祢宜町通りに建つ近代和風住宅
旧堀田廣之家住宅主屋は、愛知県津島市祢宜町にある木造2階建、瓦葺の住宅で、明治45年(1912年)に着工し、平成28年(2016年)に登録有形文化財に登録された。建築面積は205平方メートル。津島神社の門前として栄えた祢宜町の通りに面し、本家にあたる堀田家住宅(重要文化財)の東隣に建つ。
施主は堀田廣之(1887年から1962年)。金融業や酒造業で財を成した堀田理右衛門家の三男で、分家するにあたって父が屋敷の東隣に新しい邸宅を用意した。名字は同じでも、本家の堀田家住宅が江戸時代中期の町家であるのに対し、こちらは明治の終わりに一から設計された住宅である。世代も、建てられた時代の空気も違う。
通りから見えるのは板塀と門、そして敷地の西辺を画す煉瓦塀で、主屋そのものは塀の内側に控えている。塀越しに瓦屋根の稜線と二階の窓の並びが覗く程度だが、それでも屋根の高さから、これが平屋を基本とした周囲の町家とは別の構えであることは分かる。
日付までたどれる建築の記録
旧堀田廣之家住宅主屋がほかの近代和風住宅と違うのは、建った過程が家の側の記録で追える点にある。津島市立図書館が展示公開した「堀田廣之文庫」には、施主自身が残した日記・設計図・領収書が含まれており、工事の進み方が日付単位で分かる。
それによれば、廣之は明治45年(1912年)5月2日におおよその間取り図を自分で引き、同月28日に名古屋の八卦見のもとを訪れて家相を見てもらっている。このとき助言を受けたのは風呂場と便所、客用便所の方角だった。6月に設計士を雇って詳細な図面を起こさせ、7月から各地へ材料の発注を出す。棟梁に招かれたのは津島の杉田和平で、堀田本家に出入りしていた大工である。文化庁の解説文も、この住宅を「堀田本家出入の棟梁、杉田和平の手がけた住宅」と記す。
地鎮祭は大正元年(1912年)10月30日。祭主は津島神社の社掌が務めた。建前(上棟)の日取りもまた八卦見に相談したうえで大正2年(1913年)4月12日と決まり、足場を組むために八百代という材木工場から丸太が2000本余り運び込まれている。当日は雨だった。骨組みは同じ年の7月にほぼ組み上がるが、内部の造作はさらに続き、仕上がったのは大正3年(1914年)5月である。
文化庁の国指定文化財等データベースは、旧堀田廣之家住宅主屋の年代を明治45年(1912年)と記載している。着工の年を採ったものとみられ、家に伝わる記録が示す竣工年とは1年から2年の差がある。どちらかが誤りというより、建物の「年代」をどの時点で数えるかの違いと考えるのが自然だろう。
一階と二階を入れ替えた間取り
旧堀田廣之家住宅主屋の特徴として文化庁が挙げるのは、生活の場と接客の場を上下に振り分けた構成である。一階に日常の空間を置き、二階に客を通す座敷を構える。江戸時代の町家では、通り土間の奥へ座敷を並べていくのが定石で、客は水平に奥へ進んだ。それを垂直に組み替えたことになる。
この配置は、明治の終わりから大正はじめにかけて津島で流行した住宅の形をよく示すものと評価されている。二階を接客に使えば、通りの喧騒から離れた高さで客をもてなせるうえ、一階の生活動線と交わらない。座敷飾の造作も端正で、文化庁の解説文は当地を代表する近代和風住宅と位置づけている。
主屋の西側には土蔵造の蔵が接続する。外から回り込むのではなく、主屋の室内から直に出入りできる内蔵で、母屋と蔵が一続きになっている。通りに面しては門と板塀、敷地の西辺には煉瓦塀が立ち、これら4棟も旧堀田廣之家住宅主屋と同じ日に登録された。主屋を中心に、外構までを一組の設計として見るとよい。
見学の可否とアクセス
旧堀田廣之家住宅主屋は非公開である。津島市の文化遺産アーカイブも公開状況を「非公開」と明記しており、内部の見学はできず、敷地に立ち入ることもできない。現在も個人の住宅として使われているため、事前申込による特別公開の制度も設けられていない。
