大阪府・江戸
Edo大阪府 の江戸時代(1603 – 1868)の文化財を一覧で閲覧できます。種類・キーワードで絞り込み、詳しい解説や地図、旅行のヒントもご紹介します。
大阪府八尾市の慈願寺太鼓楼は江戸末期の登録有形文化財。平屋の北寄りに入母屋造の二階を載せ、各面の中央に花頭窓を開く。境内東の入口、表門北側の築地塀沿いに立ち、寺内町の街路景観を印づける。
大阪府八尾市の慈願寺手水屋は面積約12平方メートルの登録有形文化財。虹梁や木鼻の絵様から寛文年間のものと考えられ、境内5棟の登録建造物のなかで最も古い、丁寧なつくりの小建築である。
大阪府八尾市の慈願寺本堂は文化14年(1817年)建立の登録有形文化財。桁行約19m、面積561平方メートルの真宗本堂で、1606年に八尾寺内町を開いた慈願寺の中心に東面して建つ大堂である。
大阪府河内長野市清水の地蔵寺本堂は、享保6年(1721年)建立の真言宗仏堂。宝形造桟瓦葺で元は茅葺、内部は円柱を立てた中央間を折上格天井とし、須弥壇前に天女の板絵を吊す。令和5年に登録有形文化財となった。
四天王寺阿弥陀堂は寺域南西部に北面して建つ延宝2年建築の仏堂である。寄棟造の妻入という珍しい形式をとり、三重県にあった末寺の国束寺の本堂を昭和28年にここへ移築した。令和4年に登録有形文化財となった。
四天王寺聖霊院唐門は、寺域南東部で太子殿の前に南面して建つ文化5年建築の四脚門である。徳川家康を合祀した用明殿の正門として建てられ、本坊の御成門を経て現在地へ移された小門で、令和4年に登録有形文化財となった。
四天王寺納骨堂は阿弥陀堂の西隣に北面して建つ方三間の小さな仏堂である。宝形造の桟瓦葺で建築面積は29平方メートル、三重県にあった末寺の国束寺の聖天堂を移したものである。令和4年に登録有形文化財となった。
四天王寺本坊唐門は寺域北東部の本坊の南西に建つ江戸後期の向唐門である。徳川歴代将軍の霊牌を祀る五智光院の正門として建てられ、雲竜の彫刻や三つ葉葵紋の透彫りで格式高く飾る。令和4年に登録有形文化財となった。
心光寺山門は大阪市天王寺区下寺町の松屋町筋に西面して建つ江戸時代中期の一間薬医門で、登録有形文化財。切妻造・本瓦葺の門で、男梁の鼻先や虹梁の絵様など細部の意匠が秀逸とされ、寺町の歴史的な景観をつくる。
住吉大社角鳥居は反橋を渡った先、本宮域の幸寿門の前に立つ江戸前期の石造鳥居。大面取の角柱に反りのある島木・笠木を載せた明神鳥居で、間口4.0m・高さ4.1mの低く重厚な姿が境内の他の鳥居と一線を画す。
住吉大社北大鳥居は北からの参道入口に立つ江戸前期の石造明神鳥居で、明治前期に現在地へ移築された。間口5.7m・高さ6.5m、東・南の大鳥居と同規模で、西大鳥居を含む4基で広い境内の四方を結界する北面の要である。
住吉大社北瑞籬門は本宮域の背面北端、最も奥の第一本宮の脇に建つ江戸後期の四脚門で、昭和38年に移築。南瑞籬門と寸分違わぬ左右一対として本殿群の背後を固め、銅板葺の切妻屋根が檜皮葺の本殿と対照をなしている。
住吉大社幸福門は本宮域の正面脇に建つ江戸前期の四脚門で、昭和45年に幸寿門とともに移築。同じ規模・形式ながら組物を大斗肘木とし門扉上を蓑束だけにした抑えた意匠で、主門である幸寿門との格の違いを細部で見せる。
住吉大社斎館は神館の背面に建つ文政11年(1828年)の座敷建築で、大正4年に移築。桁行七間・梁間五間半の入母屋造本瓦葺で、上段の間を中心に前三室・後二室を配し、規模の大きさで境内中心部の景観の核をなす。
住吉大社神館西門は神館域の正面中央に開く文政11年(1828年)の四脚門で、明治中期に移築。本宮の幸寿門と同じ三斗・虹梁蟇股・大瓶束の構成を素木造と本瓦葺で仕上げ、流麗で気品ある絵様を見せる神館域の表門である。
住吉大社末社侍者社拝所・神饌所は本宮域と神館域の境に建つ文政5年(1822年)の社殿。前三間を神饌所、後三間を拝所とし最奥に侍者社本殿を祀る。左右の扉で二つの区画を結ぶ、境内構成の核となる建物である。
住吉大社末社侍者社本殿は侍者社拝所の最奥に安置された文政5年(1822年)の本殿で、境内唯一の屋内安置の社殿。正面入母屋造・背面切妻造の檜皮葺で、七級の木階や本宮と同形式の懸魚、豊かな飾り金物を備える。
住吉大社末社貴船社本殿は本宮域の背後に立聞社と並ぶ江戸後期の一間社で、昭和中期に移築。水と雨の神・高龗神を祀り、外陣正面の袖壁や虹梁に板扉を嵌める内外陣境など、住吉造に倣った形式の多彩な細部を見せる社殿。
住吉大社末社立聞社本殿は本宮域の背後に貴船社と並ぶ文政11年(1828年)の一間社で、昭和27年に移築。天児屋根命を祀り、面取角柱を土台建にして床を高く張り、見世棚風の外陣に住吉造の豕扠首を組み合わせる。
住吉大社末社龍社本殿は神館域前方の神池のほとりに建つ江戸後期の社殿で、昭和4年に移築。水波野女神を祀り、床を張らない内陣の中央に井戸を抱く。住吉造に準じた形式で、水神と深く関わる住吉大社の信仰を示す。