境内でもっとも古い屋根

福泉坊庫裏は、広島県安芸高田市吉田町吉田にある浄土真宗本願寺派寺院の庫裏で、江戸末期の建立と推定され、平成26年(2014年)12月19日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。

木造平屋建、瓦葺。建築面積は209平方メートル。文化庁データベースは年代を「江戸末期」とし、西暦では1830年から1868年の幅で示す。平成25年(2013年)に改修を受けている。

この年代は、庫裏が本堂より古いことを意味する。現在の本堂は昭和23年(1948年)の建立で、宝暦13年(1763年)の堂を老朽化のため建て替えたものだった。庫裏はその建て替えを越えて残った。つまり境内でもっとも長く建ち続けている建物は、法要の営まれる本堂ではなく、住職一家が二世紀近く暮らしてきた住まいのほうである。

庫裏は、参拝者があまり意識せず、寺の側はほとんどそこから離れない場所である。台所があり、門徒を迎える座敷があり、住職とその家族の居室がある。妻帯を認める浄土真宗にあっては、庫裏は寺の一部であると同時に一個の民家でもあり、平面はその二重性を素直に反映する。

古い作法を手放さなかった平面

庫裏は本堂と渡廊下で接続する。住職が外へ出ることなく住まいと堂とを行き来できる構えで、日本の寺院ではごく一般的なものだが、この配置は働き方をそのまま形にしている。堂は門徒が集まる場、庫裏は寺務の実際が動く場、渡廊下はその継ぎ目にあたる。

内部の平面は読みやすい。北端は土間で、台所と作業の場を兼ね、外から履物のまま入る。その南に、畳を敷いた居室が二列に並ぶ。南列の中央間が仏間で、本堂の内陣とは別に、寺家の仏壇を納める部屋にあたる。

調査で注目された点が二つある。いずれも、この建物が古い作法を保っていることに関わる。

一つは構造にある。西列の一部では、側柱が一間ごとに立つ。後世の大工仕事は柱間を広くとる方向へ進み、長い梁を使って壁面を開き、内部を自由にした。一間ごとに柱を立てるのはそれ以前の習慣である。江戸末期にこの手法が残っているということは、手堅い大工の仕事か、あるいは「庫裏とはこう建てるものだ」という施主側の了解が働いたか、そのどちらかを示唆する。

もう一つは仏間である。現在仏壇が置かれている部分は、旧規では浅い押床であった。押床は床の間のもっとも簡素な祖型で、床面とほとんど段差をつけない浅い造りをいう。江戸後期には、茶室や書院で見慣れた深い床の間に取って代わられていた形式である。それがここに残っていた。年代を測り、系譜を位置づけるうえで、こうした小さな時代錯誤ほど有効な手がかりはない。

登録の解説文は、この建物を「当地の真宗寺院庫裏の一例」と記す。控えめな言い方である。傑出した一品としてではなく、地域の類型を代表するものとして位置づけている。登録制度が守ろうとしてきたのは、まさしくその種の建物だった。

境内からどう見るか

庫裏は住居であるから、内部は非公開で、訪問者は外から眺めることになる。ただし、この建物で押さえておきたい点の多くは境内から読み取れる。

まず屋根の高さを比べたい。本堂と並べれば規模の差はすぐわかる。209平方メートルと404平方メートル。住まいの建物と、大勢を収める建物である。庫裏の瓦屋根は本堂より低く平らに伸び、入母屋の大きな起伏を持たない。両者をつないでいるのが渡廊下である。

次に土間側を探す。北寄りの部分は、土間という働く床が要求する開口や地面からの出入りを備えるため、南側の居室部分とは表情が違う。平面が南北で分かれていると知って見ると、正面がのっぺりとした一枚には見えなくなる。

福泉坊の4棟は同じ日に登録されたが、同時に建てられたわけではない。年代を頭に入れて境内を歩くのがいちばん面白い。文政13年(1830年)の山門とこの庫裏が江戸末期の同じ時間に属し、本堂は昭和23年、鐘楼は昭和29年(1954年)。もっとも古いものと新しいものの間に、およそ120年が横たわる。この境内は一度に造られた景観ではなく、積み重なった結果である。

