旧湊屋店舗兼主屋とは

旧湊屋店舗兼主屋は、愛知県一宮市起字堤町にある明治前期の大型町家で、平成22年(2010年)9月10日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。桁行13.1メートル、梁間12.4メートル、建築面積は156平方メートルある。木造のつし二階建で、屋根は切妻造桟瓦葺、街道に対して平入に構える。

建つ場所は旧美濃路の角地である。美濃路は東海道の宮宿(熱田)と中山道の垂井宿を結ぶ脇街道で、その中ほどに、木曽川の渡河を控えた起宿があった。旧湊屋店舗兼主屋は、その宿場の街道沿い、敷地の南西角に置かれ、二つの通りに面している。

江戸時代の美濃路は、この角で西へ折れて木曽川の渡し場へ向かっていた。建物の西側を北へ抜ける現在の道は、当時は存在しなかったと管理者は説明している。渡船場へ行き来する人と荷が、必ずこの家の前を通る位置だったことになる。

船方肝煎をつとめた湊屋文右衛門の家

愛知県が公開する登録資料は、万延元年(1860年)の宿割絵図をもとに、この屋敷を在郷商人であった湊屋文右衛門の邸宅と考えている。文右衛門家は、木曽川の定渡船場で渡し船を差配する船庄屋の下に置かれた船方肝煎(きもいり)の役を分掌した家で、渡船の運営に関わりながら、北陸地方など遠隔地との取引も手がけた。

建物を管理する湊屋倶楽部の説明によると、湊屋の商いは寛政年間(1789年から1801年)に縞木綿の仲買へと広がったという。越前丸岡から糸を仕入れて地元の機屋に卸し、織り上がった縞木綿を各地へ送り出す。のちに尾西一帯を毛織物の産地へ育てていく商流の、ひとつの原型がここにある。

明治24年(1891年)10月の濃尾地震は、起宿の家々をほとんど倒壊させた。旧湊屋店舗兼主屋は、そのなかで倒れずに残った数少ない建物のひとつとされている。

建築年代については資料の間に食い違いがある。地元では幕末の建物として紹介されることが多い。一方、文化庁の国指定文化財等データベースと愛知県の登録資料は、明治前期(1868年から1881年)の建設とし、江戸末期の屋敷構成を踏襲したものと説明する。湊屋倶楽部も、主屋からは建築年代を示す棟札が見つかっておらず、元治元年(1864年)に描かれた絵図の屋敷図と現在の間取りが一致しないことから、それ以降の建設と推定している。この記事は一次資料である文化庁データベースの記載に従い、明治前期とした。

登録有形文化財となった理由

旧湊屋店舗兼主屋の登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。文化庁の解説は、この建物を旧街道沿いの商家の繁栄を伝える大型町家と位置づけている。個々の意匠の珍しさよりも、街道の景観を構成する一軒としての働きが評価された登録だと読める。

登録有形文化財は、所有者が建物を使いながら守っていくことを前提とする制度である。旧湊屋店舗兼主屋がいまも個人の所有のまま、日常の用途をもって使われ続けているのは、この制度に沿った姿といえる。

同じ敷地の北西角に建つ旧湊屋土蔵も、同じ日に別件として登録された。街道に面した店舗兼主屋と、その背後に控える土蔵。二棟がそろうことで、江戸末期以来の商家の屋敷構えが読み取れる。

正面構えと内部の見どころ

街道から見て最初に目に入るのは、深く出た軒と、その下に重なる水平線である。正面と背面は半間分を下屋(げや)として一段低く葺き下ろし、その下屋に出格子を立てる。上屋にあたる二階は天井を低く抑え、格子窓をはめ殺しにする。格子の上下には長押が回り、横方向の線が幾重にも並んで見える。

つし二階は屋根裏に近い低い二階のことで、当初は人が住む部屋ではなかったと考えられている。愛知県の詳細解説によれば、現在は中央の一列が畳敷きの部屋になり、かつて土間だった部分の上部も、背面の二間四方を除いて八畳間や廊下、物入に改造されている。表から見える低い二階の格子は、その改造以前の外観を残している。

西側の妻面には下見板が張られる。一方、切妻屋根の端にあたるけらばは漆喰で塗り込められている。板の木肌と漆喰の白が接する線が、側面の見どころになる。

一階は、東側の土間部と六間取りの居室部からなる。土間部には、表の大戸から裏へ抜ける通土間が当初の間取りとしてあった。平面の計画寸法は、長辺六尺・短辺三尺のを基準とする中京間である。京間でも江戸間でもない、この地域の寸法体系がそのまま残っている。

昭和34年(1959年)には改修が加えられた。旧湊屋店舗兼主屋は、明治前期の骨格の上に昭和の手直しと平成以降の活用が重なった建物として、いまも街道の角に立っている。

