寛文7年に建てられた四棟
伊佐爾波神社は、愛媛県松山市桜谷町にある神社で、寛文7年(1667年)に造営された本殿・申殿及び廊下・楼門・廻廊の4棟が、昭和42年(1967年)に重要文化財に指定されている。
指定は二段階で進んだ。まず本殿が昭和31年(1956年)に単独で指定される。次いで昭和42年(1967年)、申殿及び廊下・楼門・廻廊も本殿と同じ寛文7年の造営であり一郭をなすとして、4棟の一括指定に改められた。附指定は、透塀1棟、末社2棟(高良玉垂社本殿と常盤社新田霊社本殿)、石燈籠2基、棟札1枚。
伊佐爾波神社は延喜式内社であり、社そのものは建物よりはるかに古い。愛媛県の解説によれば、かつては現在の道後公園の場所にあり、建武年間(1334年から1338年)に河野通盛が湯築城を築くため現在の丘へ移したという。
弓の的と、前後に葺き分けられた屋根
寛文の社殿がなぜ建ったのか。神社が伝える由緒は、面目を賭けた一射から始まる。寛文2年(1662年)、松山藩三代藩主の松平定長は江戸城で弓の競射を命じられた。弓の名手として知られていただけに、外せば失うものが大きい。定長は湯月八幡宮に、石清水八幡宮と同じ社殿を建てると誓って祈願した。社伝では、弓を引き絞った定長の前に金の鳩が飛び立ち、放った矢は金的を射抜いたと伝わる。定長は飛騨の工匠を招いて社殿を建て、寛文7年(1667年)に完成させた。
建てられたのが八幡造である。伊佐爾波神社の評価はこの一点にかかっている。本殿はひとつの箱ではなく、二棟が前後に並んで合の間で繋がる。屋根も一枚の面ではなく、前後に葺き分けられる。神社は前の棟を外陣、後ろの棟を内陣と呼び、愛媛県は同じ二棟を前殿・後殿と表記する。資料によって呼称が違うので、別の建物の話と読み違えないようにしたい。
文化庁のデータベースは、二棟とも桁行9間・梁間2間と記す。後方は切妻造・檜皮葺、前方は流造に向拝三所を設け、こちらも檜皮葺。神社は、整った八幡造が現存するのは全国で三例のみであり、伊佐爾波神社はそのひとつだと説明している。
楼門から廻廊、そして本殿へ
伊佐爾波神社への参道は上る。坂の下からまず目に入るのが楼門で、一間一戸、入母屋造、本瓦葺、正面に向拝一間を張り出して向唐破風造とする。軒下の正面には「八幡宮」の扁額が掛かる。
門をくぐると廻廊が左右に開く。桁行延長57間、梁間1間、一重の入母屋造で、屋根は楼門と同じ本瓦葺。南門・北門の部分にはそれぞれ向拝一間の向唐破風が付く。廻廊は社殿を四方から囲み、左右の入口には神像が座る。囲まれているぶん、本殿に入らなくても複数の方向から見比べられる。まっすぐ正面へ向かうより、ひと回りしたほうが得るものが多い。
廻廊と本殿の間に立つのが申殿で、桁行1間・梁間1間、一重の切妻造、檜皮葺。組物は出三ツ斗、その上の中備に蟇股を置く。前方には桁行3間・梁間1間の廊下が妻入で接続し、後端が申殿に取り付く。
本殿は細部を見る建物である。三社を横に連ねた形で、それぞれに階段と扉を備え、中央の階段は狛犬が守る。身舎と向拝の柱をつなぐ蝦虹梁には彫刻が浮き彫りにされ、極彩色が施されている。屋根の脇には迦陵頻伽と天女の彫刻が並ぶ。
廻廊はもうひとつの収蔵物でも知られる。算額22面である。算額とは、和算の問題と解法を記して社寺に奉納した額を指す。難問が解けたことへの奉謝、術の上達の祈願、流派の顕示といった目的で掲げられた。松山市の解説によれば、一社にこれだけの数が集中して残る例は全国的にほかになく、伊佐爾波神社のものは関孝和に始まる関流の算学による。年代は享和3年(1803年)から昭和12年(1937年)まで。平成17年(2005年)に愛媛県の有形民俗文化財に指定された。ただし神社は、傷みの激しいものがあるため現物は公開せず写真のみを掲げていると説明している。
参拝と見学
市内電車なら道後温泉駅で降り、駅前の坂道を上って徒歩約5分。これは神社の交通案内が示している経路そのままである。坂の先には石段が待つので、最後は歩くというより上ることになる。雨の日は石が滑るため、靴を選んで訪れたい。
車の場合は松山自動車道川内インターから県道松山川内線で約30分。駐車場は社殿の裏に57台分あり、境内まで徒歩30秒。午前6時から午後6時の間、参拝者は1時間無料で、入庫時に発券機から駐車券を取り、出庫時に精算機へ入れる。無料時間内なら精算せずにゲートが開く。
境内は開かれており、参拝の時間は限られていない。祈祷や朱印の受付時間は公式サイトに掲出がないため、必要なら社務所(089-947-7447)へ確認したい。指定建造物の内部拝観について公表された案内はない。
