なる。又新殿観覧は別料金。
泉質 アルカリ性単純温泉。加温・加水なしの源泉かけ流し。
アクセス 伊予鉄道道後温泉駅から徒歩約四分
電話 〇八九―九二一―五一四一(道後温泉事務所)

参考文献

道後温泉本館 神の湯本館 ― 文化遺産オンライン(NII)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/187486
道後温泉本館 南棟 ― 文化遺産オンライン(NII)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/147038
道後温泉本館 玄関棟 ― 文化遺産オンライン(NII)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/202269
道後温泉公式サイト 本館
https://dogo.jp/onsen/honkan
道後温泉公式サイト 又新殿
https://dogo.jp/yushinden
松山市公式 道後温泉 営業時間と料金案内
https://www.city.matsuyama.ehime.jp/kanko/kankoguide/kankomeisho/dogoonsen/info/ryoukin-jikan.html
道後温泉本館又新殿の一般観覧を再開します ― 松山市報道資料
https://www.city.matsuyama.ehime.jp/hodo/r3/202201/dogo_yushin2.html
入湯できる国重要文化財「道後温泉本館」 ― nippon.com
https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu900285/
道後温泉本館 ― Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/道後温泉本館

最終更新日: 2026.04.30

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  1. 道後温泉本館 南棟 0.01 km
  2. 道後温泉本館 神の湯本館 0.02 km
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