瀬戸の山あいに建つ無為殿
定光寺駅へ向かう列車は名古屋から北へ走り、三十分もすれば市街は消え、玉野川沿いの深い谷へと変わる。このあたりは古くから尾張の嵐山と呼ばれてきた。橋を渡り、参道を登れば、木立のあいだに大きな屋根の堂が見えてくる。臨済宗妙心寺派の寺院、定光寺の本堂で、無為殿の名で知られている。
本堂は禅宗様の仏殿で、平面は三間四方、構造としては一重である。それを二重に見せているのが裳階(もこし)で、基部をめぐる低い庇が、もう一段の軒のように建物を取り巻く。その上に入母屋造の屋根が架かり、薄い木の板を重ねるこけら葺で葺かれている。文化財の記録は建立を一四九三年(明応二年)、室町後期とし、附として宮殿(くうでん)一基を挙げる。
定光寺は山号を応夢山といい、本尊に延命地蔵を祀る。一三三六年(建武三年)、禅僧覚源によって開かれた。現在は愛知高原国定公園の一角にあり、春の桜と秋の紅葉が人を集める。
禅の仏殿と、その上に眠る藩主
本堂が国の指定に加えられたのは一九二六年(大正十五年)四月十九日である。その価値は、禅宗様の引き締まった構造と、内部に残された室町中期の洗練された手法にある。なかでも見落とせないのが須弥壇の高欄で、ここに鯱(しゃち)の形が彫り出されている。城の屋根に載るあの想像上の魚が、堂内の壇の高欄に見られるのは珍しい。一九三八年(昭和十三年)の解体修理で構造とこけら葺の屋根が整えられ、現在の姿となった。
もっとも、この寺の名を高めているのは、本堂のすぐ背後の山腹である。そこには尾張藩初代藩主、家康の九男にあたる徳川義直の廟所が築かれている。義直は狩りで訪れたこの地を墓所と定め、一六五〇年(慶安三年)の没後にここへ葬られた。一六五一年から翌年にかけて造られたこの廟は、明から帰化した学者陳元贇の設計と伝わる儒教式の配置をとり、寺ではなく尾張徳川家が所有する別個の指定建造物である。両者は別のものであり、本稿が扱うのは仏殿のほうである点を押さえておきたい。
訪れたときに見たいところ
正面から本堂に向かうと、裳階が輪郭を変えていることに気づく。構造としては一重の建物に、重みと安定をもたらしている。深い軒と、隅でわずかに上がる反りは禅宗様の印で、誇張ではなく抑えた形でここに用いられている。
本堂からは廟所の門へと道が登る。外側の獅子の門は、その獅子の彫刻が伝説の名工左甚五郎の作と伝えられ、保護のため鞘屋根で覆われている。内側のいくつかの建物も同様である。廟所への拝観には少額の料金がかかり、本堂はその前庭から眺められる。廟所の築地塀の改修は二〇二五年の時期に向けて終えられたので、現在の見学の可否は出かける前に確かめておくとよい。
多くの人はあわせて定光寺公園を歩く。谷と池と古い堂宇が、桜や紅葉の人出を離れたところで静けさをよく保っている。
Q&A
- 本堂と徳川義直の廟は同じものですか。
- 別のものです。本堂(無為殿)が本稿で扱う仏殿で、その背後の廟所は尾張徳川家が所有する別個の重要文化財です。
- 無為殿という名の由来は。
- 作為のない、自然のままのはたらきを指す「無為」の語に由来します。禅にも、より古い中国の思想にもなじむ考え方です。
- どうやって行きますか。
- JR中央線で定光寺駅へ。名古屋から約三十分です。そこから谷の参道を歩いて登ります。
- 最も景色がよいのはいつですか。
- 秋の紅葉と春の桜が二つの見どころです。木立に包まれた境内は一年を通して心地よく歩けます。
- 本堂の内部に入れますか。
- 本堂は通常、外から眺める形です。内部の拝観は一般の見学には含まれず、有料の拝観は主に廟所が対象となります。
基本情報
| 名称 | 定光寺本堂(無為殿) |
|---|---|
| 所在地 | 愛知県瀬戸市定光寺町 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物)、一九二六年(大正十五年)四月十九日指定 |
| 年代 | 室町後期、一四九三年(明応二年) |
| 形式 | 桁行三間・梁間三間、一重もこし付、入母屋造、こけら葺。附 宮殿一基 |
| 所有者 | 定光寺(臨済宗妙心寺派) |
| 交通 | JR中央線定光寺駅から徒歩。廟所拝観は少額の拝観料 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/1217
- 瀬戸市 定光寺 本堂(国有形(建造物))
- https://www.city.seto.aichi.jp/docs/2011/01/26/00094/index.html
最終更新日: 2026.06.24