松本市上下水道局島内第一水源地集水井及び会所―大正11年8月15日、水はここから流れはじめた

松本市上下水道局には、大正期の工事日誌が残されている。大正11年(1922年)8月15日の記事に、集水管の敷設と会所・集水井の工事が終わり、一同で祝賀会を開いた旨が書き留められている。文化財の建設年が日付単位まで特定できる例は多くない。この施設はそれができる。

その日に完成したものは、松本市街の北西、島内地区の奈良井川沿いの平地にある。地上に見えるのはごくわずかだ。鉄骨製の蓋を載せたコンクリート造の四角い箱が三つ、そしてやや大きな円筒形の井筒が一つ。円筒の蓋は十八角形をしている。地中では暗渠がこれらをつないでいる。松本市の近代水道は、この地点から水を取り込んだ。

松本平は水に乏しい土地ではない。城下町の内部にも湧水が出る。源智の井戸や槻井泉神社の湧泉は、いずれも松本市特別史跡に指定され、長く町の暮らしを支えてきた。

明治以降に変わったのは計算のほうだった。市街地の人口が増え、大火が繰り返し町を焼く。個々の井戸ではどちらの問題にも答えられない。大正中頃から水源地の調査が始まり、選ばれたのは市域の外、隣村の島内村だった。

仕組みは、部品に名前がつけば理解しやすい。湧水は集水管という暗渠にしみ込んでくる。管が向きを変える曲所ごとに会所を据える。三基が造られた。会所は継手に手を入れられるようにしつつ、水を一旦貯める役目を負う。そこから水は集水井へ送られ、円筒の中にまとまった量として溜まる。喞筒室のポンプがこれを城山へ揚げた。会所からは奈良井川へ戻す暗渠も引かれており、余った水はそちらへ抜けていく。

なぜ登録されたのか

日本の文化財保護には性格の異なる二つの仕組みがあり、ここではその区別が効いてくる。指定は古くからある重い制度で、国宝や重要文化財がこれにあたる。強い法的保護がかかる代わり、現状変更には厳格な規制が伴う。一方の登録制度は平成8年(1996年)に始まった。明治・大正・昭和初期の建造物が、評価を受ける間もなく再開発や生活様式の変化で失われていく。その事態に間に合わせるための制度である。規制は意図的に軽い。大きな改変の際に許可ではなく届出を求める。まだ建っているうちに網をかけることを狙った設計だ。

集水井及び会所は、平成27年(2015年)8月4日、第81回の登録で登録有形文化財(建造物)となった。登録番号は20-0480。

登録には三つの基準がある。どの基準で登録されたかは、目立たないが読む価値のある情報だ。同日に登録された倉庫、接合井、旧配水池は、いずれも「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として扱われている。この物件は違う。台帳が挙げるのは「再現することが容易でないもの」という別の条項である。

評価の対象が見た目ではなく知識のほうにある、ということだろう。野原に埋まったコンクリートの筒に景観上の見どころはない。しかし暗渠・会所・集水井という配置そのものが、湧泉から都市の飲料水を取るやり方を体現している。後の世代が原理から組み立て直せる種類のものではない。

事業全体には二人の名が結びついている。水源調査を担当した佐野藤次郎と、設計を担当した武智正次郎。ともに我が国の近代水道施設の建設で先駆的な役割を果たした技術者であり、その関与は松本の水道施設群が評価された理由の一つに挙げられている。

登録までの道のりは長い。平成19年度から20年度にかけて長野県教育委員会が近代遺産総合調査を実施し、旧城山配水池と接合井が候補として浮上した。平成25年9月に文化庁調査官が現地に入り、城山の施設と島内第一水源地の施設は一つの系として一体で登録してはどうかと助言する。松本市は平成26年9月末に文化庁長官へ意見具申を行い、翌年8月、6件が登録された。

見るべきところ

まず単位に注目したい。集水井の内径は一五尺、約4.55メートル。壁厚は一尺二寸、約0.37メートル。会所は内法四尺角、約1.22メートル四方で、壁厚は0.七尺、約0.22メートルである。

大正11年の技術者にとって、コンクリートは手に入る最も新しい材料だった。そのコンクリートを打った寸法は、江戸期から大工の曲尺が示してきた寸法である。度量衡法の改正はすでにあったが、現場では尺と寸がまだ生きていた。

