通りに面した屋敷の表門

奥野家住宅門長屋は、大阪府豊中市中桜塚にある江戸時代後期(1751〜1829年)の門長屋で、平成20年(2008年)7月8日に国の登録有形文化財となった。登録番号は27-0498。

敷地西辺の中央に建ち、通りに向かって屋敷の表構えをつくる。木造平屋建で、屋根は入母屋造の桟瓦葺、建築面積は33平方メートル。北側は西蔵に接続しており、門長屋から西蔵へと通り沿いに建物が連なる。

門長屋は、門口と部屋を一つの長い建物にまとめた門の形式で、農村の有力な家の表門によく用いられた。奥野家住宅門長屋は、江戸時代に桜塚村の庄屋を務めた奥野家の屋敷の入口にあたる。

門口と供部屋

奥野家住宅門長屋は、建物の南半分を門口とする。その中央に両開きの板戸を吊り、北脇には人が出入りする潜戸を開ける。大きな板戸は荷や駕籠を通し、日常の出入りは潜戸で済ませる、という使い分けができる構えである。

北半分は供部屋で、豊中市によれば6畳ほどの広さがある。供部屋は、来客に従ってきた供の者や、主人の外出に付き従う者が控えた部屋である。通りに面した西の正面は下見板張とし、供部屋の窓には物見格子を付けて、内から通りの様子をうかがえるようにしている。

文化庁の記録によれば、平成10年(1998年)に改修を受けている。ただし同じ記録の西暦欄は改修年を1999年としており、和暦と西暦が一致していない。

失われた南半分と登録の理由

豊中市の解説によれば、奥野家住宅門長屋の門口の南側には、かつて男部屋(のちに納屋)と納屋からなる長さ5間の長屋が続いていた。現在はその南半分を失っているが、門口と供部屋という門長屋としての構成要素は保たれている。

奥野家住宅門長屋は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として登録された。豊中市は、脇街道に接した門長屋・土蔵・板塀が内外の巨樹とともに、市街化した地域の中で村の頃の面影を残していると評価している。下見板張の黒い壁と物見格子が通りに向かって並ぶ姿は、その景観の中心をなす。

見どころ

奥野家住宅門長屋は、まず通りの向かい側から見たい。入母屋の屋根の下で、南の門口と北の供部屋が一つの壁面に収まり、さらに北へ西蔵が続く。門・部屋・蔵が一続きの表構えになっていることがよく分かる。

近づいたら、板戸と潜戸の大きさの差と、供部屋の物見格子に注目したい。格子の奥から通りを見張る、という門長屋の役目が、そのまま意匠になっている。

見学について

奥野家住宅門長屋の外観は、敷地西辺の通りからいつでも見ることができる。内部の供部屋は公開されていない。「桜の庄兵衛」の催しやカフェの営業日には、この門口から敷地に入ることになるので、そのときに門口の天井や板戸の造りを内側から確かめたい。行き方と催しの情報は奥野家住宅(豊中市)のページにまとめてある。

Q&A

Q奥野家住宅門長屋は見学できますか?
A外観は敷地西辺の通りからいつでも見られます。内部の供部屋は公開されていません。催しやカフェの営業日には、この門口から敷地に入ることになります。
Q奥野家住宅門長屋はいつ建てられましたか?
A江戸時代後期(1751〜1829年)の建築とされています。文化庁の記録では平成10年(1998年)に改修されていますが、同じ記録の西暦欄は1999年としています。
Q奥野家住宅門長屋はどんな構成ですか?
A入母屋造桟瓦葺の木造平屋建で、南半分が門口、北半分が供部屋です。門口の中央に両開きの板戸を吊り、北脇に潜戸を開け、北側は西蔵に接続しています。
Q奥野家住宅門長屋は昔から今の長さでしたか?
Aいいえ。豊中市によれば、門口の南側にはかつて男部屋(のちに納屋)と納屋からなる長さ5間の長屋が続いていましたが、現在は失われています。
Q奥野家住宅門長屋が登録有形文化財になったのはいつですか?
A平成20年(2008年)7月8日で、登録番号は27-0498です。

基本情報

名称奥野家住宅門長屋
所在地大阪府豊中市中桜塚2-422-1
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年平成20年(2008年)7月8日登録
員数1棟
寸法建築面積33平方メートル、木造平屋建
所有者個人
公開状況外観は通りから見学可、内部非公開

参考文献

国指定文化財等データベース 奥野家住宅門長屋(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00007269
豊中市 登録文化財 奥野家住宅
https://www.city.toyonaka.osaka.jp/jinken_gakushu/bunkazai/touroku_bunkazai/touroku09.html

最終更新日: 2026.09.26