寶福寺中井戸 ― 食堂の縁側に寄り添う釣瓶付きの井戸

岡山県総社市、井山宝福寺の食堂(じきどう)北側の濡縁に接して、屋根を持つ小さな井戸がある。厚さ17センチの花崗岩の切石を井桁に組んだ枠は方1.1メートル・高さ42センチ。四隅に方柱を立て、貫で固めて、桁行1.7メートル・梁間1.1メートルの切妻造桟瓦葺の上屋を架ける。梁からは釣瓶が下がる。年代は江戸後期(1751〜1829)とされる。

「中井戸」という名は飾り気がない。働くための構造物にふさわしい、働くための名である。この井戸は北の濡縁が接する食堂のために使われてきた。禅院の食事は沈黙のうちに行われ、それ自体が修行の一部とされる。炊事に、洗いものに、掃除に。その水は何代にもわたり、桶一杯ずつこの枠を通って汲み上げられてきた。

宝福寺は臨済宗東福寺派の中本山で、画聖雪舟(1420〜1506)少年修行の寺として知られる。天正3年(1575)の兵乱でほぼ全山を焼失し、三重塔(1376年建立)だけが残った。江戸時代を通じた再建で僧院はよみがえり、中井戸はその「働く中枢」に属する一基である。

登録の理由と価値

中井戸は平成21年(2009)1月8日、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」の基準で国の登録有形文化財となった。登録番号は33-0208。価値は完結性にある。枠、上屋、そして汲み上げの道具。三つがそろって、仕えてきた堂のかたわらに、元の位置のまま残っている。

古い日本の写真には、こうした屋根付き井戸がどこにでも写っている。水道の普及がそのほとんどを消し去った。柱と貫、瓦屋根、吊るされた釣瓶までを保つ井戸は、江戸期の僧院を水がどう巡っていたかの実物図面を後世に手渡してくれる。

見どころ

物より先に、位置関係を見てほしい。井戸は食堂の濡縁にぴたりと寄り添う。僧が縁側に出て、水を汲み、数秒で屋根の下へ戻れる距離である。配管のない時代、配置こそが第一の利便の道具だった。

枠石の厚みを、境内のほかの登録井戸と見比べるのも一興だ。ここは17センチと3基中で最も頑丈。仏殿近くの千尺井は15センチの石を薄く大きく使って上品に見せ、庫裏脇の典座井戸は13センチ。同じ花崗岩でも、仕事が違えば作法も違う。

食堂周辺は今も寺の日常の場である。静かに見学し、閉じられた場所には立ち入らないでほしい。境内は拝観無料。11月、三重塔に人を集める紅葉は、この静かな一角にも届く。

Q&A

Q「中井戸」とはどういう意味ですか。
A文字どおり「中の井戸」という実用的な名です。北側の濡縁が接する食堂のために使われた井戸です。
Qいつごろの井戸ですか。
A江戸後期(1751〜1829)のものとされ、平成21年(2009)1月に国の登録有形文化財となりました。
Q梁から下がっているものは何ですか。
A釣瓶(つるべ)です。縄に付けた桶を手で上げ下げして水を汲む道具で、上屋・枠とそろって残る点がこの井戸の完結性を高めています。
Q見学できますか。
A拝観無料の境内、食堂の脇にあります。今も使われる区域ですので、静かに見学し、道具には触れないでください。
Q宝福寺の歴史的な井戸は全部でいくつありますか。
A国登録は3基です。草創伝承をもつ仏殿近くの千尺井、庫裏脇の典座井戸、そして食堂のこの中井戸です。

基本情報

名称寶福寺中井戸(ほうふくじなかいど)
所在地岡山県総社市井尻野1968-1
文化財区分国登録有形文化財(2009年1月8日登録・登録番号33-0208)
年代江戸後期(1751〜1829)
構造・規模石造(方1.1m・高さ0.42m)、面積1.2平方メートル、切妻造桟瓦葺上屋付(桁行1.7m×梁間1.1m)、釣瓶付、1基
所有者宗教法人寶福寺
公開状況境内自由(食堂周辺は寺の生活空間のため配慮を)

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) 寶福寺中井戸
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00007591
総社市観光協会 井山宝福寺
https://soja-kankou.com/2023/06/07/%E4%BA%95%E5%B1%B1%E5%AE%9D%E7%A6%8F%E5%AF%BA/
カラフル備中(岡山県備中県民局) 井山宝福寺
https://www.bichu-okayama.jp/spot/000211/

最終更新日: 2026.07.02