道路から見られるのは外構だけである。門、板塀、煉瓦塀は祢宜町通りに面しており、歩道からそのまま観察できる。主屋は塀の内側なので、全体を見通すことは難しい。撮影は公道上からであれば妨げられないが、住人の生活があるので、門扉や玄関にレンズを向け続けるのは控えたい。塀の意匠や瓦の納まりを撮るだけでも十分に見応えがある。
最寄り駅は名鉄津島線・尾西線の津島駅で、西へおよそ1キロメートル、徒歩15分ほどの距離にある。津島神社へ向かう道筋の途中にあたり、祢宜町通りに入ると町家の面影が残る一角が続く。
西隣の堀田家住宅は津島市の所有で、土曜日・日曜日・祝日の午前10時から午後3時まで公開されている(一般300円、小中学生100円。2026年8月確認)。旧堀田廣之家住宅主屋には入れないが、本家の町家に上がって間取りを体験してから外構を見比べると、分家がどこを変えたのかが分かりやすい。なお本家の建物は、県道の拡幅にともなって昭和48年(1973年)に約60メートル西へ曳かれており、両家の現在の距離は建築当時よりやや開いている。
Q&A
- 旧堀田廣之家住宅主屋は見学できますか。内部は公開されていますか。
- 非公開です。津島市の文化遺産アーカイブも公開状況を「非公開」としており、内部見学も敷地への立ち入りもできません。祢宜町通りから門・板塀・煉瓦塀の外観を眺めることはできます。
- 旧堀田廣之家住宅主屋はいつ建てられたのですか。
- 文化庁のデータベースは年代を明治45年(1912年)としています。家に残る記録では、大正元年(1912年)10月30日に地鎮祭、大正2年(1913年)4月12日に建前を行い、内部の造作が終わったのは大正3年(1914年)5月でした。
- 旧堀田廣之家住宅主屋を建てた棟梁は誰ですか。
- 津島の杉田和平です。堀田本家に出入りしていた大工で、大正元年(1912年)8月18日から棟梁として工事に加わりました。設計は施主の堀田廣之が原案を引き、専門の設計士が詳細図を作成しています。
- 旧堀田廣之家住宅主屋へのアクセスは。最寄り駅からどのくらいかかりますか。
- 名鉄津島線・尾西線の津島駅から西へ約1キロメートル、徒歩15分ほどです。津島神社へ向かう途中の祢宜町通りに面しています。
- 旧堀田廣之家住宅主屋は重要文化財ですか、登録有形文化財ですか。
- 登録有形文化財です。平成28年(2016年)11月29日に登録されました。西隣の堀田家住宅のほうは重要文化財に指定されており、制度が異なります。
基本データ
| 名称 | 旧堀田廣之家住宅主屋 |
|---|---|
| 所在地 | 愛知県津島市祢宜町68 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 指定年 | 2016年登録 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造2階建、瓦葺、建築面積205平方メートル |
| 所有者 | 不明(文化庁データベースに記載なし) |
| 公開状況 | 非公開(外観のみ道路から見学可) |
参考文献
- 国指定文化財等データベース 旧堀田廣之家住宅主屋(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00011318
- 文化遺産オンライン 旧堀田廣之家住宅主屋
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/254775
- 津島市の歴史・文化遺産 旧堀田廣之家住宅主屋(津島市教育委員会)
- https://www.tsushima-bunka.jp/map/kunitouroku/map000462.html
- 堀田廣之文庫展 資料(津島市立図書館)
- https://www.lib.tsushima.aichi.jp/wp/wp-content/uploads/201706_hotta_re.pdf
- 重要文化財「堀田家住宅」について(津島市)
- https://www.city.tsushima.lg.jp/shokai/bunka/bunkazai/jyuuyoubunnkazai.html
最終更新日: 2026.08.31