屋敷の西辺を守る19メートルの壁
旧堀田廣之家住宅煉瓦塀は、愛知県津島市祢宜町にある煉瓦造の塀で、大正2年(1913年)1月に完成し、平成28年(2016年)に登録有形文化財に登録された。延長19メートル、高さ2.4メートル。敷地の西辺を画している。
文化庁の解説文は、この塀の役割を敷地の防火性能を高めるものと明記する。津島の町場は木造の家々が軒を接して並ぶ市街地で、隣家から火が出れば延焼を止める手立ては乏しい。西からの火に対して、旧堀田廣之家住宅煉瓦塀は物理的な壁として立ちはだかる。装飾のための塀ではなく、目的の決まった構造物である。
家より先に、塀を積んだ
この塀の建設過程は日付まで分かっている。津島市立図書館が公開した「堀田廣之文庫」の資料によると、大正元年(1912年)11月に地搗、12月に土台のコンクリート施工を終え、12月22日から煉瓦塀の積み上げに取りかかった。完成は翌大正2年(1913年)1月14日。桑名から来た19人の煉瓦師が、9000丁の煉瓦を積んだ。
注目したいのは順番である。主屋の建前(上棟)が行われたのは同じ年の4月12日で、旧堀田廣之家住宅煉瓦塀はそれより3か月早く仕上がっている。家の骨組みが立つより先に、防火の壁が完成していたことになる。施主の堀田廣之は明治45年(1912年)の夏、業者を決めるために桑名・名古屋・岐阜を往復していた。煉瓦師を桑名から呼び寄せたのも、その往復のなかで結ばれた縁だろう。
19人という人数と14日という工期も具体的である。年明けの寒い時期に、9000丁を毎日積み続けた計算になる。
イギリス積、控えの柱型、蛇腹
旧堀田廣之家住宅煉瓦塀の積み方はイギリス積である。煉瓦の長い面だけを見せる段(長手積)と、短い小口だけを見せる段とを、一段おきに交互に重ねる方式で、明治期の日本で官庁や工場の建築に広く採られた。壁面を近くで見ると、細長い長方形が並ぶ段と、正方形に近い小口が並ぶ段とが縞になって上がっていくのが分かる。目地の通り方まで含めて、積み方は隠しようがない。
2メートルごとに、敷地の内側へ向けて柱型が突き出している。控えである。煉瓦の壁は上下方向の荷重には強いが、横から押される力には弱く、高さ2.4メートルで延長19メートルの独立した壁を、控えなしで立てておくことはできない。柱型を外ではなく内側に出したのは、通りに面する西側の壁面を平らに保つためだろう。
上端では、煉瓦を段々に迫り出させて蛇腹状の装飾としている。雨だれを壁面から離す実用の意味もあるが、水平の影の線が一本走ることで、19メートルの単調な面に締まりが出る。文化庁の解説文はこの塀について、防火性能を高めるとともに近代的な趣向を見せるものと述べる。防火という即物的な目的と、明治末の新しさへの関心とが、同じ壁の上で釣り合っている。
屋敷はその後、昭和19年(1944年)の東南海地震、昭和34年(1959年)の伊勢湾台風、昭和36年(1961年)の水害を経ている。組積造の塀にとって地震の横揺れは最も苦手とするところで、2メートルごとの控えが効いたことは想像に難くない。
見学の可否とアクセス
旧堀田廣之家住宅煉瓦塀がある屋敷は非公開である。津島市の文化遺産アーカイブも公開状況を「非公開」と明記しており、敷地に立ち入ることも、主屋や蔵を見学することもできない。特別公開や事前申込の制度は設けられていない。
ただし塀そのものは屋外の構造物で、道路の側から見ることができる。訪ねる価値があるのはむしろここで、旧堀田廣之家住宅煉瓦塀は5件の登録物件のうち、門・板塀と並んで実際に細部まで観察できる数少ない対象である。積み方の縞、目地の幅、上端の蛇腹の段数。いずれも立ち止まって数えられる。控えの柱型は敷地の内側にあるため道路からは見えにくいが、壁面のわずかな影の変化で位置を推測できる。撮影は公道上からであれば妨げられない。住人の生活があるので、塀越しに敷地内へレンズを向けることは控えたい。
最寄り駅は名鉄津島線・尾西線の津島駅で、西へおよそ1キロメートル、徒歩15分ほど。屋敷は北側で祢宜町通りに面し、旧堀田廣之家住宅煉瓦塀はそこから西の辺へ折れて続く。西隣の堀田家住宅(重要文化財)は津島市の所有で、土曜日・日曜日・祝日の午前10時から午後3時まで公開されている(一般300円、小中学生100円。2026年8月確認)。江戸時代の町家がどう火に備えたかを本家で見てから、煉瓦という新しい答えを見ると、100年ほどの間に何が変わったかが分かる。
Q&A
- 旧堀田廣之家住宅煉瓦塀は見学できますか。道路から見えますか。
- 屋敷は非公開で立ち入れませんが、塀は屋外の構造物なので道路の側から観察できます。津島市の文化遺産アーカイブも公開状況を「非公開」としています。
- 旧堀田廣之家住宅煉瓦塀はいつ、誰が積んだのですか。
- 大正元年(1912年)12月22日に着工し、大正2年(1913年)1月14日に完成しました。桑名から来た19人の煉瓦師が9000丁を積んだと、施主が残した記録にあります。
- 旧堀田廣之家住宅煉瓦塀の「イギリス積」とはどんな積み方ですか。
- 煉瓦の長い面を見せる段と、短い小口を見せる段とを一段おきに交互に積む方式です。明治期の日本で官庁や工場に広く用いられました。
- 旧堀田廣之家住宅煉瓦塀は何のために造られたのですか。
- 文化庁の解説文は、敷地の防火性能を高めるとともに近代的な趣向を見せるものと説明しています。木造家屋が密集する津島の市街地で、西からの延焼を防ぐ壁として機能します。
- 旧堀田廣之家住宅煉瓦塀へのアクセスは。最寄り駅からどのくらいですか。
- 名鉄津島線・尾西線の津島駅から西へ約1キロメートル、徒歩15分ほどです。屋敷は祢宜町通りに面し、塀は敷地の西辺に沿って続きます。
基本データ
| 名称 | 旧堀田廣之家住宅煉瓦塀 |
|---|---|
| 所在地 | 愛知県津島市祢宜町68 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 指定年 | 2016年登録 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 煉瓦造、延長19メートル、高さ2.4メートル |
| 所有者 | 不明(文化庁データベースに記載なし) |
| 公開状況 | 非公開(外観は道路から見学可) |
参考文献
- 国指定文化財等データベース 旧堀田廣之家住宅煉瓦塀(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00011321
- 文化遺産オンライン 旧堀田廣之家住宅煉瓦塀
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/243938
- 津島市の歴史・文化遺産 旧堀田廣之家住宅(津島市教育委員会)
- https://www.tsushima-bunka.jp/map/kunitouroku/map000462.html
- 堀田廣之文庫展 資料(津島市立図書館)
- https://www.lib.tsushima.aichi.jp/wp/wp-content/uploads/201706_hotta_re.pdf
- 重要文化財「堀田家住宅」について(津島市)
- https://www.city.tsushima.lg.jp/shokai/bunka/bunkazai/jyuuyoubunnkazai.html
最終更新日: 2026.08.31