慈眼院金堂とは
慈眼院金堂は、大阪府泉佐野市日根野にある鎌倉時代後期の多宝塔とともに残った金堂で、明治36年(1903年)4月15日に国の重要文化財に指定された(文化庁)。読みは「じげんいんこんどう」。

文化庁の記録では、桁行三間・梁間三間、一重、寄棟造、向拝一間、本瓦葺で、附として棟札2枚があわせて指定されている。指定番号は00247である。
文化庁の記録にある明治36年(1903年)の指定日は、旧法による指定の日付である。
兵火を免れた二つの建物
泉佐野市の広報誌によれば、慈眼院は天武天皇の勅願寺として白鳳2年(674年)に開創されたと伝わり、隣接する日根神社の神宮寺として多くの堂宇が並んだが、天正13年(1585年)の羽柴秀吉の紀州攻めの兵火で焼失した。のちに豊臣秀頼が再建したが、当初からの建物は多宝塔と金堂が残るだけである。
金堂は桁行三間・梁間三間の寄棟造・本瓦葺に一間の向拝を付ける(文化庁)。泉佐野市によれば、多宝塔は明治の修理の際に金堂の横から現在の場所に移された。
重要文化財としての価値
文化庁の記録に解説文はなく、構造欄と年代が指定の内容を伝える。
見どころ
方三間・寄棟造の堂に一間の向拝を付けた端正な姿が見どころである(文化庁)。
見学について
慈眼院が所有する(文化庁)。拝観の時間や料金について、公的な案内は確認できなかった。多宝塔と金堂は慈眼院のページにまとめている。
Q&A
- 金堂はいつ建てられましたか?
- 鎌倉時代後期です(文化庁)。
- 建物の形は?
- 桁行三間・梁間三間の寄棟造・本瓦葺で、一間の向拝を付けます(文化庁)。
- 附として指定されているものは?
- 棟札2枚です(文化庁)。
- なぜ古い建物が残ったのですか?
- 天正13年(1585年)の兵火で伽藍が焼けた中、多宝塔とともに残りました(泉佐野市)。
- 慈眼院金堂が重要文化財に指定されたのはいつですか?
- 明治36年(1903年)4月15日です(文化庁)。
基本情報
| 名称 | 慈眼院金堂(じげんいんこんどう) |
|---|---|
| 所在地 | 大阪府泉佐野市日根野 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物) |
| 指定年 | 明治36年(1903年)4月15日指定 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、向拝一間、本瓦葺 |
| 所有者 | 慈眼院 |
| 公開状況 | 拝観の公的な案内なし |
参考文献
- 慈眼院金堂(国指定文化財等データベース)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/2172
- 日本遺産・中世日根荘を巡る⑯「慈眼院」(広報いずみさの 令和2年(2020年)11月号、泉佐野市)
- https://www.city.izumisano.lg.jp/material/files/group/19/20201116.pdf
最終更新日: 2026.10.24