小島家住宅屋根塀

犬山城下町の本町通りから一本裏の小路に入ると、長い塀が街区のかなりの距離にわたって続いている。上半分は白い漆喰、下半分は黒っぽい下見板で覆われ、その全長に瓦屋根が乗る。塀のなかほどには、見落としそうなほどさりげなく、切妻屋根の小さな門が組み込まれている。これが小島家住宅屋根塀である。慶長2年(1597年)の創業以来、四百年余にわたって犬山で酒を醸してきた小島家の、通りに向けた表構えにあたる建造物だ。

塀は延長およそ56メートル。敷地の東と南の縁を矩折れに仕切っている。木部の年代は明治中期、おおむね1868年から1911年のあいだとされ、塀が囲む建物よりは新しい。背後の座敷は弘化4年(1847年)、主屋は明治30年(1897年)ごろの建築だからである。これだけの長さと仕上げの塀を構えることは容易ではなく、単なる仕切りではなかった。裕福な家の正式な表構えであり、門が開く前に訪問者が最初に読み取る家の格式そのものだった。

塀のつくり

構造をよく見ると、この塀の理屈が見えてくる。上部は塗込めで、木の軸組を漆喰で包み込み、火に対する備えとした。漆喰の下には下見板を重ねて張り、雨を基部から逃がしている。塀から短く突き出した腕木が桁を受け、その桁の上に桟瓦が連なって屋根を成す。塀でありながら、屋根をかけ軸組で構えるさまは建物そのもので、登録上もひとつの建造物として扱われている。

見どころの中心は、座敷の式台の斜め前に開く門である。これは御成門、すなわち格の高い客のための門で、二本の主柱が小さな棟をもつ屋根を支える棟門の形式をとる。桟瓦葺の屋根が乗る。御成門は日々の出入りのための門ではない。身分ある客を迎えるときに開かれる門であり、それがここにあること自体が、かつての小島家が城下町の社会のなかでどれほどの位置を占めていたかを示している。主屋と寄付の北側には潜り戸が二か所穿たれ、酒造業の日常の往来はこちらが受け持った。

「指定」ではなく「登録」

この塀の区分は登録有形文化財(建造物)である。平成17年(2005年)2月9日に登録番号23-0179として国の登録原簿に記載された。この区別は重要である。日本は最も傑出した建造物を指定によって保護し、国宝や重要文化財はこの指定の枠から生まれる。これに対し登録は、平成8年(1996年)に設けられた、より幅広く軽やかな仕組みで、一件ごとに掛け替えがないとまでは言えなくとも、その土地の景観をかたちづくる多くの歴史的建造物を対象とする。この塀に挙げられた基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」であり、小路を歩けばその意味はすぐに納得できる。

屋根塀は、同じ日に一括して登録された小島家の七件の建造物のひとつである。主屋、座敷、三棟の蔵と酒蔵、寄付とともに登録され、七件を一組として読むと、江戸から明治にかけての酒造家の屋敷構えがそのまま残っていることがわかる。そのまとまりを通りの側でつなぎとめているのが屋根塀であり、屋敷の表構えに欠かせない建造物と評される所以はそこにある。

塀の奥の酒蔵

家業は小島醸造。慶長2年(1597年)に創業し、いまも十五代目が当主を務めている。看板の品は荵苳酒(にんどうしゅ)で、米とスイカズラ(忍冬)から醸す薬酒である。家に伝わる由来では、十六世紀末の朝鮮出兵の折、当時の当主が助けた朝鮮の捕虜から製法を授かったとされ、のちにこの酒は犬山城主成瀬家を経て将軍へ献じられ、徳川家康が好んだとも言い伝えられる。いずれも文献で裏づけられた事実というより家の伝承であり、そう受け止めるのが穏当だが、御成門を含めてこの屋敷の多くを説明してくれる話ではある。

その縁は塀そのものにも及ぶ。地元の言い伝えでは、この長い塀はかつて朝鮮の宮殿建築を思わせる紅色の弁柄で塗られていたといい、酒の由来とされる朝鮮との関わりを映したものとされる。現在見られる紅色はこの古い塗りを復元したものである。

