森に紛れる煉瓦アーチ
長良川鉄道湯の洞温泉口駅から北へ少し歩き、線路に沿って山ぎわを上流方向にたどると、谷の奥にいきなり煉瓦造りのアーチ橋が現れる。長良川発電所下須原谷水路橋。橋上では今もひっそりと水が流れ続けている。明治43年(1910年)に運転を開始した日本でも有数の現役水力発電所、その導水路に架かる橋のひとつである。
輸送する貨物は人でも車でも貨車でもなく、水。橋脚と充腹式アーチが受け止めているのは、長良川から取り入れられ4.9キロ余り谷沿いを下って発電所に向かう「水路」そのものである。役割は地味だが、赤煉瓦のイギリス積み、花崗岩の迫持石、低く抑えた高欄が並ぶ姿には、明治末の土木構造物に特有の毅然としたたたずまいがある。長良川発電所本館他8件を構成する登録有形文化財9件のひとつとして、平成13年(2001年)に登録された。
名古屋を照らした発電所
橋の役割を語る前に、それが奉仕する発電所について触れておきたい。長良川発電所の計画を最初に練ったのは、旧岩村藩士の小林重正である。明治21年に京都の蹴上発電所(琵琶湖疏水)を見学して感化された小林は、長良川と飛騨川を踏査し、明治31年に水力発電起業の許可を得た。だが日清戦争後の不況で着工に至らず、計画は紆余曲折ののち名古屋電灯株式会社に引き継がれた。15年の歳月を経て、明治41年に着工。当時は鉄道網が未発達で、発電機は岐阜駅から牛車で約一週間かけて長良川対岸まで運ばれ、そこから大筏に組んで建設地に渡されたという。
明治43年3月15日、発電開始。発電力は4,200キロワット。翌16日には52キロ離れた名古屋市鶴舞公園で第10回関西府県連合共進会が開幕しており、その夜のイルミネーションを灯したのが、この長良川発電所から送られた電気だった。ローマ風の噴水塔やルネサンス様式の奏楽堂が初めて電灯に浮かび上がった瞬間である。
美濃の長良川は河床勾配が緩い。そのためダムで一気に落差を稼ぐのではなく、河川に並行してより緩い勾配の水路を引き、両者の落差を発電に使う「水路式」が採用された。導水路は無圧トンネル、蓋渠、開渠、水路橋を組み合わせて全長約4キロを超え、横断する谷ごとに橋が必要となる。下須原谷水路橋もそのひとつである。
登録の意味するもの
長良川発電所の本館は平成12年(2000年)12月に、それ以外の構造物群——下須原谷水路橋を含む水路橋3基、余水路横断橋、正門、外塀、取水関連施設——は平成13年(2001年)8月に登録有形文化財となった。あわせて9件。明治末期の水力発電施設一式が、建屋から末端の煉瓦水路橋までほぼ完備で残る例は、全国的にも数少ない。
長良川発電所は機器類にドイツの最新技術を取り入れた。水車はフォイト製、発電機はシーメンス製。設計顧問にはシーメンス日本営業所の社員だった野口遵が関わった。一方、煉瓦の組積は日本人技術者と職人によって担われている。明治の中頃にはイギリス積みが土木構造物の標準となっており、橋台・橋脚・アーチ部のいずれもこの積み方を踏襲する。長手だけの段と小口だけの段を交互に積むイギリス積みは、フランドル積み(いわゆるフランス積み)に比べて施工が合理的で堅牢とされ、明治後期の鉄道橋梁や水門で広く採用された。
下須原谷水路橋は、登録名で並ぶ姉妹橋——湯之洞谷水路橋(橋長62メートル、幅8メートル、煉瓦及びコンクリート造充腹5連アーチ)、日谷水路橋(橋長54メートル、幅8メートル、平面が緩く曲線を描く5連アーチ)——とともに、同一の設計言語が谷の幅や曲率に合わせて少しずつ姿を変えていく様子を見せてくれる。3橋を通してたどると、明治末の土木技術者が一様な仕様書ではなく、地形と対話しながら橋を架けたことが伝わってくる。
訪れる
下須原谷水路橋は中部電力の所有地内にあり、現役の発電施設として機能している。橋上や水路への立ち入りはできないが、近隣の公道や山道から外観を望むことは可能である。湯の洞温泉口駅から発電所方面に向かい、長良川沿いの集落道を上流側へ歩くと、谷の奥に煉瓦アーチが姿を見せる地点に至る。道が狭く、夏場は草木が茂って見通しが効かないので、足元のしっかりした靴と地図アプリの併用が無難である。
3つの水路橋のうち最も観察しやすいのは湯之洞谷水路橋で、案内看板も以前は掲げられていた地元に親しまれた場所である。下須原谷水路橋はそれよりも上流寄り、取水口に近い側に位置し、訪問にはやや踏破力を要する。秋から初冬にかけては落葉で見通しが利き、橋の全景を捉えやすい。
