街路の角を占める大規模な近代和風建築

末廣酒造嘉永蔵主屋は、福島県会津若松市日新町にある造り酒屋の主屋で、明治42年(1909年)に建てられ、平成30年(2018年)11月2日に登録有形文化財となった。木造の2階建および3階建、瓦葺で、建築面積は414平方メートルある。

建つのは敷地の東北部、東と北の二方が街路に接する角地である。東を正面とし、西側に切妻造3階建の居宅、東側に寄棟造2階建の事務所を置く。屋根の形も階数も違う二つの部分が1棟に続く構成で、住まいと商いを一つ屋根の下に収めた造り酒屋の形がそのまま残っている。

大正11年(1922年)には増築の手が入った。文化庁の記録は年代を「明治42年/大正11年増築」と記す。明治39年(1906年)の大火で蔵の大半を失ったあとの再建期にあたり、敷地の表構えはこの時期に今の姿へ整えられた。

なぜ登録されたのか

末廣酒造嘉永蔵主屋の登録は、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」という登録基準による。登録番号は07-0185で、同じ敷地の9件のうち最初の番号が振られている。

評価されたのは、城下町の街路に向いて建つ大規模な近代和風建築であるという点である。若松城下の旧町人地にあって、通りから見える嘉永蔵の表構えの中心を占め、街路景観の核をなしている。

登録有形文化財は、重要文化財のような指定の制度とは別に、平成8年(1996年)に設けられた登録の制度である。所有者が使いながら守ることを前提とした仕組みで、今も酒造会社の事務所として働いているこの建物は、その前提に素直に当てはまる。

36畳の大広間と、野口英世が立った床

事務所部分の2階には36の大広間がある。町家の座敷としては規模が大きく、取引先を迎え、会合を開くために設けられた部屋である。

大正4年(1915年)9月、16年ぶりにアメリカから帰国した野口英世がこの大広間に立ち寄っている。三代目猪之吉の妻の弟にあたる小林栄が英世の後見人であり、英世の実弟清三はこの蔵で働いていた。当日この部屋で撮られた集合写真が末廣酒造に残る。

外からの見どころは、居宅と事務所の境目である。3階建の西側と2階建の東側とで軒の高さが変わるため、通りの向かい側まで下がると屋根の段差がはっきり読める。妻面を見せる西側と、四方に屋根を下ろす東側との対比も、この位置からがいちばん分かりやすい。

見学方法

末廣酒造嘉永蔵主屋の外観は、東と北の街路からいつでも見られる。撮影に制限はない。

内部は営業中の事務所を含むため、係員の案内による酒蔵見学のときだけ見ることができる。案内は所要およそ30分で、どの建物のどこまで入るかは案内する係員が決める。写真を撮る場合は現地で確認したい。

敷地全体の見学時間・定休日・行き方は、末廣酒造嘉永蔵のページにまとめてある。

Q&A

Q末廣酒造嘉永蔵主屋は見学できますか。内部に入れますか。
A外観は東と北の街路からいつでも見られます。内部は係員の案内による酒蔵見学のときだけ見ることができ、自由に立ち入ることはできません。案内の所要はおよそ30分です。
Q末廣酒造嘉永蔵主屋はいつ建てられましたか。
A明治42年(1909年)です。大正11年(1922年)に増築されています。明治39年(1906年)の大火のあとの再建にあたります。
Q末廣酒造嘉永蔵主屋はどのような構造ですか。
A木造で、西側が3階建の居宅、東側が2階建の事務所です。屋根は瓦葺、建築面積は414平方メートルあります。
Q主屋の2階にある36畳の大広間は何のための部屋ですか。
A取引先を迎え、会合を開くための座敷です。大正4年(1915年)9月には、帰国した野口英世がこの部屋を訪れています。
Q末廣酒造嘉永蔵主屋はいつ登録有形文化財になりましたか。
A平成30年(2018年)11月2日です。登録番号は07-0185で、同じ敷地の9件がまとめて登録されました。

基本データ

名称末廣酒造嘉永蔵主屋
所在地福島県会津若松市日新町159他
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年平成30年(2018年)登録
員数1棟
寸法木造2階建及び3階建、瓦葺、建築面積414平方メートル
所有者末廣酒造株式会社
公開状況外観は街路から常時見学可。内部は係員の案内による酒蔵見学時のみ

参考文献

国指定文化財等データベース 末廣酒造嘉永蔵主屋(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00012470
嘉永蔵見学(末廣酒造株式会社)
https://sake-suehiro.co.jp/museum
末廣の歴史(末廣酒造株式会社)
https://sake-suehiro.co.jp/history

最終更新日: 2026.09.17