見学方法とアクセス

旧湊屋店舗兼主屋は個人の所有だが、玄関・居間・台所を改装した「茶店湊屋」として一部が公開されている。開店は平成23年(2011年)5月。営業日は水曜・土曜・日曜で、営業時間は午前10時から午後3時30分まで、ラストオーダーは午後3時である。年末年始の前後は休みとなる(2026年9月1日時点の情報)。建物を見るための拝観料は設けられておらず、茶店を利用する場合の飲み物は400円ほどからとなっている。

席は居間の椅子席のほか、ミセ、ナカノマ、ミセザシキ、ブツマ、ザシキと呼ばれる部屋に置かれる。部屋の呼び名がそのまま町家の間取りの用語になっている点は、他所ではなかなか味わえない。かつて通土間だった場所の天井は、本来の根太天井に戻された。

外観は公道から自由に見ることができ、撮影も可能である。営業中の室内で写真を撮りたい場合は、ほかの利用者への配慮のうえ、店の方に一声かけたい。営業日や催事の予定は変わることがあるため、遠方から向かうなら電話で事前に確かめておくと確実である。

公共交通なら、JR東海道本線の尾張一宮駅、または名鉄名古屋本線の名鉄一宮駅が起点になる。駅西側のバスターミナル2番のりばから名鉄バスの「起」行きに乗り、終点の「起」停留所で降りて北へ徒歩8分ほど。乗車時間はおよそ20分である。自動車で向かう場合は、敷地の近くに駐車場が用意されている。

Q&A

Q旧湊屋店舗兼主屋は見学できますか。公開日と料金は?
A外観は公道からいつでも見られます。内部は玄関・居間・台所を改装した「茶店湊屋」として水曜・土曜・日曜の午前10時から午後3時30分まで公開されており、ラストオーダーは午後3時です。見学のための拝観料はなく、茶店を利用する場合の飲み物は400円ほどからです。年末年始の前後は休みとなります。
Q旧湊屋店舗兼主屋はいつ建てられた建物ですか。
A文化庁の国指定文化財等データベースは明治前期(1868年から1881年)の建設としています。江戸末期の屋敷構成をそのまま踏襲しているため、地元では幕末の建物として紹介されることもあります。昭和34年(1959年)に改修が加えられました。
Q旧湊屋店舗兼主屋へのアクセス方法を教えてください。
AJR尾張一宮駅または名鉄一宮駅の西側バスターミナル2番のりばから、名鉄バスの「起」行きに乗ります。乗車時間はおよそ20分で、終点の「起」停留所から北へ徒歩8分ほどです。自動車の場合は敷地の近くに駐車場があります。
Q旧湊屋店舗兼主屋の「湊屋」とは、どのような家だったのですか。
A木曽川の定渡船場で渡し船を差配する船庄屋の下で、船方肝煎の役を分掌した在郷商人、湊屋文右衛門の家と考えられています。渡船の運営に関わりながら北陸地方など遠隔地との取引も手がけ、寛政年間には縞木綿の仲買へ商いを広げたと伝えられます。
Q旧湊屋店舗兼主屋と旧湊屋土蔵は同じ場所にありますか。
Aはい。どちらも愛知県一宮市起字堤町33-1の同じ敷地にあり、平成22年(2010年)9月10日に別件として登録有形文化財に登録されました。旧湊屋店舗兼主屋が敷地の南西角、旧湊屋土蔵が北西角に建っています。

基本データ

名称旧湊屋店舗兼主屋(きゅうみなとやてんぽけんしゅおく)
所在地愛知県一宮市起字堤町33-1
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年平成22年(2010年)登録
員数1棟
寸法桁行13.1メートル、梁間12.4メートル、建築面積156平方メートル
所有者個人
公開状況外観は公道から見学可能。一部が茶店として水曜・土曜・日曜に公開

参考文献

国指定文化財等データベース 旧湊屋店舗兼主屋(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00008290
文化遺産オンライン 旧湊屋店舗兼主屋
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/198252
愛知県の国・県指定文化財と国の登録文化財 旧湊屋店舗兼主屋(愛知県)
https://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/yukei/kenzoubutu/kunitouroku/1349.html
一宮市内の文化財(一宮市)
https://www.city.ichinomiya.aichi.jp/katsuryokusouzou/hakubutsukan/1044092/1024202/1036232.html
美濃路・起宿「湊屋」公式サイト
https://minatoyaclub.wixsite.com/my-site
利用案内・交通アクセス 一宮市尾西歴史民俗資料館(一宮市)
https://www.city.ichinomiya.aichi.jp/rekimin/1010275/1005626.html

最終更新日: 2026.09.01