拝観と交通

福泉坊は現役の門徒寺院で、拝観料も受付も公表された拝観時間もない。境内は日中おおむね立ち入ることができ、庫裏・本堂・鐘楼・山門はいずれも境内から眺められる。

庫裏については、住居であるという一点を守りたい。一般の参拝者に内部が公開されることはない。研究や取材の目的で内部を見る必要がある場合は、あらかじめ寺務所へ相談する。境内からの外観撮影は通常さしつかえないが、窓や戸口の内側へレンズを向けるのは避け、法要中は撮影そのものを控える。

吉田バス停から約120メートル、徒歩2分ほど。安芸高田市役所前バス停もほど近い。広島バスセンターから吉田出張所行きで約1時間25分、JR可部駅から広島電鉄バスで約50分。JR芸備線吉田口駅は約3.8キロメートル離れた無人駅のため、鉄道なら芸備線向原駅からタクシーで15〜20分が確実である。自動車は中国自動車道高田インターチェンジから約20分。

郡山城跡と安芸高田市歴史民俗博物館はいずれも徒歩圏にある。毛利氏の歴史を先に博物館で押さえておくと、なぜこれほどの格式をもつ寺院が内陸の小さな町にあるのかが理解しやすい。

Q&A

Q福泉坊庫裏とはどのような建物ですか。内部は見学できますか。
A庫裏は台所・接客の座敷・住職一家の居室を兼ねる建物です。浄土真宗は妻帯を認めるため、福泉坊庫裏は寺の施設であると同時に住職一家の住まいでもあり、内部は非公開で一般の見学はできません。外観は境内から日中自由に眺めることができ、拝観料はかかりません。
Q福泉坊庫裏は本堂と比べてどのくらい古いのですか。
A庫裏のほうがかなり古い建物です。庫裏は江戸末期、西暦では1830年から1868年の間の建立とされ、現在の本堂は宝暦13年(1763年)の堂を建て替えた昭和23年(1948年)の建物です。境内では文政13年(1830年)の山門と並んで最も古い部類にあたります。平成25年(2013年)に改修されています。
Q福泉坊庫裏はなぜ文化財として登録されたのですか。
A江戸末期には一般的でなくなっていた古い手法を平面に残しているためです。西列の一部で側柱を一間ごとに立てる構造をとり、現在仏壇が置かれる部分は旧規では浅い押床でした。文化庁はこの建物を「当地の真宗寺院庫裏の一例」として、地域の類型を代表する遺構と位置づけています。
Q福泉坊庫裏と本堂はどのようにつながっていますか。
A渡廊下で接続しています。屋根のかかった通路で、住職が屋外に出ることなく住まいと本堂とを行き来できます。庫裏は本堂の脇に位置し、渡廊下が寺の公的な部分と私的な部分をつなぐ役割を果たしています。
Q福泉坊庫裏への行き方と、周辺の見どころを教えてください。
A吉田バス停から徒歩約2分です。広島バスセンターから吉田出張所行きのバスで約1時間25分、JR可部駅からは広島電鉄バスで約50分。鉄道の場合はJR芸備線向原駅からタクシーで15〜20分。周辺には毛利氏の居城であった郡山城跡と、安芸高田市歴史民俗博物館がいずれも徒歩圏にあります。

基本情報

名称福泉坊庫裏(ふくせんぼうくり)
所在地広島県安芸高田市吉田町吉田字下川東1334-1
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 34-0144/登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」
指定年平成26年(2014年)12月19日登録(第79回登録)
員数1棟
寸法木造平屋建、瓦葺、建築面積209平方メートル/江戸末期(1830年〜1868年)建立、平成25年改修
所有者宗教法人福泉坊
公開状況現役の門徒寺院内の住居。境内からの外観見学は日中可、拝観料なし。内部は非公開

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「福泉坊庫裏」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00010352
文化庁 国指定文化財等データベース「福泉坊本堂」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00010351
安芸高田市「福泉坊(本堂、庫裏、鐘楼、山門)」
https://www.akitakata.jp/ja/shisei/section/kyouiku/shisekibunkazai/cultural_asset/q123/
安芸高田市「指定文化財・登録文化財」
https://www.akitakata.jp/ja/shisei/section/kyouiku/shisekibunkazai/cultural_asset/
浄土真宗本願寺派 安芸教区 高田西組「福泉坊」
https://akitakatanotera.jimdofree.com/福泉坊/

最終更新日: 2026.07.29