教王護国寺宝蔵とは

教王護国寺宝蔵は、京都市南区九条町の東寺(教王護国寺)境内で講堂の北東に建つ平安時代後期の校倉造の倉で、大正14年(1925年)に重要文化財に指定された。規模は桁行3間・梁間3間、屋根は寄棟造の本瓦葺である。

文化庁の国指定文化財等データベースは、年代を平安後期、西暦を1086〜1184年と記録している。東寺の境内で国の指定を受けた建造物のうち、記録上の年代が最も古いのがこの宝蔵である。

校倉は、断面を三角形に近い形に整えた木材を横に積み上げ、隅で組み合わせて壁をつくる構法である。窓のない閉じた箱のような外観は、寺の宝を守る倉としての役目をそのまま表している。

空海の請来品を納めた倉

東寺の公式サイトによると、教王護国寺宝蔵には、空海(弘法大師)が唐の恵果から授かった密教法具や両界曼荼羅、犍陀穀糸袈裟(けんだこくしのけさ)、仏舎利、五大尊など、数多くの寺宝が納められていた。

そのため宝蔵のまわりは堀で囲まれ、火事が起きても燃え移らないように備えられていた。東寺は、初夏にはこの堀一面に蓮の花が咲き、宝蔵を包むと紹介している。

東寺の公式サイトは、宝蔵を盗難の傷痕が残る平安時代の倉として取り上げている。寺にとって最も大切な品を預かる建物だったことが、その紹介からもうかがえる。

重要文化財としての教王護国寺宝蔵

教王護国寺宝蔵は、大正14年(1925年)4月24日に指定された。文化庁のデータベースはこの日を重要文化財の指定年月日として記録しており、形式を「桁行三間、梁間三間、校倉、寄棟造、本瓦葺」としている。

東寺の公式サイトは、建物の細部にも平安時代の要素が残ることを紹介している。扉の取り付け方は平等院鳳凰堂と同じで、いま屋根に使われている瓦の多くも平安時代のものだという。

床板には、きわめて大きな建物の扉が転用されている。東寺によれば、それは金堂の扉とも、平安京の正門だった羅城門の扉ともいわれる。確かめられた話ではないが、宝蔵が失われた建物の部材を今に残している可能性を示す伝えである。

教王護国寺宝蔵の見どころ

まず、壁の表情を見たい。横に積まれた校倉の材が、隅で交互に組み合っている様子は、板壁や土壁の堂とはまったく違う。

次に、屋根に目を移す。寄棟造の屋根は四方に流れ、倉の小さな平面にしては重厚な本瓦葺で覆われている。東寺が平安時代のものと紹介する瓦が、その多くを占めている。

最後に、建物を囲む堀と合わせて全体を眺める。

初夏に蓮が咲く時期に訪ねれば、水面の緑と花の向こうに校倉の壁が浮かぶ。宝物を火から守るための堀が、いまは宝蔵の姿を引き立てる景色になっている。

教王護国寺宝蔵の見学方法

教王護国寺宝蔵の内部は公開されておらず、見学できるのは堀越しの外観である。

宝蔵は講堂の北東、境内の東寄りにある。春と秋に開館する宝物館とは別の建物なので、寺宝の展示を見たい場合は宝物館の公開期間を確かめてほしい。

蓮の見頃は初夏である。花の時期は年によって前後するので、現地の様子を確かめてから出かけたい。

Q&A

Q教王護国寺宝蔵の中は見学できますか?
A内部は公開されていません。堀越しに外観を見学できます。
Q教王護国寺宝蔵はいつ建てられたのですか?
A文化庁の記録では平安時代後期(1086〜1184年)で、東寺の指定建造物のなかで記録上最も古い年代です。
Q教王護国寺宝蔵には何が納められていたのですか?
A空海が唐の恵果から授かった密教法具、両界曼荼羅、犍陀穀糸袈裟、仏舎利、五大尊など、多くの寺宝が納められていました。
Q教王護国寺宝蔵のまわりの堀は何のためですか?
A火事が起きても宝蔵に燃え移らないように備えたものです。初夏には一面に蓮が咲きます。
Q教王護国寺宝蔵の校倉造とはどんな構法ですか?
A三角形に近い断面の木材を横に積み上げ、隅で組み合わせて壁をつくる構法です。

基本情報

名称教王護国寺宝蔵(きょうおうごこくじほうぞう)
所在地京都府京都市南区九条町
指定区分重要文化財
指定年大正14年(1925年)
員数1棟
寸法桁行3間、梁間3間(校倉、寄棟造、本瓦葺)
所有者教王護国寺
公開状況内部非公開(外観のみ見学可)

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「教王護国寺宝蔵」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/1842
東寺公式サイト「大日堂・鎮守八幡宮・宝蔵」
https://toji.or.jp/guide/dainichido/
東寺公式サイト「宝物館」
https://toji.or.jp/guide/houmotsukan/
東寺公式サイト「寺宝」
https://toji.or.jp/treasure/

最終更新日: 2026.09.15