長良川中流の煉瓦壁、明治43年の取水口

長良川の中流域、郡上市美並町の南部に、川面と接するように低く構えた煉瓦の壁面がある。五つの欠円アーチが岩盤に向かって開き、その上には幅およそ14メートル、高さわずか2.7メートルの赤煉瓦の壁が立ち上がる。これが明治43年(1910年)に完成した長良川発電所取水口の呑口上部であり、建設当初と同じ水路に、現在も同じように水を送り続けている構造物である。

外観は質朴で、装飾を持たない。むしろそれが見どころでもある。五門のアーチ形ゲートは迫石に花崗岩を用い、その上に四つの矩形開口部が並ぶ。いまは塞がれているが、増水期に取水量を補うための副次的な開口だった。煉瓦壁面は長手と小口を一段ずつ交互に積むイギリス積みで、明治期の産業構造物としては標準的な、けれど整然とした手仕事の積み方である。

長良川を電気に変えるまで

長良川の水力を電気に変える発想は、まず旧岩村藩士であった小林重正によって持たれた。京都・蹴上発電所を見学した小林は、自費で長良川と飛騨川を踏査し、武儀郡洲原村大字立花が最適地であると見極めて、明治31年(1898年)に水利権を得る。だが日清戦争後の不況が事業化を阻み、計画は一度頓挫する。

計画を引き取ったのが、当時シーメンス日本支店に勤務していた野口遵だった。後年、日本窒素肥料(チッソ)を興して新興財閥を一代で築き上げる人物だが、この時点ではまだ三十代の技術者である。野口は小林から水利権を譲り受け、これを名古屋電灯に持ち込む。同社はもともと木曽川に発電所を計画していたが、野口の進言で長良川の建設を先行させる方針へと舵を切った。株主総会で建設が決議されたのは明治40年5月、着工は翌41年である。

地形がダムを不要にした。長良川にはすでに必要な落差があり、求められたのは川と並走するなだらかな水路だった。流れに沿いつつ勾配を緩やかにとることで、水路の水位が長良川の水面より段階的に高くなり、最終的に大きな落差が生まれる。美並町の取水口はその水路の起点である。ここから取り込まれた水は、無圧トンネル・蓋渠・開渠・水路橋を経て約4.9キロメートル下流に運ばれ、現在の美濃市域にある発電所建屋で一条の水圧鉄管を通って水車に落とされる。

運転開始は明治43年3月15日。出力4,200キロワットの電気は、52キロ離れた名古屋市まで送られた。翌日には鶴舞公園で開幕した第10回関西府県連合共進会の場内イルミネーションを灯し、中部地方における本格的水力発電の到来を、明るい夜景として人々の目に焼き付けた。

取水口が文化財に登録された理由

取水口呑口上部が国の登録有形文化財に登録されたのは平成13年(2001年)8月28日。同じ長良川発電所群のなかで、本館、正門、外塀、そして三つの煉瓦造水路橋などとともに名を連ねている。それぞれが単独で抜きん出ているというより、明治末期の水力発電プラントを構成する一群の構造物がそのまま現役で残るという、まとまりの稀少性が評価された格好である。

呑口上部について登録説明で特筆されているのは二点。ひとつは五門のアーチに用いられた花崗岩の迫石。日本の石工が橋梁や城郭で磨いてきた切石の伝統と、欧州から流入した土木技術の作法とが、無理なく接続している。もうひとつは、現在は閉切されている上部四つの矩形開口部。当時の技術者が長良川の季節変動をどう見立てていたかを示す痕跡で、運用が進化したのちもファサードの構成として残された。なお、長良川発電所の関連施設群は平成19年(2007年)、経済産業省の近代化産業遺産にも認定されている。

現地で目を凝らしたい点

取水口は観光地として整備された場所ではない。中部電力の操業地にあるため、見学は道路上からの外観確認にとどめる必要がある。それでも、道沿いから煉瓦壁面の構成は十分に読み取れる。水際の五つのアーチを数え、その上に並ぶ四つの矩形を確認し、長手・小口が交互に並ぶイギリス積みの段を目で追っていくと、明治の構造物の幾何が静かに立ち上がってくる。風雨で煉瓦ごとに色が微妙に変わっている箇所、アーチ頂部の切石が朝の斜光で陰影を強める時間帯など、見れば見るほど細部が増える。

