屋敷の裏手に建つ東蔵

奥野家住宅東蔵は、大阪府豊中市中桜塚にある江戸時代末期(1830〜1867年)の土蔵で、平成20年(2008年)7月8日に国の登録有形文化財となった。登録番号は27-0496。

敷地の北辺、米蔵の東隣に建つ土蔵造の2階建で、桁行7.4メートル、梁間4.4メートル、建築面積は40平方メートル。屋敷の表側からは離れた裏手にあり、文化庁の解説は落ち着いた佇まいをつくる建物と評している。

明治後期に移された蔵

奥野家住宅東蔵は、はじめから今の場所にあったわけではない。文化庁の記録は明治後期の移築を記し、豊中市によれば、もとは西蔵の東方およそ1間半の位置に建っていた。西蔵は敷地西辺の通り沿いにあるので、東蔵はかつて屋敷の表寄りにあり、のちに裏手の北辺へ移されたことになる。

豊中市はまた、家に伝わる最古の家相図にこの蔵が描かれていないことから、主屋より後の建築と推定している。主屋の建築後、江戸末期に建てられ、明治後期に移された、という順序になる。

ほかの土蔵と違う壁の仕上げ

奥野家住宅東蔵の屋根は切妻造で、蔵の本体に別の屋根を載せる置屋根の形式をとり、桟瓦葺とする。南面には桟瓦葺の庇を付ける。

文化庁の解説が特に取り上げるのが外壁である。仕上げの白漆喰を塗らず、その下地にあたる中塗りで仕上げており、腰は竪板張とする。白く輝く漆喰の壁に比べて、中塗りの土壁は落ち着いた色と質感を持つ。同じ屋敷の西蔵・米蔵・新蔵とは表情を違えている、と解説は記している。

登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。

見どころ

奥野家住宅東蔵を見る機会があれば、壁の色に注目したい。土の色を残した中塗りの壁は、白漆喰の蔵が並ぶ中で一棟だけ違う表情を見せる。

隣の米蔵との並びも見どころである。明治43年(1910年)の米蔵は屋敷で最大の土蔵で、その東に一回り小さな東蔵が寄り添う。北辺に大小二つの蔵が並ぶ構成は、移築によって後から生まれたものである。

見学について

奥野家住宅東蔵は個人の住宅の敷地内、屋敷の裏手にあり、内部は公開されていない。通りから見える位置ではなく、敷地内のどこまで立ち入れるかは「桜の庄兵衛」の催しごとに異なる。見学を望む場合は、訪問の前に桜の庄兵衛に問い合わせるのが確実である。行き方は奥野家住宅(豊中市)のページにまとめてある。

Q&A

Q奥野家住宅東蔵は見学できますか?
A内部は公開されていません。屋敷の裏手にあり通りからは見えにくい位置です。催しの際に敷地内のどこまで入れるかは催しごとに異なるため、事前に桜の庄兵衛へ問い合わせてください。
Q奥野家住宅東蔵はいつ建てられましたか?
A江戸時代末期(1830〜1867年)の建築で、明治後期に現在地へ移築されています。
Q奥野家住宅東蔵はもともとどこにありましたか?
A豊中市によれば、もとは西蔵の東方およそ1間半の位置に建っていました。現在は敷地北辺、米蔵の東隣にあります。
Q奥野家住宅東蔵の外観の特徴は?
A切妻造・置屋根形式の桟瓦葺で、南面に庇を付けます。外壁は白漆喰を塗らない中塗り仕上げで、腰を竪板張とし、ほかの土蔵と表情を違えています。
Q奥野家住宅東蔵が登録有形文化財になったのはいつですか?
A平成20年(2008年)7月8日で、登録番号は27-0496です。

基本情報

名称奥野家住宅東蔵
所在地大阪府豊中市中桜塚2-422-1
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年平成20年(2008年)7月8日登録
員数1棟
寸法桁行7.4メートル、梁間4.4メートル、建築面積40平方メートル
所有者個人
公開状況非公開(敷地内の見学は要問い合わせ)

参考文献

国指定文化財等データベース 奥野家住宅東蔵(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00007267
豊中市 登録文化財 奥野家住宅
https://www.city.toyonaka.osaka.jp/jinken_gakushu/bunkazai/touroku_bunkazai/touroku09.html

最終更新日: 2026.09.26