葛野常満家住宅主屋とは

葛野常満家住宅主屋は、滋賀県大津市葛川坊村町にある天保年間(1830〜1843年)建築の住宅で、平成13年(2001年)に登録有形文化財に登録された。木造平屋建で、入母屋造の茅葺屋根を鉄板で仮に覆っており、建築面積は145㎡ある。

明王院の政所を務めた葛野常満家の住まいで、若狭街道から明王院の参道へ入る角地に建つ。同じ敷地に建つ明治6年(1873年)の蔵も、同じ日に登録されている。

葛野常満家住宅主屋が登録された理由

登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。文化庁の解説は、葛野常満家住宅主屋を明王院門前集落の景観形成の核になる建物と位置づけた。

評価の中身は外観にとどまらない。入母屋造・茅葺の姿は周辺の農家と変わらないが、間取りには通りニワがあり、柱や梁の組み方(軸組)は技巧的で堅牢だという。解説はこの2点を、当地域に類例がなく特異と書いている。

通りニワは、表から裏へ土間が通り抜ける間取りをいう。山あいの集落の家がなぜこの形をとったのかについて、文化庁の解説は何も述べていない。政所という家の役目と結びつける説明も、資料の中には見当たらない。

葛野常満家住宅主屋の見どころ

まずは屋根を見たい。葛野常満家住宅主屋の大屋根は鉄板に包まれているが、文化庁の構造欄の表記は「茅葺(鉄板仮葺)」で、茅葺の屋根を鉄板で覆った形である。棟近くの小さな三角形の妻と、その下へ四方に広がる屋根面の組み合わせが、入母屋造の特徴になる。

次に、参道の向かいに建つ葛野常喜家住宅主屋と見比べたい。あちらは天保14年(1843年)の建築で、やはり入母屋造・茅葺の平屋である。文化庁の年代に従えば、参道入口の両側の主屋はほぼ同じ時期に建ったことになる。姿は似ていても、こちらは平面と軸組で、向かいは土間脇の式台で評価されており、着目点が違う。

葛野常満家住宅主屋の北には、明治6年の蔵が参道に妻を向けて立つ。主屋を角に置き、蔵を参道沿いに並べた屋敷の組み立ては、道から見ても分かりやすい。

葛野常満家住宅主屋の見学方法

葛野常満家住宅主屋の内部は公開されておらず、評価の要である通りニワや軸組を見ることはできない。外観は参道と若狭街道の角から眺めることになる。敷地には入らず、道路からの見学にとどめてほしい。

行き方とバスの時刻は、葛野常満家住宅のページにまとめてある。

Q&A

Q葛野常満家住宅主屋はいつ建てられましたか?
A文化庁のデータベースは葛野常満家住宅主屋の建築年代を天保年間(1830〜1843年)としています。具体的な年は示されていません。
Q葛野常満家住宅主屋が登録有形文化財に登録されたのはいつですか?
A平成13年(2001年)11月20日に登録されました。登録番号は25-0181で、登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」です。
Q葛野常満家住宅主屋の中は見学できますか?
A内部公開の案内は文化庁・大津市の資料に見当たりません。参道や若狭街道から外観を見る形になり、敷地には入れません。
Q葛野常満家住宅主屋の「通りニワ」とは何ですか?
A表から裏へ土間が通り抜ける間取りのことです。文化庁は、この平面と技巧的で堅牢な軸組を、当地域に類例のない特異なものと評価しています。
Q葛野常満家住宅主屋に住んだ葛野常満家はどのような家ですか?
A文化庁の解説によれば、葛川の明王院の政所を務めた家です。参道を挟んだ向かいには、信徒総代を務めた葛野常喜家が建っています。

基本情報

名称葛野常満家住宅主屋
所在地滋賀県大津市葛川坊村町92
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年2001年11月20日(登録)
員数1棟
寸法木造平屋建、建築面積145㎡
所有者不明(文化庁データベースに記載なし)
公開状況非公開(外観は参道から見学)

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「葛野常満家住宅主屋」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00002550
文化庁 国指定文化財等データベース「葛野常満家住宅蔵」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00002551
文化庁 国指定文化財等データベース「葛野常喜家住宅主屋」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00002632

最終更新日: 2026.10.15