下流の発電所本館も見ているなら、両者の対比は興味深い。本館は西洋風の煉瓦壁の上に鬼瓦を頂く屋根を載せ、外観に和の意匠を意識的に織り込んでいる。一方の取水口にはそうした折衷の身振りがない。純粋に水を捌くための構造物としてつくられ、装飾を加える発想そのものを持たなかった。その潔さが、結果として時間に耐える姿勢につながっている。

周辺で立ち寄りたい場所

取水口がある美並町は、郡上市の南端にあたる地域である。郡上といえば八月から九月初旬にかけての郡上おどりが知られているが、おどりが行われる八幡の街並みはここからさらに上流に位置する。発電所本館のほうは下流およそ5キロメートル、美濃市域にあり、長良川鉄道の湯の洞温泉口駅から立花橋を渡って徒歩圏内で外観を見学できる。長良川鉄道は本数こそ少ないが、ほぼ全線にわたって川沿いを走るので、訪問そのものを目的にしても良い小旅行となる。

少し足を延ばすと、美並の対岸には洲原神社がある。古い杉に囲まれた美濃地方の重要な神社で、長良川と並ぶ立地が静かである。下流の美濃市街には、町家が連なる「うだつの上がる町並み」や手漉き和紙の工房、大正5年(1916年)の美濃橋などがあり、発電所と組み合わせると、明治から大正にかけてこの一帯がどう近代化していったかを一日で辿ることができる。

Q&A

Q取水口の中に入って見学することはできますか。
Aできません。中部電力の操業敷地内にあるため、立ち入りは不可です。見学は隣接する道路上からの外観確認に限られます。下流およそ5キロメートルにある発電所本館も、敷地外からの見学が前提です。
Q発電所は今も動いていますか。
A動いています。明治43年(1910年)の運転開始以来、中部電力のもとで現役で稼働しており、現在の出力は約4,800キロワット。発電された電力は美濃市と郡上市の一部に供給されています。
Q上部の四つの開口部はなぜ塞がれているのですか。
A建設当初は増水時の補助的な取水口として機能していました。その後の運用見直しと水路の整備によって役目を終え、ある時期に閉切りされて現在に至ります。ファサードの構成としてはそのまま残されています。
Q取水口と発電所本館はどのようにつながっていますか。
Aおよそ4.9キロメートルの導水路で結ばれています。経路には無圧トンネル、蓋渠、開渠、そして三つの煉瓦造水路橋が含まれ、いずれも明治43年の創設時のもので、それぞれが個別に登録有形文化財に登録されています。
Q訪問するのに適した季節はいつですか。
A川沿いの気候が穏やかで煉瓦の質感も見やすい晩春と秋がおすすめです。郡上おどりの時期にあわせるなら晩夏ですが、おどりの会場は取水口からさらに数キロ上流の郡上八幡となります。

基本情報

名称長良川発電所取水口呑口上部(ながらがわはつでんしょしゅすいこうのみくちじょうぶ)
所在地岐阜県郡上市美並町上田字干谷口3209-1、3206-2
指定区分登録有形文化財(建造物)/平成13年(2001年)8月28日登録
時代・年代明治/1910年(明治43年)
構造煉瓦、石及びコンクリート造/イギリス積煉瓦壁面、花崗岩迫石
寸法幅約14メートル、高さ約2.7メートル
員数1基
所有者中部電力株式会社
公開状況道路上からの外観見学のみ。敷地内立ち入り不可。
関連の登録物件長良川発電所本館、正門、外塀、湯之洞谷水路橋、下須原谷水路橋、日谷水路橋など、同一発電所群の構成施設

参考文献

文化遺産オンライン「長良川発電所取水口呑口上部」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/186980
文化庁 国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00002250
美濃市公式サイト「長良川発電所本館他8件」
https://www.city.mino.gifu.jp/docs/1174.html
Wikipedia「長良川発電所」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%89%AF%E5%B7%9D%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80
中部電気協会「中部のエネルギー」
https://www.chubudenkikyokai.com/archive/syswp/wp-content/uploads/2015/09/ea68ab6e9b1500f5cf850265ff671ac3.pdf

最終更新日: 2026.05.15