発電所本館は、不定期に行われる中部電力主催の見学会や、地域催事「長良川おんぱく」のプログラムで内部公開されることがある。明治のシーメンス製発電機やドイツ製水車、建設当時の写真資料がそのまま残されており、写真愛好家にも近代化産業遺産好きにも訴える内容である。日程は数週間前にしか公表されないため、訪問前に美濃市観光協会の最新情報を確認するとよい。
周辺の見どころ
美濃市は本美濃紙の里として知られる。1,300年以上の歴史を持つ手漉き和紙はユネスコ無形文化遺産にも登録されており、発電所から南へ車でおよそ30分の中心市街には、江戸期の町並みを残す「うだつの上がる町並み」が広がる。屋根の両端に火除けの袖壁(うだつ)を立てた商家が連続する景観は重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。美濃和紙の里会館では和紙漉き体験ができる。
長良川鉄道はそのまま北上して郡上方面へと続く。終点に近い郡上八幡は、夏に踊られる「郡上おどり」と山城の郡上八幡城で名高い城下町である。発電所から1時間ほど。木曽川水系に目を向ければ、八百津発電所(明治44年)など、同時代の水力発電遺構が連なっており、明治末から大正にかけての電力史を一日でたどることもできる。
Q&A
- 橋を歩いて渡ることはできますか
- できません。下須原谷水路橋は中部電力株式会社の所有地内にあり、現に発電用の導水を担う設備として稼働しています。立ち入りは禁じられており、見学は公道や周辺の山道から外観を眺める形になります。
- 「下須原谷」とはどういう意味ですか
- 地名です。「下」は下流側を指し、「須原」は美濃市内の旧地区名、「谷」は文字どおり谷を意味します。水路が横切る小さな谷の名前がそのまま橋名となりました。
- イギリス積みとはどんな積み方ですか
- 煉瓦の長手(長い側面)だけの段と小口(短い側面)だけの段を、一段おきに交互に積み上げる方式です。フランドル積み(フランス積み)よりも合理的で堅牢とされ、明治中期以降は鉄道橋・水門・トンネルなど土木構造物の標準的な積み方になりました。
- 発電所は今も動いていますか
- 動いています。長良川発電所は明治43年の運転開始以来、100年以上にわたって発電を続ける現役施設で、現在の最大出力は4,800キロワット。発電された電力は美濃市と郡上市の一部に供給されています。
- 写真撮影は可能ですか
- 公道や公共の遊歩道からの撮影は可能です。ただし発電所敷地内や導水路の上空でドローンを飛ばすことは認められておらず、管理道に立ち入り制限の表示がある場合はそれに従ってください。
基本情報
| 名称 | 長良川発電所下須原谷水路橋(ながらがわはつでんしょしもすはらだにすいろきょう) |
|---|---|
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)・平成13年(2001年)8月28日登録 |
| 時代 | 明治期(発電所運転開始は明治43年/1910年) |
| 種別 | 土木構造物(水路橋・水路式発電所導水路の一部) |
| 所在地 | 岐阜県美濃市大字須原字小洞 |
| 所有者 | 中部電力株式会社 |
| 交通 | 長良川鉄道「湯の洞温泉口」駅から徒歩圏(ただし橋付近は山道を含む) |
| 公開状況 | 非公開。外観を公道から望む形での見学に限られる |
| 関連登録 | 長良川発電所本館他8件のうち1件。あわせて本館・正門・外塀・取水関連施設・余水路横断橋・湯之洞谷水路橋・日谷水路橋などが登録されている |
参考文献
- 全国遺跡報告総覧 - 長良川発電所下須原谷水路橋
- https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/cultural-property/486963
- 美濃市 - 長良川発電所本館他8件
- https://www.city.mino.gifu.jp/docs/1174.html
- 文化遺産オンライン - 長良川発電所本館
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/193039
- 文化遺産オンライン - 長良川発電所湯之洞谷水路橋
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/178466
- 文化遺産オンライン - 長良川発電所日谷水路橋
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/148855
- Wikipedia - 長良川発電所
- https://ja.wikipedia.org/wiki/長良川発電所
最終更新日: 2026.05.15