河井寬次郎記念館(旧河井寬次郎邸)登り窯とは

河井寬次郎記念館(旧河井寬次郎邸)登り窯は、京都市東山区鐘鋳町の河井寬次郎記念館で屋敷地の東端に残る明治期の煉瓦造の登り窯で、平成12年(2000年)に登録有形文化財に登録された。

奥行15m、幅4.8mの窯で、木造平屋建の上屋が架かっている。斜面に焼成室を段々に連ねて下から火を送る登り窯の形式で、寬次郎はこの窯を「鐘溪窯(しょうけいよう)」と名付けた。

河井寬次郎記念館の登り窯が登録された理由

河井寬次郎記念館の登り窯は「再現することが容易でないもの」として登録された。文化庁は、五条坂地区に残る京焼・清水焼の登り窯の遺構として、数少ない現存例であることを評価している。

窯がいつ築かれたかは分かっていない。確かなのは、大正9年(1920年)に寬次郎が清水六兵衛からこの窯を譲り受け、その後9室あった焼成室を8室に改めたことである。文化庁の人物解説によれば、窯は共同窯として他の陶家も使っていた。寬次郎個人の窯であると同時に、五条坂の焼き物づくりの仕組みの一部でもあった。

河井寬次郎記念館の登り窯の見どころ

上屋の下に入ると、煉瓦の焼成室が奥へ向かって段々に上っていくのが見える。8つの室が一列に連なる姿は、奥行15mという数字以上に長く感じられる。登り窯では手前の焚き口で起こした火の熱が室から室へ上へ抜けていくので、窯の勾配を目で追うと焼成の流れがつかめる。

寬次郎がこの地で独立してから、鐘溪窯の器はこの窯で焼かれた。陶房から素焼窯を経てここに至る道筋を逆にたどると、器の一生が屋敷の東西の幅に収まっていることが分かる。

河井寬次郎記念館の登り窯を見学する

河井寬次郎記念館の登り窯は見学順路のいちばん奥、屋敷地の東端にある。上屋が架かっているので雨の日でも見られる。登録有形文化財の窯そのものなので、煉瓦に手を触れたり室の中へ身を乗り出したりしないようにしたい。

開館時間や入館料、行き方は河井寬次郎記念館のページにまとめてある。

Q&A

Q河井寬次郎記念館の登り窯はいつ造られましたか?
A明治期とされますが、築造の経緯は分かっていません。平成12年(2000年)4月28日に登録有形文化財に登録されました。
Q河井寬次郎記念館の登り窯は誰から譲り受けたものですか?
A大正9年(1920年)に清水六兵衛から譲り受けました。寬次郎はこの窯を鐘溪窯と名付けています。
Q河井寬次郎記念館の登り窯にはいくつ焼成室がありますか?
A譲り受けた当時は9室でしたが、その後8室に改められました。
Q河井寬次郎記念館の登り窯の大きさは?
A煉瓦造で、奥行15m、幅4.8mです。木造平屋建の上屋が架かっています。
Q河井寬次郎記念館の登り窯は見学できますか?
Aはい。見学順路のいちばん奥、屋敷地の東端にあり、上屋の下から見ることができます。

基本情報

名称河井寬次郎記念館(旧河井寬次郎邸)登り窯
所在地京都府京都市東山区馬町通大和大路東入鐘鋳町569他
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年平成12年(2000年)4月28日登録
員数1棟
寸法煉瓦造、奥行15m、幅4.8m
所有者不明(文化庁データベースに記載なし)
公開状況公開(河井寬次郎記念館として開館)

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)河井寬次郎記念館(旧河井寬次郎邸)登り窯
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001718
文化遺産オンライン 河井寬次郎記念館(旧河井寬次郎邸)登り窯
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/137488
アートプラットフォームジャパン(文化庁)日本アーティスト事典 河井寬次郎
https://artplatform.go.jp/ja/artists/A1263
京都市 京都市の歴史的建造物 河井寬次郎記念館(PDF)
https://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/cmsfiles/contents/0000305/305675/b03kanjiro.pdf

最終更新日: 2026.10.15