稲荷川砂防堰堤群とは

稲荷川砂防堰堤群は、栃木県日光市の二社一寺の東側を流れる稲荷川に、大正9年(1920年)から昭和8年(1933年)にかけて築かれた砂防堰堤のうち、平成14年(2002年)8月21日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された7基をまとめた呼び名である。所有者は国(国土交通省)で、関東地方整備局日光砂防事務所が管理している。

7基の内訳は、稲荷川第二・第三・第四・第六・第十の5基と、その上流の釜ッ沢下流砂防堰堤・釜ッ沢砂防堰堤の2基である。いずれも重力式コンクリート造の砂防堰堤で、表面は石を積んで仕上げてある。登録番号は09-0054から09-0060まで連続し、7基が同じ日に登録された。

「稲荷川砂防堰堤群」という名は、日光砂防事務所が施設の紹介に用いているものである。文化庁の登録は1基ごとで、名称も第二、第三といった番号や字名で呼び分けられている。

暴れ川と稲荷川砂防堰堤群の始まり

稲荷川は日光火山群の東の端にある女峰山・赤薙山に発し、東照宮・二荒山神社・輪王寺の東を下って、神橋の約300メートル東で大谷川に合流する。土木学会の資料によれば、流域面積は12.4平方キロメートル、流路の長さは9.8キロメートル、平均勾配はおよそ10分の1という急流で、谷の両側には「薙(なぎ)」と呼ばれる深さ100メートルほどの崩れが刻まれている。

日光砂防事務所はこの川を「暴れ川」と紹介する。寛文2年(1662年)の大洪水では、日光山内の東側にあった稲荷町がのみ込まれて140人が亡くなり、翌年に供養の笠塔婆2基が建てられた。文化庁の解説には、明治35年(1902年)の大出水で谷が深く削られたことも記されている。

栃木県は大正5年(1916年)ごろから砂防工事の調査を始めたが、その重要性から大正7年(1918年)に内務省の直轄事業となり、同年7月10日に内務省東京第一土木出張所の稲荷川工場が置かれた。計画は堰堤17基と床固8基で、最終的には昭和30年(1955年)までに堰堤20基と床固15基が完成している。

最初の第一堰堤は大正8年(1919年)の夏に完成したが、同じ年の9月15日の暴風雨による土石流で流された。石を積むだけでつなぎ材を使わない空積だったことが弱点とされ、以後の堰堤は石のすき間をコンクリートで固める練積に改められた。翌大正9年(1920年)8月に完成した第二堰堤が、この方針で築かれた最初の堰堤で、同じ年の大出水を受け止めて工事を広げるきっかけになった。

稲荷川砂防堰堤群の7基の並び

稲荷川砂防堰堤群の番号は、川の上での順序とは一致しない。文化庁の解説に記された位置関係に従って、下流から上流へ並べると次のとおりである。括弧内は文化庁のデータベースに載る築造年と規模である。

  • 稲荷川第六砂防堰堤:大正11年(1922年)、堤長69メートル、堤高7.3メートル。大谷川との合流点から約2.8キロメートル上流で、7基の最下流
  • 稲荷川第四砂防堰堤:大正10年(1921年)、堤長69メートル、堤高3.6メートル。第六の上流323メートル
  • 稲荷川第二砂防堰堤:大正9年(1920年)、堤長40メートル、堤高7.0メートル。第四の上流110メートルで、7基のうち最も古い
  • 稲荷川第三砂防堰堤:大正10年(1921年)、堤長76メートル、堤高5.8メートル。第二の上流84メートル
  • 稲荷川第十砂防堰堤:大正12年(1923年)、昭和期に増築、堤長45メートル、堤高11メートル。第三の上流約600メートル
  • 釜ッ沢下流砂防堰堤:昭和7年(1932年)、堤長25メートル、堤高17メートル。第十の上流366メートル
  • 釜ッ沢砂防堰堤:昭和8年(1933年)、堤長64メートル、堤高20メートル。釜ッ沢下流の上流225メートル

文化庁の解説に記された間隔を足し合わせると、第六から釜ッ沢まではおよそ1.7キロメートルになる。下流の第六・第四・第二・第三は短い間隔で続き、上流へ行くほど谷が狭まって、堰堤は堤長が短く背の高い形に変わっていく。

