3棟の土蔵の中央に建つもとの米蔵

榎原家住宅土蔵二は、大阪府豊中市小曽根にある江戸時代末期(1830〜1868年)の土蔵で、平成26年(2014年)10月7日に国の登録有形文化財として登録された。小曽根村の庄屋を務めた榎原家の屋敷で、敷地の北辺、土蔵一と土蔵三の間に建つ。登録番号は27-0602である。

榎原家住宅土蔵二は棟を南北に通した土蔵造の2階建で、桁行6.8メートル、梁間3.9メートル、建築面積は26平方メートル。東西棟の土蔵一と並びながら、細長い平面を敷地の奥へ向けて伸ばしている。文化庁の解説は、柱を密に立てた造りに、もとは米蔵であった名残を見ている。

庄屋の家の米蔵(登録の理由)

文化審議会の答申は、北側に並ぶ3棟の土蔵をいずれも丁寧な土蔵造で、旧家の屋敷構えを引き立てるものと評価した。登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。

榎原家住宅土蔵二には、そこに用途の手がかりが加わる。米蔵は俵の重みと、積み上げた俵が壁を外へ押す力に耐えなければならない。柱の間隔を詰めて壁を固める造りは、その要求に応えたものと考えられる。年貢米の取りまとめを担った庄屋の屋敷に米蔵があったことは、この家の役目とよく合う。

見どころ:鉢巻を廻らせた白壁と密な柱

榎原家住宅土蔵二の屋根は切妻造の本瓦葺。外壁は漆喰塗で、軒下に鉢巻を廻らせる。鉢巻は壁の最上部を帯状に厚く塗り出した部分で、軒まわりを火から守る。隣の土蔵一が軒裏まで塗り込めているのに対し、こちらは鉢巻で軒下を固めており、同じ屋敷の蔵でも左官の手法が違う。

出入口は東面に開いて庇を付け、西面には小窓を穿つ。腰の高い位置までは竪板を張って、壁の足元を雨から守っている。

柱は土壁に塗り込められて外からは見えない。写真などで長さ6.8メートルの壁面を見るときは、その内側に通常より多い柱が詰まっていることを思い浮かべると、この蔵がなぜ細長く、なぜ頑丈に造られたのかが分かりやすい。

見学について

榎原家住宅土蔵二は個人の住宅の敷地内にあり、公開されていない。3棟の土蔵の中央にあって、出入口は屋敷の内側を向くため、周囲の道から見ることはできない。敷地内での撮影もできない。

屋敷全体の成り立ちとアクセスは、榎原家住宅のページにまとめてある。

Q&A

Q榎原家住宅土蔵二は見学できますか?
Aできません。榎原家住宅土蔵二は個人の住宅の敷地内にあり、公開されていません。
Q榎原家住宅土蔵二はいつ建てられましたか?
A文化庁のデータベースは江戸時代末期(1830〜1868年)としています。
Q榎原家住宅土蔵二はもともと何に使われていましたか?
A文化庁の解説は、柱を密に立てた造りを、もとは米蔵であった名残としています。
Q榎原家住宅土蔵二の大きさは?
A土蔵造の2階建で、桁行6.8メートル、梁間3.9メートル、建築面積26平方メートルです。
Q榎原家住宅土蔵二はいつ登録有形文化財になりましたか?
A平成26年(2014年)10月7日に、屋敷のほかの7件とともに登録されました。

基本情報

名称榎原家住宅土蔵二(えばらけじゅうたくどぞうに)
所在地大阪府豊中市小曽根1-214-1ほか
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年平成26年(2014年)10月7日登録
員数1棟
寸法土蔵造2階建、瓦葺、建築面積26平方メートル(桁行6.8メートル、梁間3.9メートル)
所有者個人(文化庁データベースでは非掲載)
公開状況非公開(個人の住宅)

参考文献

国指定文化財等データベース 榎原家住宅土蔵二(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00010205
文化審議会答申 登録有形文化財(建造物)の登録について(平成26年3月18日、文化庁)
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/pdf/bunkashingi_toshin_140318.pdf
大阪文化財ナビ 榎原家住宅
https://osaka-bunkazainavi.org/bunkazai/%E6%A6%8E%E5%8E%9F%E5%AE%B6%E4%BD%8F%E5%AE%85

最終更新日: 2026.09.26