見どころ

通りすがりに一瞥して過ぎるのではなく、全長を歩いてみてほしい。この塀の楽しさはその律動にある。上に長く続く漆喰の帯、下に張られた黒い板、てっぺんを途切れずに走る桟瓦。そこへ御成門が現れて流れを断つ。御成門から少し離れて立つと、その小さな屋根と角ばった柱が、すぐ近くの素朴な潜り戸とは違う格式を告げているのがわかる。

日常の細部にも目を向けたい。塀沿いの小さな出入口にはそれぞれ通り側へ寄せた控えの場が設けられている。荷を受け、蔵人が通い、格の異なる客が同じ長い表構えを行き来した家ならではの、実用に根ざした工夫である。今日ではその同じ開口が、宿、料理店、そして従業員のための別々の入口になっており、塀は昔と変わらず訪れる人を振り分け続けている。

塀の周辺

小島家住宅は本町通りのすぐ裏手の小路にあり、町の名の由来である犬山城まで歩いて行ける。犬山城は現存する日本最古の天守をもち、国宝に指定された五つの城のひとつである。最上階には外を一周できる廻縁がめぐり、そこから木曽川と濃尾平野を遠くまで見渡せる。かつて小島家の酒を受け取った成瀬家は、江戸時代を通じてこの城の城主を務めた。

少し歩いた有楽苑には、織田有楽が建て、同じく国宝に指定された茶室如庵が移築されている。国宝の茶席三名席のひとつに数えられる名席である。訪れる時期を4月第1週の週末に合わせれば犬山祭を見られる。からくり人形を載せた三層の車山十三輌が小路を曳き回される祭で、ユネスコの無形文化遺産に登録されている。これらの見どころを結ぶ本町通りは、歩きながら食べ歩きを楽しめる通りとしても知られるようになった。

犬山への足は分かりやすい。名古屋から名鉄で犬山駅までおよそ25分から30分、城下町と小島家住宅は駅から徒歩10分から15分である。

Q&A

Q小島家住宅屋根塀は国宝ですか。
Aいいえ。2005年に登録された登録有形文化財です。登録は、国宝や重要文化財を生む「指定」とは別の、より軽やかな区分で、町並みの歴史的な景観に寄与する建造物を対象としています。
Q塀は見られますか。屋敷の中に入れますか。
A塀は公道に面しており、通りからいつでも自由に見られます。背後の建物は現在、宿「宿-SHUKU-」と料理店「古今」として営まれているため、宿泊や食事(昼食を含む)の利用者は内部に入れます。私的な部屋への気軽な立ち入りはできません。
Q御成門は何のための門ですか。
A御成門は格の高い客を迎えるときにだけ開く儀礼用の門で、日常の出入口とは区別されていました。城主成瀬家を経て将軍にまで届いた酒を造る家にとって、この門は城下町における家の格式を示すものでした。
Qこの家にゆかりの荵苳酒とはどんな酒ですか。
A米とスイカズラから醸す薬酒で、慶長2年(1597年)以来、小島醸造が造り続けています。家の伝えでは同種の酒で現在も造られているのはここだけとされます。敷地内の店で購入でき、日中の営業で不定休です。
Q名古屋からの行き方と、周辺の見どころは。
A名古屋から名鉄で犬山駅まで約25分から30分、そこから城下町まで徒歩10分から15分です。近くには国宝の犬山城と茶室如庵があり、犬山祭の車山はどんでん館で通年見学できます。

基本情報

名称小島家住宅屋根塀(こじまけじゅうたくやねべい)
所在地愛知県犬山市大字犬山字東古券633
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 23-0179
登録年月日2005年(平成17年)2月9日(登録告示 同年2月28日)
時代明治中期(1868年~1911年)
員数1棟
構造木造、瓦葺、延長約56メートル、間口約1.9メートルの門付
所有小島家(小島醸造)
公開状況塀は公道から見学可。内部は宿「宿-SHUKU-」・料理店「古今」として営業
交通名鉄犬山駅から徒歩約10~15分

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)小島家住宅屋根塀
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00004575
文化遺産オンライン(NII)小島家住宅屋根塀
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/151185
文化遺産オンライン 小島家住宅座敷・主屋
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/189300
宿-SHUKU-・古今 公式サイト(小島家住宅)
https://shuku-kokon.com/about/
犬山市 文化財
https://www.city.inuyama.aichi.jp/kurashi/bunka/1001063/1001068.html
国宝犬山城 公式サイト
https://inuyama-castle.jp/

最終更新日: 2026.06.17