仕上げをよく見てほしい。集水井も会所も、壁の最上部には花崗岩の切り石が敷かれている。純粋に機能だけを考えるなら不要な処理だ。集水井の蓋は十八角形。円形の開口に対して奇妙に半端な角数である。会所にはそれぞれ鉄骨製の屋根が載る。集水井の底には玉砂利が円状に敷き詰められている。

装飾ではない。玉砂利は濾過し、花崗岩は保ち、鉄の蓋は入るべきでないものを止める。ただ、百年間人目に触れない部分にまで払われた手間の質は、この事業がどの水準で管理されていたかを示している。

建設当時の設計図も局に残る。現物と照らすと、姿はほとんど変わっていない。総面積は27平方メートル。一つの市の水道の起点は、小さな寝室ほどの面積を占めるにすぎない。

見学には準備がいる。ここは稼働中の水道施設であり、自由に立ち入れる場所ではない。松本市は出前講座「いい街つくろう!パートナーシップまつもと」を通じて施設見学を受け付けており、申込みは電子申請で生涯学習課へ行う。時期や工事の状況によっては希望に沿えないこともある。

Q&A

Q会所と集水井は何が違うのですか。
A会所は地中の集水管が向きを変える曲所に据えられた点検用の桝で、三基あります。内法は約1.22メートル四方の四角い筒型で、水はここに一旦溜まってから先へ進みます。集水井はそれらの水を最後に受けるやや大きな円筒で、内径は約4.55メートル。ここに集まった水をポンプが揚げました。順番としては会所が先、集水井が後です。
Q「登録」有形文化財は「指定」より格下ということですか。
A格の上下ではなく、制度そのものが別物です。指定は国宝・重要文化財を対象とし、現状変更に厳しい規制がかかります。登録は平成8年に発足した制度で、数が多く失われやすい近代の建造物を、届出制という軽い規制で素早く保護することを目的としています。登録も国による評価であることに変わりはなく、違いは保護の効かせ方にあります。
Q見学はできますか。
A事前の申込みが必要です。島内第一水源地は稼働中の施設のため、自由に立ち入ることはできません。松本市の出前講座を通じた施設見学が用意されており、電子申請で生涯学習課へ申し込みます。見学時期や施設工事の都合で受けられない場合もあります。
Qなぜ寸法が尺で記録されているのですか。
Aそう造られたからです。大正11年当時、法制上はメートル法への移行が進んでいましたが、建設現場では尺貫法が実用として残っていました。結果として、当時最先端の材料であるコンクリートが、前近代の建築業が使ってきた単位で寸法づけられています。一尺は約30.3センチメートル、一尺は十寸です。
Q同時に登録された施設は何がありますか。
A平成27年8月4日に6件が登録されました。島内第一水源地では、この集水井及び会所のほか、石垣及び階段、旧喞筒室、倉庫。約600メートル離れた城山の高台では、接合井と旧配水池。文化庁は二つの敷地を一つの水道システムとして扱ったため、登録の単位が両者にまたがっています。

基本情報

名称松本市上下水道局島内第一水源地集水井及び会所
ふりがなまつもとしじょうげすいどうきょくしまうちだいいちすいげんちしゅうすいせいおよびかいしょ
指定等区分登録有形文化財(建造物)
登録年月日平成27年(2015年)8月4日/第81回登録/登録番号 20-0480
登録基準再現することが容易でないもの
種別生活関連/その他工作物
時代・年代大正11年(1922年)
員数1所
構造及び形式等コンクリート造、集水井及び会所からなる、総面積27平方メートル
寸法集水井:内径一五尺(約4.55メートル)、壁厚一尺二寸(約0.37メートル)/会所:内法四尺角(約1.22メートル)、壁厚0.七尺(約0.22メートル)
所在地長野県松本市島内3635-1
所有者松本市
公開状況稼働中の水道施設のため通常非公開。松本市出前講座を通じた施設見学の申込みが可能(電子申請・生涯学習課)

参考文献

国指定文化財等データベース 松本市上下水道局島内第一水源地集水井及び会所(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00010589
文化遺産オンライン 松本市上下水道局島内第一水源地集水井及び会所
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/280083
松本市 松本市上下水道局島内第一水源地〔4棟〕
https://www.city.matsumoto.nagano.jp/soshiki/134/3779.html
松本市上下水道局 文化財として登録されている水道施設
https://www.city.matsumoto.nagano.jp/site/jougesuidou/123765.html
松本市 国登録文化財
https://www.city.matsumoto.nagano.jp/soshiki/134/51915.html

最終更新日: 2026.07.16