撮影はできるが、神社が文書で条件を示している。まず参拝してから撮ること。参道の中央を長時間占有しないこと。シャボン玉や音の鳴る玩具を使わないこと。当社で挙式予約のある日に、当社で挙式しない人のブライダル撮影を行わないこと。守られない場合は撮影を断ると神社は明記している。
Q&A
- 伊佐爾波神社の社殿はいつ建てられ、いつ重要文化財に指定されましたか。
- 4棟とも松平定長による寛文7年(1667年)の造営です。本殿が昭和31年(1956年)に指定され、昭和42年(1967年)に4棟一括の指定へ改められました。
- 伊佐爾波神社の重要文化財はどの建物が対象ですか。
- 本殿、申殿及び廊下、楼門、廻廊の4棟です。あわせて透塀1棟、末社2棟、石燈籠2基、棟札1枚が附として指定されています。
- 伊佐爾波神社の本殿はどこが珍しいのですか。
- 八幡造という形式で、二棟が前後に並び合の間で繋がり、屋根も前後に葺き分けられます。いずれの棟も桁行9間・梁間2間。神社は、整った八幡造の現存例は全国に三例のみだと説明しています。
- 伊佐爾波神社へのアクセスと駐車場を教えてください。
- 市内電車の道後温泉駅で下車し、駅前の坂道を上って徒歩約5分、その先の石段を上ります。車なら松山自動車道川内インターから約30分。社殿裏に57台分の駐車場があり、午前6時から午後6時の間は参拝者1時間無料です。
- 伊佐爾波神社の算額は見られますか。
- 現物は公開されていません。神社は、22面のうち傷みの激しいものがあるため写真のみを掲げていると説明しています。年代は享和3年(1803年)から昭和12年(1937年)で、平成17年(2005年)に愛媛県の有形民俗文化財に指定されています。
基本データ
| 名称 | 伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ) |
|---|---|
| 所在地 | 愛媛県松山市桜谷町 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物)、附として透塀1棟・末社2棟・石燈籠2基・棟札1枚 |
| 指定年 | 昭和31年(1956年)本殿指定、昭和42年(1967年)4棟として指定 |
| 員数 | 4棟(本殿、申殿及び廊下、楼門、廻廊) |
| 寸法 | 本殿は前後の棟とも桁行9間・梁間2間、廻廊は桁行延長57間・梁間1間、申殿は桁行1間・梁間1間で廊下は桁行3間・梁間1間 |
| 所有者 | 伊佐爾波神社 |
| 公開状況 | 境内は参拝自由。指定建造物の内部公開についての案内はない |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「伊佐爾波神社 本殿」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/3344
- 文化庁 国指定文化財等データベース「伊佐爾波神社 申殿及び廊下」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/3345
- 文化庁 国指定文化財等データベース「伊佐爾波神社 楼門」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/3346
- 文化庁 国指定文化財等データベース「伊佐爾波神社 廻廊」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/3347
- 文化遺産オンライン「伊佐爾波神社 本殿」
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/148541
- 愛媛県 えひめの文化財(たから)「伊佐爾波神社」
- https://www.pref.ehime.jp/ehimenotakara/12.html
- 伊佐爾波神社 公式サイト
- https://isaniwa.official.jp/
- 伊佐爾波神社 公式サイト「算額」
- https://isaniwa.official.jp/御宝物/算額/
- 伊佐爾波神社 公式サイト「交通案内」
- https://isaniwa.official.jp/交通案内/
- 松山市「伊佐爾波神社算額 22面」
- https://www.city.matsuyama.ehime.jp/kanko/kankoguide/rekishibunka/bunkazai/ken/isaniwa_sangaku.html
最終更新日: 2026.09.03
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