北口本宮富士浅間神社東宮本殿 ― 境内でもっとも古い社殿
北口本宮富士浅間神社東宮本殿は、山梨県富士吉田市上吉田にある永禄4年(1561年)建立の神社本殿で、明治40年(1907年)8月28日に指定され、文化庁の記録ではこの日が重要文化財の指定年月日となっている。
読みは文化庁のふりがなで「とうぐうほんでん」、山梨県と富士吉田市の解説では「ひがしのみやほんでん」とされる。文化庁のデータベースは時代を室町後期、形式を一間社流造、檜皮葺とし、棟札1枚が附として指定に含まれる。山梨県によれば祭神は彦火火出見命で、古くから富士権現とも呼ばれてきた。
本殿の東側に北を向いて建ち、拝殿に向かって立つと左手の奥にあたる。境内に3棟ある本殿のなかでは、もっとも小さく、もっとも古い。
北口本宮富士浅間神社東宮本殿の来歴 ― 本社の本殿から東宮へ
社記によれば、東宮は鎌倉幕府の執権北条義時が建てたという。その年は、山梨県の解説では貞応3年(1224年)、富士吉田市と神社の由緒では貞応2年(1223年)となっており、資料によって1年の差がある。
現在の建物は、武田晴信(信玄)が永禄4年(1561年)に本社の本殿として再興したものである。富士吉田市は、川中島の戦いの戦勝を祈って造営したと説明している。つまり北口本宮富士浅間神社東宮本殿は、もとは東宮ではなく、神社の中心となる本殿だった。
立場が変わったのは文禄3年(1594年)である。郡内を治めた浅野氏重(甲府城主浅野家の家老)が新しい本殿を建てた際、この社殿は東宮の本殿として移された、と山梨県は記す。その後も修理は続き、元和元年(1615年)に谷村藩主の鳥居成次、慶安2年(1649年)と延宝6年(1678年)に谷村藩主の秋元氏、享保20年(1735年)には富士講の指導者村上光清が手を入れている。中心の座を譲ったあとも、歴代の領主と講の人々が直し続けてきた建物である。
北口本宮富士浅間神社東宮本殿の価値と見どころ
山梨県の解説によれば、北口本宮富士浅間神社東宮本殿は構造や手法に室町時代の特色を示す一方、外まわりの彩色や彫刻は桃山時代以降の修理の際に加わったものと認められる。骨組みは室町、装いはそれ以降という二つの層を持つ建物で、表面の華やかさだけで年代を判断しないほうがよい。
形式は一間社流造で、正面に1間の向拝を設け、屋根は檜皮葺の切妻造である。富士吉田市は、桁行1間・梁間1間の身舎に向拝を付けた形と説明する。山梨県は本殿や西宮本殿に比べてやや小規模と記しており、前へ長く流れる屋根の軽やかさは、隣の入母屋造の本殿と並べるといっそうよくわかる。
この社殿は、境内の後の建物の手本にもなった。山梨県によれば、境内の福地八幡社は貞享元年(1684年)に東宮本殿と同じ規模、同じ平面形式で再建された。富士吉田市も、元文5年(1740年)の福地八幡社の造営は東宮本殿をモデルにしたとみている。同じ境内に「写し」が建てられたことは、東宮本殿が古い本殿として重んじられていたことを示している。
指定の早さも際立つ。明治40年(1907年)の指定は境内の建物のなかでもっとも早く、本殿と西宮本殿の指定はそれから46年後の昭和28年(1953年)である。
北口本宮富士浅間神社東宮本殿の見学
北口本宮富士浅間神社東宮本殿は、拝殿に向かって左奥、本殿の東側にあり、境内から外観を見ることができる。内部の公開は行われていない。正面の向拝と、流造の屋根が前へ長く延びる側面の線は、少し斜めの位置から見ると形がつかみやすい。
外まわりの彩色や彫刻は桃山時代以降の修理で加わったものとされるので、柱や組物の太さ、軒の出といった骨組みの部分にも目を向けたい。撮影の決まりは神社の公式サイトに示されていないため、祭典中は控え、迷うときは社務所で確かめるとよい。境内への行き方と参拝の条件は、北口本宮冨士浅間神社のページにまとめてある。
Q&A
- 北口本宮富士浅間神社東宮本殿はいつ建てられ、いつ重要文化財になりましたか?
- 永禄4年(1561年)の建立です。指定は明治40年(1907年)8月28日で、文化庁はこの日を重要文化財の指定年月日としています。棟札1枚が附として含まれます。
- 北口本宮富士浅間神社東宮本殿は武田信玄が建てたのですか?
- はい。現在の建物は武田晴信(信玄)が永禄4年に本社の本殿として再興したもので、富士吉田市は川中島の戦いの戦勝祈願による造営と説明しています。文禄3年(1594年)に東宮の本殿として移されました。
- 北口本宮富士浅間神社東宮本殿の読み方は「とうぐう」と「ひがしのみや」のどちらですか?
- 文化庁のふりがなは「とうぐうほんでん」、山梨県と富士吉田市の解説は「ひがしのみやほんでん」で、資料によって異なります。
- 北口本宮富士浅間神社東宮本殿の彩色や彫刻は室町時代のものですか?
- 山梨県の解説では、構造や手法は室町時代の特色を示しますが、外部の彩色や彫刻は桃山時代以降の修理で加わったものとされています。
- 北口本宮富士浅間神社東宮本殿は境内のどこにあり、中に入れますか?
- 本殿の東側、拝殿に向かって左奥に北を向いて建っています。外観は境内から見られますが、内部の公開は行われていません。
基本情報
| 名称 | 北口本宮富士浅間神社東宮本殿(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃとうぐうほんでん) |
|---|---|
| 所在地 | 山梨県富士吉田市上吉田諏訪内 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物) |
| 指定年 | 明治40年(1907年)8月28日 |
| 員数 | 1棟(附 棟札1枚) |
| 寸法 | 一間社流造、向拝1間、切妻造、檜皮葺(富士吉田市の解説では桁行1間、梁間1間) |
| 所有者 | 北口本宮富士浅間神社 |
| 公開状況 | 境内は参拝自由。外観は境内から見られる。内部は非公開 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁):北口本宮富士浅間神社東宮本殿
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/845
- 国指定文化財等データベース(文化庁):北口本宮富士浅間神社本殿
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/846
- 国指定文化財等データベース(文化庁):北口本宮富士浅間神社西宮本殿
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/847
- 山梨県:山梨の文化財ガイド KB0001 北口本宮冨士浅間神社東宮本殿
- https://www.pref.yamanashi.jp/bunka/bunkazaihogo/bunkazai_data/yamanashinobunkazai_kb0001.html
- 山梨県:山梨の文化財ガイド KB0050 北口本宮冨士浅間神社8棟
- https://www.pref.yamanashi.jp/bunka/bunkazaihogo/bunkazai_data/yamanashinobunkazai_kb0050.html
- 富士吉田市:国指定文化財
- https://www.city.fujiyoshida.yamanashi.jp/page/1096.html
- 北口本宮冨士浅間神社:由緒
- https://www.sengenjinja.jp/yuisho/index.html
最終更新日: 2026.10.03