近世庄屋の風格を伝える主屋

奥野家住宅主屋は、大阪府豊中市中桜塚にある江戸時代後期(1751〜1829年)の農家主屋で、平成20年(2008年)7月8日に国の登録有形文化財となった。登録番号は27-0493で、旧粉搗場を附として含む。

屋敷のほぼ中央に南を向いて建つ。建築面積313平方メートルの大型の農家建築で、江戸時代に桜塚村の庄屋を務めた奥野家の住まいの中心である。平成10年(1998年)に改修を受けている。

つし二階の大屋根と九間取

奥野家住宅主屋は木造で、屋根裏を低い2階として使うつし二階の形式をとる。文化庁の構造欄は平屋建とするが、解説ではつし2階建と記しており、外観は平屋の大屋根、内部に低い上階を持つ建物と理解すればよい。屋根は入母屋造の桟瓦葺である。

正面の東寄りには表玄関があり、その上に緩い起りのついた入母屋屋根を架ける。起りは屋根面をわずかに膨らませる曲線で、反りに比べて柔らかな印象になる。南面と西面には深い庇をめぐらし、豊中市はこれを周囲に廻らせた瓦庇と説明している。

内部は広い土間と床上部からなり、床上部はもと3列3行、計9室の九間取であった。一般的な農家の四間取に比べて部屋数が倍以上あり、村の寄り合いや役人の応接をこなした庄屋の家の規模がよく表れている。

改修と復原の手がかり

奥野家住宅主屋は、登録基準の「国土の歴史的景観に寄与しているもの」に該当するとされた。文化庁の解説は、大型の農家建築で近世庄屋の風格を伝えると評価する。

豊中市の解説はさらに踏み込んでいる。改修で座敷まわりを残して他は大きく変わったものの、梁組と柱の位置はほぼ当初のままで、部材に残る痕跡と家に伝わる家相図によって当初の形をほぼ復原できるという。建物がどう変わってきたかを資料と実物の両方でたどれる点が、学術的な価値として挙げられている。

阪神・淡路大震災で屋敷は大きな被害を受けており、平成10年の改修はその後の修復にあたる。

ギャラリーとしての主屋

今の奥野家住宅主屋は、「桜の庄兵衛」のギャラリーとしても使われている。当主の紹介によれば、ギャラリー部分はもともと客間で、襖や障子を外すと五十畳あまりの一つの空間になるよう仕立てられている。

この使い方は、九間取の座敷を建具で仕切り、行事のときに開け放つ、という庄屋屋敷の本来の空間の使い方をそのまま受け継いでいる。演奏会の日に座敷を見渡すと、柱の並びがつくる奥行きと、ほぼ当初のままとされる梁組の太さがよく分かる。

見学について

奥野家住宅主屋は個人の住宅で、ふだんは公開されていない。内部に入れるのは、主屋を会場とする演奏会や素浄瑠璃の会、工芸展などの催しのときである。催しの予定は「桜の庄兵衛」の公式サイトで案内されている。撮影の可否は催しごとに主催者の指示に従いたい。屋敷への行き方とカフェの営業日は、奥野家住宅(豊中市)のページにまとめてある。

Q&A

Q奥野家住宅主屋は見学できますか?
Aふだんは公開されていません。「桜の庄兵衛」が主屋を会場に開く演奏会や工芸展などの催しのときに内部に入ることができます。予定は公式サイトで案内されています。
Q奥野家住宅主屋はいつ建てられましたか?
A江戸時代後期(1751〜1829年)の建築とされ、平成10年(1998年)に改修を受けています。
Q奥野家住宅主屋の間取りの特徴は?
A広い土間と床上部からなり、床上部はもと3列3行の九間取でした。屋根は入母屋造桟瓦葺で、正面東寄りに緩い起りの入母屋屋根を持つ表玄関があります。
Q奥野家住宅主屋が登録有形文化財になったのはいつですか?
A平成20年(2008年)7月8日で、登録番号は27-0493です。旧粉搗場を附として含みます。
Q枚方市の奥野家住宅主屋と同じ建物ですか?
A別の建物です。枚方市春日元町にも奥野家住宅があり、その主屋は平成29年(2017年)に登録されています。

基本情報

名称奥野家住宅主屋
所在地大阪府豊中市中桜塚2-422-1
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年平成20年(2008年)7月8日登録
員数1棟(附 旧粉搗場)
寸法建築面積313平方メートル
所有者個人
公開状況通常非公開(催しの際に内部を公開)

参考文献

最終更新日: 2026.09.26