稲荷川砂防堰堤群に共通する造り

稲荷川砂防堰堤群の7基は、いずれも堤体の表面を石の谷積で仕上げた練積の堰堤である。日光砂防事務所の資料によれば、戦前の工事は内務省の直営で、資材の運搬や掘削は人力と牛馬に頼り、堤体には粗石コンクリートを用い、表面は切石張りとした。昭和35年(1960年)に請負へ切り替わる前の作り方である。

設計者として名が挙がるのは内務技師の蒲孚(かば・まこと)である。文化庁は第二堰堤の解説で設計を蒲孚と明記し、幅の広い丸みを帯びた台形の水通しを、この事業で築かれた堰堤群の特徴としている。土木学会はこの形を、他の地域に類例のない「蒲式」と呼ばれる意匠として評価する。

土木学会は平成26年(2014年)、登録有形文化財の8基を含む流域の16基を「日光稲荷川流域の砂防堰堤群」として選奨土木遺産に認定した。7基は今も砂防施設として働いており、各堰堤の構造と見どころは、それぞれのページで扱っている。

稲荷川砂防堰堤群の見学とアクセス

稲荷川砂防堰堤群は屋外の防災施設で、見学の受付や開館時間、見学料はない。現役の施設のため、見学は川沿いの道から外観を眺める形になり、堤体に登ることはできない。日光砂防事務所によれば、堰堤群の区間には道標と説明看板が設けられており、渓流に沿って歩きながら堰堤を順に見ることができる。

電車で行く場合は、JR日光駅または東武日光駅が起点になる。日光市観光協会によれば、駅から世界遺産めぐりバスに約7分乗って「神橋」バス停で降り、そこから二社一寺の奥にある滝尾神社までは徒歩約35分である。稲荷川砂防堰堤群は滝尾神社の北、稲荷川をさかのぼった谷にあり、最下流の第六から上流の第十までは上り坂が続く。車で行く場合、栃木県フィルムコミッションの案内では日光宇都宮道路の日光インターチェンジから約10分だが、堰堤群専用の駐車場はない。

駅から歩いて往復すると半日ほどかかる。雨の後は谷の水かさが急に増すので、川岸に近づかないようにしたい。冬は道が凍ることがある。砂防の歴史を先に知っておきたい場合は、日光郷土センター内にある日光砂防事務所の「SABOインフォメーションコーナー」で資料を見ることができる。

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)稲荷川第六砂防堰堤
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00002880
国指定文化財等データベース(文化庁)稲荷川第四砂防堰堤
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00002881
国指定文化財等データベース(文化庁)稲荷川第二砂防堰堤
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00002882
国指定文化財等データベース(文化庁)稲荷川第三砂防堰堤
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00002883
国指定文化財等データベース(文化庁)稲荷川第十砂防堰堤
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00002884
国指定文化財等データベース(文化庁)釜ッ沢下流砂防堰堤
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00002885
国指定文化財等データベース(文化庁)釜ッ沢砂防堰堤
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00002886
国土交通省関東地方整備局日光砂防事務所 国登録有形文化財・砂防堰堤の歴史
https://www.ktr.mlit.go.jp/nikko/nikko00038.html
国土交通省関東地方整備局日光砂防事務所 日光砂防の代表砂防施設
https://www.ktr.mlit.go.jp/nikko/nikko00301.html
国土交通省関東地方整備局日光砂防事務所 日光の石造品マップ
https://www.ktr.mlit.go.jp/nikko/nikko00041.html
国土交通省関東地方整備局日光砂防事務所(トップページ)
https://www.ktr.mlit.go.jp/nikko/
土木学会関東支部 日光稲荷川流域の砂防堰堤群
https://www.jsce.or.jp/branch/kanto/04_isan/h26/h26_3.html
土木学会 選奨土木遺産 日光稲荷川流域の砂防堰堤群
https://committees.jsce.or.jp/heritage/node/812
日光市観光協会 滝尾神社
https://www.nikko-kankou.org/spot/24
栃木県フィルムコミッション 稲荷川砂防堰提群
https://www.tochigi-film.jp/navi/result.php?lid=648

最終更新日: 2026.10.01

基本情報

名称稲荷川砂防堰堤群
所在地栃木県日光市大字日光(稲荷川流域)
所有者国(国土交通省)
指定登録有形文化財 7件
座標36.77623, 139.58591